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10.レオナルド
「え……そう? あ、ありがとう……」
照れくさそうにルナが目線を伏せる。
俺が街でルナを発見した時に感じた違和感に、間違いはなかった。化粧からして明らかに違う。3年も月日が経てば多少変わるのかも知れないが、そんな次元じゃない。
男に絡まれていたのを助けるために『彼女』と言ったこと、ルナはどう思っているんだろうか。
いや、敢えて触れる必要もないか。
ルナもその辺は分かってるだろう。
「ルナの話は人伝に聞いてるよ。さすがに落ち込んでんだろうなと思ってた」
「う~ん、元気ではないかな」
「まぁ、元気出せよなんて簡単には言えない話だ。聞いた時は俺も他人事に思えなくて、怒りを覚えたよ。ルナが苦しい時に、すぐ会いに行けなくてごめんな」
ルナは目を瞑って首を横に振ると、心配しないでと言いたげに笑顔を浮かべた。
「いいの、その気持ち聞けただけで嬉しいから……ありがと」
ぐ……!
か、可愛い。
妙に大人びたと思いきや、不意にあどけない笑みを見せられた俺は、そのギャップについ見入ってしまう。
その後、ルナは婚約破棄された件に関して「もう吹っ切れたから、そんな心配しないで」と、深く話すことを拒んでいるようにも見えた。
無理しているのは見え見えだが、彼女から“暗い話なんかしたくない”といった感じが伝わってきた――。
「いやいや! あれが農夫さんにバレたのは、ルナが欲張ってブドウ食べ過ぎたからだろ?」
「ち、違うよ! レオだっていっぱい食べてたじゃん! 皮とかそこらじゅうに撒き散らしてさー!」
幼い頃の思い出話に花を咲かせていると、ルナは楽しそうに笑っていた。学園で接触を避けるようにしたことで、アレンと婚約を結んでから今日に至るまで彼女とはロクに話せなかった。
成人となって初めて彼女と酒を酌み交わしながら、そんな空白を埋めるように俺達は夢中になって話した。
そこへ、メインのパスタ料理がテーブルに運ばれてくる。
「お待たせ致しました。“パロヴァ産オマール海老と旬の野菜を使用したクリームパスタ”でございます」
「……海老?」
すかさずメニューを確認したら、すぐに自分のミスに気付いた。
ルナは甲殻アレルギーで海老が食べられない。俺としたことが、何でこんな初歩的なことを見落としてしまったんだ。ルナだってこの店のパスタを楽しみにしていたはずだ。
「あ、すまない。彼女は海老が食べられないんだ。俺のも含めて、代わりにラム肉を使ったパスタに変更できないか?」
「左様でございましたか、これは大変失礼致しました。すぐに作り直してお持ち致します」
「いや、俺がもっと早く気付くべきだった。申し訳ない」
「いえいえ、こちらが確認を怠ってしまったまでです。少々お待ち下さい」
店員が丁寧な姿勢でそう言い残し、個室を後にする。俺が謝ろうとルナを見遣ると、赤面した彼女は下を向いてモジモジしていた。
「どうした? 熱でもあるのか?」
「ううん、ちょっとワイン飲み過ぎただけ」
「水貰おうか?」
「あ、ありがとう。それより海老のこと……よく覚えてたね。私のは気にしないで、先に食べててもよかったのに」
「俺がよく見ないでコースを頼んだんだから、そういうワケにはいかないだろ? 一緒に食べようよ」
少しの間を置いたルナは「……うん」と頷くと、両手で顔を覆い隠した。顔もやたらと赤いし、どうやら飲み過ぎてるようだ。
小さく溜息を吐いたルナが「あ、そうだ」といって顔を上げる。
「レオは今日、どうしてこの街に来たの?」
「え?」
し、しまった……。
何も考えてなかった。
極秘で調査していて『麻薬元締め疑惑のあるラ・コルネを下見に来た』とは、例えルナ相手でも漏らしてはならない。ここは何とか誤魔化すしかないな。
「俺は……その、なんだ、か、観光だよ」
「はいウソ」
なぜすぐバレた!?
「な、なんでわかった?」
「教えないよ~。嘘つく時のクセ、治されちゃうから」
とルナが無邪気に笑う。
やめろその笑顔。
抱きしめたくなる。
「ふざけてないで教えろよ」
「やだ。それでホントの理由は?」
こいつには敵わないな。
仕方ない。麻薬の部分だけ伏せれば何とかなるか。
「ラ・コルネっていう宝石店を調べてるんだ……」
「え……ど、どうして?」
「少し疑惑のある店でな。すまんが、今それをルナに明かすことは出来ない」
「え〜、何それ? 結婚式で付ける装飾品あそこで買ったから、店長のサイファーさんのこと知ってるけど、私には彼が悪いことしてるようには見えないよ?」
ルナが急に困惑気味な表情へと変わる。
なんだ?
ルナの様子が変だ。
店長の名前なんて覚えるか普通?
「妙に庇うじゃないか。店長とどういう関係なんだ?」
「えっと、なんて言うか……な、仲良いんだよ! サイファーさんだけじゃなくて、他の従業員さん達とも……」
ルナが人差し指で鼻先を軽く触る。昔から変わらない、彼女が嘘を吐くときの癖だ。
「ウソだな。何か隠してるだろ?」
「え!?」
「さっきもラ・コルネの前でフェネッカと言い争ってたし。正直に言えよ」
心苦しいが、少し強めの口調で問い詰める。麻薬密輸疑惑のある店と彼女が深い間柄になるのを、見過ごすわけにはいかないからだ。
「今日はラ・コルネにティアラとネックレスを返品しに行っただけなの。それで偶然フェネッカと遭遇しちゃって……。サイファーさんとは……えっと、今は言えない」
そのあとルナは「ごめんね」と言って、目線を俺から外して俯いた。それ以上彼女を追い込むことが出来ず、変な空気が漂う個室で沈黙が続く。
まさか、ルナは……サイファーに恋をしているのか……?
女は恋をすると美しくなる――それが頭に過った瞬間、全身の血の気が引いてくのを感じた。
俺は、また別の誰かに先を越されてしまったのか……?
その後は他愛のない話に切り替えて、俺はモヤモヤした気持ちを抱えたまま食事を済ませて店を出た――。
酔いで足元がフラつくルナに肩を貸しながら、車で来ていたルナのために代行を呼んだ。代行業者が到着し、虚な目をするルナを車に運び入れる。
「レオ、今日はありがとう」
「いいんだ。俺も楽しかったから」
「……また会える?」
頬を赤く染めるルナが、俺の目をじっと見つめてきたが、唇を奪いたくなる衝動をグッと堪え、静かに返す。
「ああ……呼んでくれれば、いつでも会いに行くよ」
小さく「うん……」と頷いたルナの頭を撫でた俺は、振り返って歩き出した。
ところが、背後からタッタッタと足音が聴こえてきたと思った途端、誰かがシャツの裾を引っ張ってきた。
足を止めて振り向くと――そこには涙を流すルナが立っていた。
「……ど、どうしたんだよルナ?」
「レオに隠し事なんてしたら、嫌われちゃうんじゃないかって……」
俺が嫌う?
ルナを?
「そんなことない。俺にも言えないことがあるんだし、ルナの事情を無理に訊こうとは思わないさ。話せる時が来たら教えてくれれば、それでいいよ?」
「うん……」
相当酔ってるなこいつ、と嘆息しつつもルナを再び車まで戻した。ルナの車のテールランプが消えていくのを見送り、俺はラ・コルネへと向かった――。
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