11.サイファー

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11.サイファー

 事務室に独りでいた私は、コーヒーカップ片手に経理書類へ目を通していた。  そこへ、神妙な面持ちをしたホーキンが入室してくるや否や、私の対面にドカっと座ってきた。 「親分。調査してた件でちょっと気になることがあるんだけど、少しいいかい?」 「何だ?」 「“ヴェロンの体調不良の件”なんだけどよ、約半年くらい前から運動失調とか歩行異常とかが始まってたみたいなんだわ」  ルナ様の話で『バストーニ家当主のヴェロン様は、体調不良で結婚式を欠席していた』と聞いた私は、ここ数ヶ月前から評判が低下しつつあるバストーニ商会の内部事情と、何か関連しているのではないかと考えていた。 「60歳近い年齢なら、そこまで不自然には思えんな」 「でもヴェロンは噂によると、ゴルフとかクリケットもやるくらい運動好きだったらしくてよ。それを考えると、普通のオッサンよりか体力的な健康寿命は長いはずだと思うんだよね〜」 「なるほど……だとしたら少し妙だな」  何か引っかかった私は立ち上がり、棚からファイルされた資料を取り出した。  そこにはバストーニ商会が手掛けている事業が羅列されており、上から指でなぞるように確認してみる。すると、気になる項目に目が止まった。 「井戸の掘削事業……水銀か」  そう呟くと、ホーキンが訝しんだ顔を浮かべた。 「水銀? それがどうかしたのかい?」 「地下水脈には人体に毒性のある水銀を多く含んでいることがある。自然に濾過された綺麗な水質ならば生活用水として使用できるが、水銀の含有量が多い場合は雑用水にしか使えない。水銀は月日をかけて摂取し続けると、慢性的な身体異常を引き起こすんだ」  終始真顔で聞いていたホーキンが、鼻の穴に指を突っ込む。 「あ~はいはいそういうことね。ちょっと何言いたいのか分かんない」 「恐らく、アレンは実の父親を毒殺しようとしている可能性がある。商会長の座を狙ってな……おい、人が説明してる時に鼻ほじるの辞めてくれないか」 「アレンがヴェロンに水銀を盛ってるってことか? でもそれがホントなら、とんだクレイジー野郎だな」 「現在、仮に最終決定をヴェロンがしていたとしても、寝たきりで意識が朦朧なのかも知れない。そうなると、商会の傍若無人な振る舞いはヴェロンの意思ではなく、ほぼアレン本人による独断で行われているはずだ」 「確かに、それなら色々と合点がいくわな。ホント、こんな叩くほどホコリが出る(やから)も珍しいぜ、まったく」 「まだ推測の域だから確信は持てない。ホーキンは引き続きアレンの動向を注意深く探ってくれ。周囲の人間も含めて念入りにな」  ホーキンが立ち上がると同時に、背伸びをしながら「あいよ」と返す。そのまま退室するのかと思いきや、どこか物言いたげな顔で私を見下ろしてきた。 「……何だ?」 「いや、なんつーかさ……やっぱルナちゃんのこと()()()()()()()ダメだったんかなぁ〜ってさ」  そうか。  どうやらホーキンは、未だに罪悪感を拭えていなかったようだ。 「ルナ様は()()()計画を遂行するために必要不可欠な存在だ。裏工作が始まっている今、もう後戻りは出来ない」 「わかっちゃいるけどよ〜。オレ達の都合良いように利用してるみてぇで、なんか申し訳ねぇっつうかさ……。ジュディちゃんだってルナちゃんのこと好きそうだし、けっこう複雑だと思うぜ? せめて計画のこと、教えてやってもよくねぇか?」  ジュディが私に不満を漏らすことはない。だがホーキンの言う通り、宝石店の業務を離れて工作員として潜伏している彼女の内心が穏やかでないのは、私とて理解しているつもりだ。 「ジュディは今自分がすべきことに専心している。お前の気乗りしない心境も解るが、ルナ様に計画を知られれば、正義感の強い彼女から反感を買うのは明らかだ。計画を穏便に実行するには、秘匿する以外に術はない」 「はいはい、親分が“手段を選ばない人間だ”ってのは重々承知してますよ〜」  溜息混じりに頭を撫でるホーキン。その矢先、何かを思い出したかのように指を立てた。 「あ、忘れるとこだった。もう一つ報告があるんだ」 「まだ何かあるのか?」 「何やら、ラ・コルネのことを嗅ぎ回ってる奴がいるみたいなんだわ。帳簿の写しを取られた形跡とかがあってよ」  確定申告の帳簿を?  役所の職員に強い人脈がなければ出来ない芸当だな。 「そうか……一体何者だ?」 「ディマルク侯爵家のレオナルドさ。知ってるだろ?」  レオナルド・ディマルク。  貿易業で幅を利かせているディマルク家の御曹司で、ルナ様の幼馴染だったはず。確かに侯爵家の人間ならば帳簿を手に入れるくらい造作もないだろうが、意外な人物が浮上してきた。 「ああ、無論だ。素性の調べはついてるのか?」 「もちろん。外見は高身長でガタイもよく、金髪碧眼で目が合った女を孕ませるレベルの男前。しかも、あの秀才が集まる名門パレルノ学園をダントツの成績で首席卒業した化け物よ。現在は父親の側近として、貿易商の経営を補佐してるらしいぜ。なぁ親分……紹介してるだけで自分の存在意義を見失うのは何で?」 「そう悲観するな。ホーキンには誰にも真似出来ない武器がある。しかし、少々厄介な相手だ。警戒されているとすれば“あっちの方”なのは間違いないだろうが、私が想定してたよりも早く嗅ぎつけられてしまったかも知れない」 「んで……どうする? 放っといて面倒になりそうなら、その筋のモン手配して消しとくか?」  ホーキンが一瞬鋭い目付きで瞳を光らせたが、私は軽く首を横に振った。ルナ様と幼馴染なら、上手く活用出来るかも知れん。 「いや、何かしら手段を使って接触してくるだろうが、そこは私が対応しよう。相手の出方次第だが、もし我々の計画を阻害してくるようなら、侯爵令息だろうと容赦しない」  そう口にした私は座席から立ち上がり、壁のフックにかけてあった黒いジャケットを羽織った。 「私は別件があるから事務室を閉める。もう夜中だ。お前も今日はゆっくり休め」 「お気遣いど~も。んじゃ、お言葉に甘えて一杯飲んできますわ」 「念を押しておくが一人で飲めよ。あと、ドアノブに触れる前に鼻へ突っ込んだ手を入念に滅菌洗浄しておけ」 「殺菌じゃなくて滅菌!? これだから潔癖症は――」 「潔癖症は関係ない。早くしろ。約束の時間に遅れる」  事務室の扉を開けると、手洗いを終えたホーキンは気怠そうに欠伸(あくび)をしながら退室した。  鍵を閉めた私は、飲み屋方面へ進んでいくホーキンの後ろ姿を見送った後、夜空に浮かぶ月を見上げた――。
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