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33.レオナルド
「貴方様は優秀だと思っておりましたが、これまた大胆な推論を挙げてきましたね」
「別に推理自慢をしたくて、あんたを呼び止めたんじゃないぞ? 俺は単純に、真実を知りたいだけだ」
「なるほど……」
何を言われるのかと構えた途端、そよ風が吹いてサイファーの髪を柔らかく靡かせる。
「どちらにしろ、貴方様は盛大な勘違いをされておられるようですね。私はユヴェルではございません」
何!?
そこは『よく分かりましたね』じゃないのか!?
「そんな、勘違いなどしていない! 俺の推理は正しいはずだ!」
予想もしてなかったサイファーの返しに驚きを隠せなかった俺が強く主張すると、彼は口に手を当てて小さく笑った。
「クククク……貴方様の推理には“重大な欠陥”がございます」
「欠陥!?」
サイファーは深呼吸すると、ゆらりと動いて紅い瞳を俺に差し向けた。
「では、1つずつご説明致しましょう。
まず公的文書の偽造に関してですが、この国の印刷技術は精度が完璧ではございません。タイプライターなども経年劣化による個体差があり、それは作成された書類の精度に人の眼では判別困難な誤差を生じさせます。
そして、何かを見極めるという点において、人間の眼というのは視力的問題や錯覚などもあるため、肉眼内に罫線が仕込まれていない限りそこまで信用出来ません。
つまり『俺の眼は誤魔化せない』と豪語される貴方様の眼というのも、対象の真贋を問われた際に信頼に足るか至極怪しいのです。私が見る限り、その書類は作成時に生まれたであろう誤差こそございますが、全く問題ないように見えます。
次にダイヤル式ロックについてですが、それがゾルディア連邦において国外不出の技術というのは間違いないでしょう。しかし、開発されてから何年も経過している現在、その技術自体はとっくに他国に盗まれているんですよ。
無論、解除方法も攻略されており、挙げ句の果てにはダイヤル式ロックの模倣品まで製作されている始末。
ゾルディア連邦には思慮の浅い宰相がいるようですから、当然の結果です。現在使われていない技術だとしても、機密情報を外部へ漏らすことなど断じてあってはなりません。
それと、私も宝石商として貴方様のように他国へ足を運ぶ機会は少なくありません。ラ・コルネのケースは私が訪れたある国でたまたま発見した模倣品なのです。
そして、ゾルディア連邦の実話に関して。
貴方様は私の作り話と『そっくりだ』と仰られましたが、当たり前なんですよ。作り話のモデルをその実話を元に構想したのですから。
その実話は、それなりに地方へ伝承されている有名なお話です。私が知っていても何らおかしくはございませんよね。
また、貴方様は『王太子がダイヤル式ロックを開発したのは15歳の時』と認識されておられますが、実際は違います。
彼がダイヤル式ロックを開発したのは13歳の時です。
レオナルド様のご記憶が曖昧である以上、貴方様がいくら『実話だ』と仰ってもその信憑性は極めて低いものとなってしまいます。
情報において最も重要なのは正確さです。交渉の武器として使用されるのなら、絶対に間違えてはなりません。
皇太子が復讐に駆られて亡命したと仰る話も、根拠や裏付けが何もない貴方様の妄想でしかございませんよね?
君主国家における世襲制にかまけて堕落する王子が多い中、ユヴェルだけに対して贔屓じみた推察をする貴方様の思考には、私からすれば違和感を感じざるを得ません。
そして、ユヴェルの外観的特徴である紅い眼。
確かに珍しい人種ではございますが、この広い世界には紅い眼を持つ種族が他国にも少なからず存在致します。私が紅眼だからといって『ゾルディア連邦の皇族だ』というように断定されるのは、些か安直過ぎではございませんか?
