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第11章
「社長、小川さんの紹介でという方が受付にお見えになっていますが」
「小川さんから?」
「はい」
それは午前の会議が終わり、昼食にはまだ少し時間があるという頃だった。
受付の女の子から内線が入り、誰かが僕を尋ねて来たことを知らされた。
「通して」
「はい」
僕の会社は六本木ヒルズが見えるあるビルを一棟借りしていた。来客はあまりなかったが、今日のように知り合いの紹介で訪ねて来る、いわゆる営業の訪問はたびたびあった。
「失礼します」
社長室のドアをノックする音に続いて、僕がどうぞと答えると、その女性はそう言って慎重に中に入って来た。
「はじめまして、小川さんのご紹介で今日伺わせて頂きました、コンフォートサービスの川越と申します」
「コンフォートサービス?」
「はい。私達のサービスは……」
彼女は膨らんだかばんの中から厚いファイルを取り出して、その内容に沿って話を始めた。僕にはどうでもいい退屈な話だった。もしかしたらあっても良いサービスだったかもしれないが、今のこの会社に絶対必要なものではなかった。小川さんの紹介ということが少し気になったが、彼の性格なら別に断ったとしてもマイナスの要因になることはありえなかった。
彼女の説明がひと段落して、僕は適当な断りの文句を見つけて、それでその場を終わらせようとした時だった。
「あれ?」
僕は思わず口から言葉が出ていた。
「前に会ったことがあった?」
「え?」
すると彼女は笑顔から急に真顔になって僕を見た。
「どこかでお会いしましたでしょうか?」
「なんか見覚えがあるような気がするんだけど……」
「どこにでもある顔でしょうか」
彼女が冗談ぽくそう言った。
「小川さんのところじゃないよね」
小川さんからは直接彼女を紹介されたわけではない。
「違うと思います」
異業種交流会で見掛けたのかもしれないと思ったが、事業が順調になってからは、そのような会に参加する時間もなくなったので、新卒ぽい彼女とかつてそこで会ったとは考えられなかった。
「勘違いかな」
あまりしつこく聞いても相手も嫌がるだろうと思い、僕は最後にそう言った。彼女はその言葉に頷くと、再び笑顔を取り戻し、如何でしょうかと言葉を発した。
「社長、何か私の説明でご質問はございますでしょうか?」
「そうだね。少し考えさせてもらおうかな」
「はい。わかりました」
私の考えさせて欲しいという返事は、それには関心がないということを意味していた。そうであればもう彼女と会うこともなかった。それで彼女を部屋のドアのところまで送って行った時だった。
「あ、君はあの時の」
僕はそこで彼女とどこで会ったかを突然思い出したのだった。
「え?」
「ええと長沼駅前の2階にある喫茶店」
「は?」
「なんて言ったかな、そこで君に会ったよ」
「ゴッホですか?」
「あ、そうそう、そこ」
「いつですか?」
「先々週だったかな」
「先々週ですか」
「うん。君は今と同じような格好で、お友達と話をしているようだったけど」
「先々週ですか」
「うん。平日の休みだったからよく覚えてるんだけど、確か木曜日だったかな」
「私は多分行ってないと思います」
「え、そう?」
「はい」
「でもよく似てたなあ」
「私の営業エリアは都内なんです。ですから多摩地域には一切行ってません」
「そうなんですね」
「はい。残念ですが」
私は苦笑いをして彼女を見た。この年頃の女性は化粧で見分けがつかないことがよくあった。
「でも」
「え?」
「でも、私、そのカフェでアルバイトをしていたんですよ」
「え? アルバイトを?」
「はい。大学生の時ですが」
-小高由美子-
彼女に渡された名刺に再び目を落とすとそこにはそう印刷されていた。
「小高さんとおっしゃるのですね」
「はい。今後とも宜しくお願い致します」
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