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12.
「ルナ~、せんどぶりやな~!」
ブドウ農園の園主であるカルラおばさんが、私に笑顔で手を振りながら歩いてきた。走り寄ってカルラおばさんにガッツリと抱きつく。
「おばあちゃん! 元気にしてた!?」
「いつの間にかおせらしなったなぁ、うちは相変わらずやで~。会えて嬉しいわ!」
ここはマルキ領の中でも辺境に位置する農園で、レオ達の家族も昔よく訪れた思い出の場所。マルキ領の気候は夏は高温乾湿で冬は温暖湿潤となっており、ブドウの栽培に適している。
カルラおばさんの農園ではブドウの他にもオリーブやレモン、オレンジなども栽培している。私とレオは、子供の頃からよく採れたての果物を食べさせてもらっていた。
マルキ領地方独特の方言を使う農夫さん達。中でも、いつも笑顔を絶やさない優しいカルラおばさんが、昔から大好きだった――。
レオと会った次の日、彼の顔が頭から離れなかった私は、無性に彼との思い出の地が恋しくなっていた。
昨日のレオと過ごした時間は、嫌なことを全て忘れさせてくれるような、ときめきに溢れた時間だった。
私をナンパ男から救ってくれたり、甲殻アレルギーへの配慮をしてくれたりと、“いつからこんな男らしくなったんだろう”と疑問に思いながらも、ずっと顔が熱くて仕方なかった。
ただ、レオがラ・コルネに疑念を持っていることもすごく気になる。サイファーさん、裏工作で何か違法なことをしてなければいいのだけれど……――。
「ルナもまぁ……えらい目にあってもたねぇ。べっちょない?」
お父様が謝罪に来た際に、私が婚約破棄された話を聞いて悲しそうな表情をしたカルラおばさんは、俯く私を抱きしめて背中をポンポンと叩いてくれた。
「うん、もう大丈夫だよ! ごめんね、心配させちゃって」
「アレンとか言う男もそないな意地悪しよったら、いつか仕返しされっど!」
切り株にゆっくりと腰掛けたカルラおばさんは、昔を思い出すように遠くを見つめた。
「ルナはてっきり、レオと結婚するもんだと思とったわ。子供の頃『レオのお嫁さんになる!』いうて、約束しとったやん?」
貰ったオレンジを口に頬張った途端、私はプッと吹き出して動きを止めた。
「え……そうだったっけ?」
「忘れとったん? レオが悲しむやろて」
温厚なカルラおばさんと話しているだけで、心が癒されていく。思い出話をしていると、カルラおばさんは父の事を話し始めた。
「ルナのおとんも、昔からようここで遊んどったんど。ルナやレオみたいに、アホばっかりやっとったけどなぁ」
「本当? そんな風には見えないけどな~」
「今は当主として真面目やからね。今回の件も、新しい契約先を必死に探しまわってくれたんやって?」
「うん、お父様のおかげで何とか見つかりそうなの! でも、カルラおばさん達が作ってくれてるブドウじゃなかったら、こんな簡単にはいかなかったと思うよ!」
「そやけど苦労したやろに。頭が上がらんね」
お父様の頑張りは皆に伝わっている。それだけで、私は十分誇りに思えた。ここを“守りたい”と強く思う気持ちが、お父様の原動力なんだ――。
「ルナ、またいつでも会いに来てな」
「うん……今日はありがとう! ほなな」
帰り際に寂しさを残しつつも、私とカルラおばさんは再び抱き合った――。
夕方。自宅に帰宅した私は上着をメイドに渡すと、そのままリビングへ向かった。ところが、テーブルに向かって座っていたお父様に私が「ただいま帰りました」と告げても、返答がない。
不思議に思った私が、首を傾げながら尋ねてみる。
「お父様……どうかされたのですか?」
「ルナ……」
お父様は顔を顰めながら私を見上げ、4通の手紙をテーブルの上に並べて見せてきた。
「交渉で手応えのあった商会達が『今回の契約は見送らせて欲しい』と一斉に通達してきたんだ……」
「え……!?」
耳を疑った私が見開いて通達に目を通す。それはガルシア商会を筆頭に、商会達から一方的に交渉を打ち切る内容が綴られた手紙だった。
「どうして!? こちら側に何か不手際があったの!?」
「そんなはずはない! 理由はわからないが、一番好感触だったシモーネ商会ですら手のひらを返してきた。それにしても、同時に断ってくるなんておかしい……」
そう嘆いたお父様がテーブルに両肘を付いて頭を抱えた瞬間、
『徹底的に潰してやる……! ――』
と、アレンの言葉が私の脳裏をよぎった。
あいつだ……。
絶対アレンが何か裏で仕組んだんだ。
「お父様……私達はどうすれば」
「勿論このまま黙っている訳にはいかない。我が家も多少の蓄えはあるが、このまま契約先が見つからなければ、ブドウ農園の維持は半年も保たないだろう」
絶望感で項垂れるお父様の肩に、私は手を添える事しかできなかった――。
翌日の朝。
少し早めに起床した私は、身支度を整えた。ジュディさん直伝の化粧をし、鏡に映る自分の姿を見つめる。
私が……何とかしなきゃ。
「今日は何時に帰れるか分からない」と両親に言い残して車に乗った私は、アレンのいるバストーニ家の屋敷へと向かった――。
屋敷へ到着した私に、早速バストーニ家の執事のカストロさんが出迎えてきた。
「これは……ル、ルナ様ではございませんか!」
「アレンに話したいことがあるの。通してもらえる?」
悲劇となった結婚式を迎えるまでは、何度も訪れた屋敷。カストロさんとなんて、好きな女のタイプまで知っている間柄だ。
