ポケットの中の魔物

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ポケットの中の魔物

「あれ?」  コンビニのレジで金を払おうとした男は、ズボンのポケットの中をまさぐった。 「ちょ、ちょっと待ってくださいね」  たしかポケットに小銭を入れていたはずなのに。それでタバコを買おうとコンビニに来たはずなのに。いくらポケットを(あさ)っても、指に硬貨が触れる気配がない。  動揺し、焦る男。会計を待つ客たちの嫌味な視線を背中に感じた。 「あっ、先に後ろのお客さんの会計をしちゃってください」  尖った目つきで男を一瞥する店員。「次の方、どうぞ~」と、気だるそうに次の客を手招いた。財布を持たず小銭だけをポケットに押し込んで家を出たはずの男は、目当てのタバコを諦め、小首を傾げながらコンビニをあとにした。 「すみません。山下ビルって建物、ご存知ないでしょうか? 確かこの辺りにあるはずなんですけど」  道行く婦人に駆け寄り、男は尋ねた。困り果てた男に同情の目を向けるも、申し訳なさそうに首を振る婦人。 「住所はわからないの?」 「それが……メモした紙をポケットに入れてきたつもりなんですけど、なぜか見当たらなくて」 「この先に交番があるから、そこで聞いてみたらどうかしら?」  婦人に軽く会釈をし、その場を離れた男。納得がいかぬまま、交番へと歩を進めた。  今日はアルバイトの面接。ここで職にありつけないと、先々の生活が苦しくなってしまう。そうはなるまいと、いつも以上に意気込んで家を出た。もちろん、住所を記したメモをポケットに入れたことは何度も確認した。鮮明に記憶に残っている。  それがこの有り様。面接会場の住所がわからず、オロオロしながら交番に向かっている。料金を滞納し、スマートフォンが使えないのも弱り目に祟り目だ。 「そんなはずないのになぁ――」  改めてポケットの中をまさぐった時だった。 「イテッ」  指先に鋭い痛み。慌てて手を引っ込める。見ると、指先にうっすら血が滲んでいた。画鋲でも入っているのかと、おそるおそるポケットに手を突っ込んでみると、またしても痛みが。もしかして……?  男の予想は的中した。にわかには信じがたいが、男のズボンのポケットの中には、魔物が棲んでいた。ポケットに餌が放り込まれるのを期待し、大口を開けて待つ魔物。尖った歯をむき出しにし、威嚇するようにこちらを睨みつけていた。  魔物の存在に興味を掻き立てられた男は、アルバイトの面接を放棄。急いで自宅に戻ると、早速、ポケットの中に物を押し込んで試してみた。  テーブルの上に置いてあった一円硬貨を入れてみる。しばらくしてポケットに手を突っ込むと、それは魔法のように消え去っていた。  チラシの切れ端、使い捨てライター、小ぶりなフィギュア、読みかけの文庫本。好奇心に任せ、次から次へとポケットに放り込む。空っぽのポケットに手を突っ込むたびに、気分は高揚していった。  大量の餌にありつくことができ、ポケットの魔物もご満悦の様子。ムシャムシャと音を立てながら、ポケットの中身を平らげていった。 「きゃぁー、すごいッ!」 「どこにタネがあるんだよ?!」 「ほんとに消えちまったぞ!」  男は色めき立つ客たちに、誇らしげな視線を送ってみせた。  魔物が住むポケットを何かに活用できないかと思案した男は、あることを閃いた。それは、マジシャンとして活躍すること。思い立ったが吉日と、場末の小さなマジックバーの門を叩いた。ポケットの中身を消し去るマジックは瞬く間に注目を集め、一気に脚光を浴びることに。今では繁華街で最も有名なマジックバーでショーを披露するまでになっていた。  営業時間が終わり、裏口から店を出た男。 「ありがとな!」  今ではアルバイトを転々とする貧乏生活を懐かしむほどに、裕福な暮らしができるようになった。スターの座に押し上げてくれた魔物に感謝の意を伝えようと、ポケットを優しく撫でた。  パーキングに駐めた車のドアを開けようと、キーに手をかけたそのとき、背後に荒い鼻息を感じた。そして、喉元には冷たい感触。街灯の明かりが、鋭いナイフの刃先を照らしていた。 「おい、大声出すなよ? 叫ぼうもんなら、お前の命はないぜ」  あまりの恐怖に膝を震わせながら、男は小刻みに頷いてみせた。 「俺はある組織から除名され、命を狙われてる。ひどい面汚しをしちまってよぉ。これから高飛びしなきゃならねぇんだわ。わかるよな? 金をよこせ」 「か、金なんて、持ってないですよ……」 「嘘つけ! こんないい車に乗ってるやつが、金がねぇなんて信じられるか!」  男を羽交い締めにしていた凶漢は、その腕を解き、金目のものを探し出そうと、男の身体を確かめていった。  ジャケットのあちこちを調べ終え、ズボンのポケットに手を突っ込んだときだった。 「イテェェェ!」  ポケットから手を引き抜き、悶絶する悪党。断末魔にも似た叫び声をあげながら痛む手をかばっている。  その手をよく見ると、組織の(おきて)に背いたケジメとでも言わんばかり、見事に小指が食いちぎられていた。
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