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四つの願い
第1章
あの日、今思うとまさに人生の岐路に自分は立たされていたのだろうと思う。いけすかない部長に退職届を叩きつけてから、新しく始めた事業が順風満帆に運んでいるはずだった。それがその事業を一緒に立ち上げた友人のまさかの裏切りで、僕は奈落の底に落とされた。
それから寝付けない夜がずっと続いた。それは目を閉じると何かを暗示するような悪夢に見舞われたからだった。
それは恐ろしい夢だった。
夢の中でも僕は事業に失敗していた。生きるか死ぬかの瀬戸際だった。ただそこに妻がいた。現実の僕には妻はいなかったが、夢の中では僕には妻がいた。
その妻が会社を立て直すべく、知らない男と寝た。その男はその代償に会社に資金援助すると言った。僕はその夜、身も心も疲れ果てた妻をいきなり叩き斬った。先祖伝来と父が言っていた日本刀を引き抜き、彼女を袈裟切りした。
しかし、棄てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。その悪夢をたびたび見ていた時に、中学校の時の友人から是非資金援助をしたいという申し出を受けた。確かに美味しい話だった。喉から手が出るほど欲しい好意だった。
けれども僕は厚い信頼を寄せていた友人の裏切りで人を信じられなくなっていた。それで彼の援助を断ろうとしていた。彼は幼馴染でもあり、その親切な心遣いを思うと、どうやって断ったら良いものか頭を悩ませた。
そこで、彼に会う前に1人カフェに入ってあれこれ思案をしようと思ったのだった。
結局そこにはコーヒー1杯で1時間ねばった。しかし、これだという名案は浮かばなかった。後は野となれ山となれと思い、仕方なくそのカフェを出て待ち合わせのレストランに向かおうとした時だった。
「お客様」
僕は後ろから呼び止められる声で、降りかけた階段の途中で振り返った。するとそこには輝く笑顔があった。それはそのカフェの店員だった。
「これはお客様のものでしょうか?」
そう言われて彼女が差し出すものを見ると、それは少し錆がかった古いキーホルダーだった。
「あ、それ」
僕は慌ててかばんの中を見ると、お守りやら何やらがぶらさがってる中からそのキーホルダーだけがなくなっていた。
それは中学生の時に、仲の良かったクラスメイトと駒が岳に登った時に、その記念として頂上近くの売店で買ったものだった。
それは暑い日だった。
僕達四人が頂上に着いた時には全身汗でびっしょりだった。しかし、そこで栓を開けたあの缶ジュースの味は今でも忘れることはなかった。
中学の最後の楽しい思い出。中2の夏の修学旅行は僕にとっても、そうなるはずだった。しかし、その前日に僕は飲酒運転の車にはねられ、命に別条はなかったものの、全治4カ月の骨折を負い、その修学旅行に参加することが出来なかった。
僕は一人病室で自分の境遇を呪った。みんなが修学旅行から戻って来ると、お見舞いと称して、旅行先でのお土産を病室に持って来た。しかし、それは僕にはとても辛いことだった。みんなの楽しそうな話は僕の心をズタズタにした。
それから退院後、リハビリも順調に進んで、ようやく走り回れるくらいまで回復した頃だった。僕たちは3年生になり、みんな志望高校に向けて忙しくなった。特に夏休みは受験の天王山だと周りからまくし立てられていた。
それがある日、2年生までよく一緒に遊んでいた四人のクラスメイトがうちを尋ねて来た。
突然の来訪に、いったいなんだろうと思うと彼らはある提案を持って来ていた。
それは修学旅行で僕がいくはずだった駒ケ岳への一泊旅行の話だった。
「大切なものなのですね」
「え?」
「とても大事そうに見ていらっしゃるから」
僕は笑顔の彼女にお礼を言って階段を一気に駆け下りた。そしてその時には、これから会う彼に是非援助をお願いしようと決めていた。
それから3年の月日が経っていた。今日の僕があるのはその彼の援助がきっかけだった。
第2章
旧約聖書に「ヨブ記」という話があります。
そこでヨブは自分が生まれたことを呪うほどの苦難を受け、そして遂には神を呪って死ぬ方がましだとまで言わしめるのです。
私はまさにそのヨブ同然の生活を強いられていました。
私はうつ病にずっと悩まされていました。睡眠障害がために睡眠導入剤を常用し、それの影響で起きている時も常に頭がぼおっとしていました。また副作用によって一過性の健忘、自動行動なども現れました。何かをしたいと思っても自分の意志とは別に身体が言うことを聞かなくて、仕事や人との約束事を突然反故にすることも多々ありました。
ただ、私の困ったことはこれだけではありませんでした。このうつ病に加えて、私は月経困難症も併せ持っていました。ですからこちらの病気が発現した時はそれこそ自分に生を与えた神に呪いの文句を浴びせたくなる衝動に襲わたのです。
どうして私なの?
