四つの願い

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第33章 私は長い間うつ病に悩まされていました。その間、オーバードーズで死にかけたり、自動行動で見覚えのない大きな傷をあちこちに作っていました。自殺をしようと思ったことはないわけではありません。でもその自殺をする力さえ湧いてこないのです。  そうやって何年も私は自宅に寝たきりでした。それがある時、1週間の内1日だけ気分の良い日が現れました。そしてそんな日が週に2日、3日となると、こんな私にも何か希望の光のようなものが見え始めたのです。  そしてそれから暫くして、遂に私はベッドから離れることが出来たのです。ずっと夢にまで見た青空の下で思いっきり息をして、それから周りの景色をぐるぐる回転して見てみました。こんな世界があのベッドの外には大きく広がっていたんだと思い、そして、いまそこに在る自分がとても嬉しくなりました。  それから私はコンビニに行ってジュースを買いました。お金をレジで払って、「ありがとうございます」と店員さんに言われました。その店員さんの笑顔が嬉しかったです。  それから思い切って電車に乗ってみました。向かう先は私がずっとずっと前にアルバイトをしていたカフェでした。お店の雰囲気は変わってしまってましたが、メニューは以前のままでした。私は懐かしくてカフェバニラを注文しました。  それから私が中退した大学へ行ってみました。キャンパスに溢れる学生さんは、私よりずっと若い方たちでしたが、私はその中に紛れて生協で買い物をしました。  私はその翌年、試験を受けて再びその大学に入学することが出来ました。若い人に交じって勉強をすることはとても良い刺激になりました。私は負けたくないという思いで一生懸命勉強に励みました。そして年長だということもあったからでしょうか、学部の教授に声を掛けられて、教授のアシスタントをすることになりました。その方は教授と言ってもとても若い方で、最初は助手の方かと思ってしまいました。  その方と海外出張などのお仕事で御一緒することも多くなり、そんなこんなで私たちはいつしか惹かれあい、そして結婚することになりました。結婚式には大学関係の方、そして懐かしいアルバイトの友人も呼びました。私が投げたブーケは友人の由美子がキャッチして、次は私だからと1人で盛り上がっていました。 第34章 私は結婚した翌々年に子どもを授かりました。妊娠がまたマタニティブルーになり、うつの引き金になるのではないかと心配していましたが、夫を初め、周りのみんなのありがたい励ましにあって、子どもを産もうという決心に至ったのです。 私は幸せでした。素敵な夫、本当に心温かい友人に囲まれていました。毎日が充実して過ごすことが出来ました。   今日は妊娠が5カ月目に入り、4週に1度の通常健診の日でした。私はいつものようにその病院のロビーで仕事を抜け出して来る夫と待ち合わせをしました。しかし、その待ち合わせの時間にその場所に行くと、いつもは遅れて来る夫が先に来ていたのです。 「今日はどうしたの?」 「2本早いバスに乗れたんだよ」 「どうして?」 「静かに抜けだそうと思ったら、学部長に見つかってね」 「私あの人嫌い」 「そんなこと言うもんじゃないよ。その学部長が君の健診に抜けるって言ったら、遅刻しないように早めに出られるように配慮してくれたんだから」 「でもあの人、なんか私を見る目が……」 「そうかい?」 私はそういうことには鈍感な夫にはこれ以上話しても無駄だと思って話題を切り替えることにした。 「どれくらい待ちました?」 「うん。40分くらいかな?」 「ずっとロビーにいらしたの?」 「ううん。暇だから病院内を探検してた」 「探検だなんて」 「うん」 私は風邪でももらったらどうしますか? と言いそうになってやめました。そう言われるのを覚悟した表情を夫がしたからです。それで私は少しおどけた感じで言いました。 「何か発見はありましたか?」 すると夫は予想外の私の言葉に、え? という顔になった。 「うん、ちょっとね」 「どんな?」 すると夫は病院を徘徊するうちに迷子になって、気がつくとある病室の前に佇んでいたという話をした。 「迷っちゃったのね」 私はいつもの夫らしくない行動に可笑しくなった。 「それでね、自分でも自分のしたことがわからないんだけど、その病室のドアを開けてしまったんだよ」 「え!」 私はその展開にはさすがに驚いた。 「そうしたら、そこには年配の男性が1人で静かに寝てたんだ。重篤そうに見えたけど、人工呼吸器や生命維持装置はつけてなかった」 私は夫がどれくらいそこにいたのかと思った。 「どれくらいいらしたのですか?」 「どこに?」 「その方の病室に」 「君がここに到着する少し前まで」 「そんなに長く」 「うん」 「その人を見てたらね、君がずっとベッドから起きられなかったことを思い出してね。それでなんかその人が可哀相になってしまって」 「そうなんですね」 「それで思わず声を掛けてしまったんだよ。早く元気になってくださいって」 私はそういう優しい夫が好きだった。 「あ、そろそろ診察室に行かないとね。あと10分で予約時間だったね」 「ええ」 ロビーに掛かっていた時計を見ると夫は急に慌ててソファから立ち上がりました。それで私もそこから立ち上がって、それから夫と並んで産婦人科の診察室へ向かいました。いつ来ても夫との検診は心が落ち着きました。夫はいつも笑顔で私と並んで歩いてくれたからです。 「最近夢を見るんだよ」 「え?」 それが今日に限って、ロビーから診察室へ向かう途中で、いきなり夫がそんな話をし始めました。 「空の上に浮かんでてね、それで下の方にいる誰かを見てるんだよ」 「宙に浮く夢は、良い夢だっていいませんか?」 「うん。そう言うね」 夫は良い夢だということには納得したようでしたが、今ひとつ何か引っ掛かるものがあったようでした。 「何か気になることがあるんですか?」 それで私は声を掛けてみました。 「うん。その下にいた人が、さっきベッドで寝たきりになってた人に似てたんだよなあ」 「ベッドで寝たきりになってた人と?」 「うん。しかも夢の中でもベッドで寝てたんだ」
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