「え、ええ、では、ご案内致します」
「結構です。どこにいるか存じてますから」
案内などいらない。どうせアレンは部屋の椅子にふんぞり返って座っているはず。思い浮かべるだけで腹が立ってくる。
「おやおや……誰かと思えば俺と縁が切れたルナじゃないか。こんな所まで、わざわざどうした?」
思った通り部屋では彼が余裕の笑みで私を迎え入れ、脚を組んで座っていた。
「どうしたじゃないわよ……一体、何を仕掛けたの?」
「仕掛けた? 意味がわからん。何の話だ?」
「しらばっくれないで! 貴方、お父様が一生懸命交渉を進めていた商会に何かしら圧力かけたんでしょ? どうしてそんな嫌がらせするの!?」
怒りで強張る私とは反対に、アレンは口角を緩めて笑い始めた。
「ぷ、はははは! おいおい、何を言い出すかと思えば嫌がらせなんて人聞きの悪いこと言うなよ。こっちはちゃんと筋の通ったビジネスの話を持ちかけただけだぞ?」
「ビジネスですって……?」
「ああ、そうさ。『高価なマルキ産のブドウではなく、ラヴァンナ産の品種をこれから世に広めて行こう』とな。この俺の意見には、みんな快く賛同してくれたよ」
マルキ産のブドウは甘味が強く高品質なものの、栽培にはかなりの手前がかかるため、おのずとそれを原料に生成されたワインは高級となる。
方や、外来種であるラヴァンナ産ブドウはマルキ産と比べたら品質こそ劣るが、栽培が楽な分安価なため、一般庶民が飲むにはラヴァンナ産ワインが適している。
確かにラヴァンナ産のブドウも、需要があるにはある。しかし問題が。
「で、でも、ラヴァンナ産なんか4つの商会で販売するほどの収穫量なんて、まだ確保できないでしょ!?」
そう。ラヴァンナ産の苗は海外からの輸入量がまだ少なく、栽培している農家さんも限られているため、収穫量の確保が難しいはず。
「ん〜? 何か見落としてないか? 放っておいたら数ヶ月後に“広大な敷地”がバストーニ商会の手に入る。そこで栽培すればいいだけじゃないか」
「広大な敷地ってまさか……それが貴方の狙いだったの!?」
「まぁ、どこの領地かまでは、言わないでおくけどな」
彼の言わんとしていることを悟った私の全身に、ゾワッと鳥肌が立った瞬間だった。
アレンは私と結婚式を迎える数ヶ月ほど前から、お父様に対して「将来自分もマルキ領の繁栄に貢献したい」といって内部事情をやたら探っていた。マルキ家の資産がどれだけあるか、この時のために把握したかったんだ。
本当の悪魔が、目の前にいた。
「それでも、ラヴァンナ産のワインに肩入れし過ぎるなんて……賭けにしか思えないわ」
下唇を噛みながら苦言を呈すると、アレンは手をパンパンと叩いて嬉しそうに笑った。
「かぁ~、それ言うと思った! んじゃ、馬鹿な君に教えてやるよ。国の税金が上がる一方で、庶民からすれば高級ワインなんか余計手を出せなくなるだろ? これからは質より安さがモノを言う時代が来るんだ。ブドウ農園でのんびり昼寝ばかりしてるルナには、将来の事なんてどうせ分かんないだろうけどさ」
ダ、ダメだ。
このままじゃ、この男のペースに飲まれてしまう。
「貴方は、ワインを楽しむ心まで捨ててしまったのね……」
下を向いた私が声を窄めてそう言うと、アレンは肩をすくめて眉毛を上げた。
「はぁ? 所詮ワインなんかただの酒じゃねぇか。酔えれば何だっていいだろ。何寝ぼけたこと言ってんだお前」
私はついに、何も言い返せなくなった。
悔しい。
本当に悔しい。
虚無感で胸が締め付けられた私の目には、涙が浮かんでいた。カルラおばさんの笑顔が少しずつ滲んで色褪せてくる。
意を決した私は、小さな声でアレンに訴えた。
「私が……私が貴方の『愛人になる』って言ったら……?」
「……何?」
「愛人になることを受け入れれば、みんな助けてくれるんでしょ?」
断腸の思いをして出した提案を聞いたアレンが、ニヤリと嫌味な微笑みを浮かべる。
「は~なるほどね。その大人びた化粧はそういう事だったのか。ヤケに美人になったと思ったら……なるほどねぇ」
私の全身を舐め回すように眺めるアレンに「どうなの?」と再び訊くと。
「うん、君の勇気に拍手を送りたいよ。美しいじゃないか、自らマルキ領を救うために、命を捧げる聖女みたいでさ」
「じ、じゃあ――」
「でも残念~! 遅いよ、遅すぎたなルナ。もう今の俺に君は必要ないんだ。すまんな!」
椅子の肘掛けに両手を乗せたアレンは、背もたれに寄りかかった。
「必要ないって……どういうこと?」
「縁の切れた女に説明する必要もねぇだろ。さ、もう帰ってくれないか。俺は忙しいんだ」
「待って! お願いだから……!」
「デケェ声出すな馬鹿。隣の部屋で寝てる親父の身体に響くだろ? というか見苦しいんだわ。愛人に成り下がろうとは、お前も堕ちるとこまで堕ちたな」
「堕ちたくて堕ちたんじゃないわよ! 誰のせいでこうなったと思ってんの!? 貴方のせいで、こっちはもうメチャクチャなのよ!」
アレンと言い争っていると突如、部屋に誰かが入ってきた音が聞こえる。振り向いた私が目線を送った先には、杖をついた老人がいた。
「どうしたアレン……ん? 夫婦喧嘩か?」
掠れた声でそう言ったのは、バストーニ家当主のヴェロン様だった――。
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