どうしてこんな状態で生かしておくの?
挫けてはいけないと積極的にものごとを思える時は短く、これらの症状が酷くなると、私は横になってただ存在するのが精一杯の状態になってしまいました。
いったいいつまで続くのだろう?
もしかしたら一生こんな状態かもしれない。
そう思いながら毎日を過ごすしかありませんでした。
願わくば大空の下で思いっきり深呼吸をして、そして笑顔で暮らしたかった。
でも、悲しいことに、私の笑顔はずっと私の内側に閉ざされたままで、最早それがあったことすら忘れてしまう状態でした。
食事も進まず、体力もなくなり、病気にもかかりやすくなりました。病気になればその医療費も馬鹿にならず、働けない私の生活費はおろか、その余計な医療費のために、母と兄はより稼ぎのいい、しかし辛い仕事に転職していったのです。
止まない雨はない。明けない夜はない。
そういう言葉を聞いたことがありますが、私には晴れの日も太陽がさんさんと降り注ぐ昼間も、架空の話のように思えて来ていたのです。
第3章
その日僕は久しぶりに夢を見た。
夢はいつも見るものであって、それを覚えているかいないかの違いだという話をきいたことがあったが、僕にはそれは本当に久しぶりに見た夢に思えた。
僕は宙に浮いていた。
空を自由に飛ぶ夢は良い夢だということを聞いたことがあったが、それとは少し違っていて、どうやらその場を移動することなく、そこに浮いているという状態だった。
眼下にはマンションが見えた。そして何故かその建物の中が透かして見えて、そこに一人の女の人がベッドに横たわっていた。
(誰だろう?)
その思って凝視しても、その顔にまるで見覚えがなかった。
ふと気がつくと、それは昼間だった。そしてよく晴れた日だった。そこで、きっと休みの日だろうと思った。こんな天気の良い日に若い女性がベッドに寝たままで過ごすなんてもったいないと思ったからだった。
するとその思いが通じたのだろうか、その女性はベッドからゆっくりと起き上がった。しかし足元はかなりふらついていて、非常に心もとなかった。
(大丈夫かな? 二日酔いかな?)
その人の顔は青白く、且つ覇気を感じられない表情をしていた。
(それとも病気かな?)
その人はベッドの横にあった小さなケースから何かを取り出してそれを口に運んだ。そして傍にあった水差しから手前のコップに水を注ぐと、それを少しずつ飲み干した。
(あれは薬だ。やっぱり病気なんだ)
僕はその人が病気だと思うと、次に何の病気かが気になった。そこでもう少しその人に近寄って観察してみることにした。
するとそこはピンク一色の部屋だった。まさに女の子の部屋、という趣きだった。
それからベッドの近くにはいくつかのぬいぐるみが置かれていた。それでその女性は女の子なのかと思ったが、顔を覗き込むとやはり大人の女性だった。
(風邪でもひいたのかな)
それだったら早く良くなると良いと思った。栄養を採って、暖かくして寝ていれば数日で回復するだろうと思った。
その人は薬を飲むと再びベッドにもぐりこんだ。そしてそのまま眠りに落ちた。
僕はこんな夢をそれから毎日のように見続けた。しかし、夢の意味するものは全く思い当たらなかった。その人のことも知らなければ、風邪をひいて寝込んでいる女性というシチュエーションにも何ら引っ掛かることはなかった。
しかし、それがある時、その夢に新たな登場人物が現れたのだった。
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