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第12章
その日私は一通の手紙を受け取っていた。
それはとても懐かしい人からの手紙だった。
「酒井稔」
そう、その人は私がかつてアルバイトをしていた「ゴッホ」というカフェの、当時の店長でした。
受け取った手紙の裏にその名前を見た時は一瞬息が止まりました。そしてこんなに時間が経っていったいどんなことを手紙に寄せて来たのだろうと思いました。
私は頭がふらつきながらもベッドから起き上がってベッドに座ると、その封を開けました。
「津山さん、ご無沙汰しています。お元気でしょうか。今日はあなたに是非お詫びをしたいと思いペンを取りました。私があなたに謝らなくてはならないこと。私があなたにたいへん申し訳ないことをしたこと。そうです。それは、あのレジからお金がなくなった件です。当時はてっきりあなたがそれを抜いたと思っていました。あなたしかあの場にいなかったからです。あなたのご家庭の事情も、あなたから伺っていたので、それで止むに止まれずしたことだと思いました。ですから、あなたにそのお金を請求することなく、レジには私のお金で補てんしたのです。それでいいと思っていました。誰もあなたを責めない。たった1回の出来心ですし、あなたも2度とそのような過ちは繰り返さないと思っていました。そしてその日以降、あなたはアルバイトを辞めてしまう形になって、2度と顔を見せてくれることはなくなりました。私はそれがあなたの責任の取り方だと思ったのです。ですからあなたにそれ以上事情をお聴きすることもなく、あなたのその責任の取り方を了承する形を取ったのです。
しかし、それが昨日、偶然渋谷である人と出くわせたことで事態が変わりました。そのある人とは、あなたも仲が良かった小高由美子さんです。彼女は見慣れぬスーツ姿でした。どこかの営業の帰りだと言ってました。久しぶりということになって、私達は近くのカフェに入りました。そこで懐かしい思い出話になり、そしてそれがあのレジの事件に及んだのです。
どうして彼女がその事件のことを知ってるのかと私は聞きました。彼女はつい口をすべらせてしまったという顔をしました。そこでもしかしたら、あなたが彼女にその話をしたのかと尋ねると、彼女はそうではなく、レジからお金を抜いたのは自分だと白状したのです。
彼女が抜いたお金は私のバッグの中に入れたということでした。しかしそのバッグはもう使ってはいなく、押し入れの奥深くにしまわれているものです。たまたまあの事件があった前日にデパートに寄って新しいものを買って、あの日がそのバッグの最後のお勤めの日でした。普段は財布とキーケースしか入れていなかったそのバッグはそれだけを抜き取ると、新しいバッグに詰めかえて、それで押し入れに放り込んでしまったのです。
小高さんはそのバッグの二重になったファスナーの内側に5万円を裸のまま突っ込んだと言いました。その日帰宅して押し入れの奥からそのバッグを引っ張り出し、中を確かめてみると、そこに5万円が入っていました。
私はどうあなたにお詫びしていいものか、本当に悩みました。どんな言葉を持ってしてもあの時の失礼な発言を取り消すことが出来ないと思ったからです。しかし、それでも兎に角、事の真実を告げ、そして私の気持ちを伝えることが先決だと思い、こうして手紙を送ることを決心したのです。宛先は履歴書から私の手帳に書き写した住所にしました。この送り先で届くように祈るばかりです。
最後にもう1度、申し訳なかったと心からお詫びの言葉を述べさせてください。そして今のあなたが健やかであり、そして未来に明るい光が照らされることを切に願います」
私はその長い手紙を最後まで読み切ると、もう体力の限界だと思い、再びベッドの中に潜り込んだ。
第13章
気がつくと、僕と彼はまたしてもあのマンションの頭上に浮かんで、そして彼女を見降ろしていた。
「ずっと寝たきりですね」
僕はまだあんな彼女を見続けなくてはいけないのかという意味で、そう彼に言った。
しかし彼はそれには答えずにこう言った。
「3つ目の願いは何かね?」
「3つ目?」
「そうだ。3つ目だが」
「2つ目は何でしたか?」
「2つ目はもう叶えられたが」
「え? どういうことですか?」
「2つ目の君の願いは成就された」
「いつ?」
「今さっき」
「どんな?」
しかし、彼はそれ以上この件で話をしたくないと言う顔をした。沈黙が暫く流れた。
それで仕方なく、私は3つ目の願いの話に戻すことにした。
「3つ目の願いか……」
「希望があるかね?」
「今のところは何も」
「そうか」
しかし、そこでまた長い沈黙の時間が始まろうとしたので、僕は慌てて言葉を続けた。
「なら、あの寝ている状態をなんとか出来ませんか?」
「と言うと?」
「彼女をベッドから出られるようにして、そうだな、働けるとか、学校に通えるとか、とにかく同世代の普通の女の子と同じような生活を送れるようにしてあげられませんか?」
「なるほど」
僕は彼のその反応でそれが実現出来ると思った。それで急に嬉しくなった。彼女がずっとベッドに横になっている姿を見続けることが、いい加減に飽きてきたこともあった。
途端、場面が変わった。そこはどこかの大きなホールだった。会場はたくさんのお客さんがひしめいていた。ステージを見ると強烈なビートが流れる中、そこには2人の男女がダンスをしていた。
(タップダンスとバレエのコラボレーション?)
2人のダンスに注目して少し経つと、2人の踊りがどのようなものであるかがやっとわかって来た。
「珍しいだろう」
彼もいつしか僕の隣りに来ていた。
「タップとバレエの組合せですね」
「そのようだ」
「後ろで流れる音楽は?」
「さあ、私は音楽に明るくないので」
彼がそれ以上聞いてくれるなという反応をしたので、僕は再び彼らの踊りに注目した。
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