さらに、私の記憶だとユヴェルの髪色は黒だったはず。ところが、ご覧のように私の髪は生まれ付き灰色なのですよ。
そして、貴方様にお伝えした内容が計画の全貌であり、先程も申し上げた通りビアンカ様の登場は私にとって全くの想定外です。さすがの私も、眼前で人が撃ち殺される光景など見たくはありません。
もうお解りですね? これまで述べてきた全ての事由によって貴方様の推理を否定すると同時に、私は“ユヴェルではない”と断言させて頂きたいのです」
サイファーは俺に間を挟む隙も与えない猛烈な論述で語り終えると、その肩まで伸びた灰色の髪を指で摘んだ。
渾身の推理がいとも簡単に論破されて、呆気に取られた俺は何も言い返せずに沈黙していた。
やっぱりこの男には敵わないな……。
もはや、反論する気勢まで根こそぎ奪われてしまった。
「完敗だ……まいったよ」
両腕を挙げて首を横に振ると、彼は優しく微笑んだ。
「いいえ、素晴らしい推理でした。貴方様には驚かされるばかりです。やはり貿易商にしておくのは勿体無い」
「……じゃあ、今度はあんたに全く関係ない話をしてもいいか?」
「時間の無駄ですが、どうぞ」
俺は再び夜景の方を見遣った。
「今この国には、ゾルディア連邦の現皇帝アリスターの勅命によって、ユヴェルを捜索する部隊がこの国に派遣されてきている。これは極秘情報として、陛下からディマルク家に通達された嘘偽りない確かな情報だ。まぁ、あんたには関係ないだろうが、知っていて損はないだろ?」
「そんな話、簡単に口外されない方が宜しいですよ」
サイファーが顔色一つ変えずに返してきた。
「別にいいだろ。たまには感情に身を任せて口走ってもさ」
「貴方様という方は……」
呆れるように彼が項垂れたのに対し、俺は口角を緩めた。
「お互い様さ。あんただって、俺やルナのために感情的になってただろ?」
「……否定は出来ませんね」
「何で俺やルナのために、そこまでしてくれたんだ? 報酬の話だって、あんたは敢えて受け取らないように、成り行きを操作したはずだ」
そう尋ねた途端、サイファーはしばらく黙り込んでしまった。すると、彼はおもむろに星空を仰いだ。
「『放っておけなかった』……としか、今は申し上げることが出来ません」
口に手を添えたサイファーが小さな声でそう囁いた時、俺はホテルの前に送迎用バスが戻ってきたのを確認した。
「なぁ、このあと2人で飲みに行かないか? まだあんたとは、もっと色んな話がしてみたいんだ」
少し照れながら手を差し出すと、彼は神妙な面持ちで首を横に振った。
「申し訳ございません。折角のお誘いですが、お断りさせて頂きます。さすがの私も今日は疲れてしまいました。もう少しここで景色を眺めてから家に帰って……ゆっくり休みたい」
「そうか……まぁ、そうだよな」
残念そうに何度か小さく頷いたら、彼は真剣な顔で手を伸ばして握手をしてきた。
「最後に貴方様へお伝えしておくことがございます。よく聞いて下さい」
「……ああ」
「Впереди у вас будет много разных событий. Конечно, будут радостные и приятные моменты, но возможно, что трудностей будет больше. Из-за этого у вас может появиться желание восстать против божественного предопределения. Но в такие моменты обратитесь за помощью к самому надежному человеку рядом с вами. Он обязательно станет вашим союзником. Никогда не действуйте в одиночку.
(これから先、貴方様には様々なことが起こります。嬉しい事や楽しい事はもちろんですが、辛い事の方が多い時期も訪れるやも知れません。それ故に、神の定めに反旗を翻したくなることも。しかしそんな時は、貴方様の側で一番信頼できる者に頼りなさい。必ず味方になってくれるはずです。決して一人で暴走などしてはいけませんよ)」
ゾルディア語……。
そうか。
そのルビーのように紅く染まった瞳は……。
ユヴェルの綴りはJuwel。
確か、宝石を意味していたはず。
やっぱり、そうだったのか……――。
言い終えたサイファーは、今まで見たことのない柔らかな笑顔を見せると、握っていた手をゆっくりと放した――。
バスに乗り込んだ俺は、彼に「Спасибо(ありがとう)」と言えなかった。それを口にしたら、もう二度と彼に会えなくなるような気がしてしまったから。
はぁ……。
せっかく、一番信頼できる人に出会えたと思えたのに。
走り出したバスの中で大きな溜息を漏らしつつ、窓からサイファーの背中を眺めていた。
徐々に小さくなっていく漆黒のスーツ姿の男が、力を使い果たして、再び眠りにつくかのように夜の暗闇に消えるまで、ずっと見続けていた――。
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