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17.レオナルド
サイファーの元へ訪れる前に、俺は麻薬の入ったケースを持って父上の書斎へ報告に向かっていた。
「ラ・コルネの荷物から見つかっただと? ……間違いないのか?」
珍しく父上は眉を顰め、動揺するかのように目を泳がせた。今まで何度か進捗を途中報告してきたが、内心では信じていなかったのだろう。
「はい、検査薬を使用したところ、粉末の成分が麻薬と判明致しました。これからラ・コルネへ向かい、店長のサイファーと接触を試みます」
そう告げると、父上は天井を仰ぐように落胆する顔を見せてきた。
「そうか……とても残念だ。密輸してる可能性がある候補としてラ・コルネにチェックはしていたが、本当にサイファーがそんな下らん真似をするとは……信じられんな」
「なぜそこまで、彼に信頼を置かれるのですか?」
「信頼か……いや、これはどちらかと言えば恐れに近い感情だろう。私は彼と取引する契約を結んだ日を境に、何度か会談したことがある。だが、彼奴ほど腹の底が見えない人間は見たことがない。どこか、普通の人間には理解できない何かを見据えているような男だ。出来れば敵に回したくなかった」
机に座る父上は嘆息気味に俺を見上げ、憂いを帯びた表情を浮かべた。
「しかし、麻薬がラ・コルネの荷物から見つかってしまったのが事実ならば、背に腹は変えらん。レオナルド、奴と交えるのなら覚悟を決めておけ。あの男は普通じゃない」
「……はい、肝に銘じておきます」
「何かあっても責任は私が取る。お前の全てをぶつけてこい」
俺は少しの間を置いて「かしこまりました」と静かに返し、父上の書斎を後にした。だが、どこか腑に落ちない感情が纏わりつく。
たかが宝石商の男に、百戦錬磨の父上が怖気付くことなどあるのか?
始めはそう思っていた。ところが実際にサイファーと対立した俺は、父上が懸念していた彼の恐ろしさを、今になって痛感させられていた。
「俺がルナやあんたをどう思おうが、そんなもの今は関係ない。話を本題に戻すぞ。俺が挙げた仮説を聞いた上で今ラ・コルネの置かれている状況を、あんたはどう考えているんだ?」
惑わそうとしているのだろうが、奴の思い通りにはさせまいと、話題をすり替えて問う。そこへ、サイファーは余裕を見せ付けるかのように紅茶を口にした。
「ククク……確かに話を脱線させても埒があきませんね。では、なぜ当店のケースから麻薬が発見されたかについて、私からご説明致しましょう。まず、貴方様が提唱された2つ目の仮説通り、当店が何者かに狙われていることは間違いございませんよ」
「何だと!? どういうことだ!?」
自分で仮説を唱えておきながら、それが当たって驚きを露わにしてしまう俺。
「我々は当店に忍び寄る影の存在に気付き、約1ヶ月半前から調査を開始しておりました。その内容については後にご説明致しますが、容疑者として“ある人物”がすぐ浮上致しました」
「……誰だ? 勿体ぶらずに言え!」
声を張って結論を急かす。するとサイファーは急に立ち上がり、奥にある扉の前へ立った。
「焦らずともお教え致しますよ。レオナルド様、こちらへどうぞ」
サイファーが扉を開ける。疑心暗鬼になりながらもその先を覗くと、下へ降りる階段が見えた。
「……地下か」
「左様でございます」
一体何を見せる気だ?
いや、何が狙いか分からない以上、油断出来ない。
「待て。俺はまだあんたを信用していない。危険物を持ってないか確認させろ。あと、あんたにはこの手錠をかけさせてもらう」
「これは失敬。仰せのままに」
サイファーの身体を調べて凶器がないか確認した後、念押しで背中側に手を回させて手錠をかける。
階段を降りて現れた扉を開けると、ひんやりとした薄暗い地下空間に入った。
途端、俺は鳥肌が立った――コンクリートで造られた部屋は中央に裸電球がぶら下がっており、壁には拷問器具がズラリと揃えられていた。
そして部屋の中心には、恐らくサイファーの言っていた容疑者らしき人物が、頭に袋を被せられた状態で椅子に縛られている。
「な、なんだ……この部屋は!?」
「ご覧の通り“拷問部屋”ですよ。当店のお客様の中にはマフィア幹部の方もいらっしゃいます。『拷問器具を借りたい』とお願いしたら、二言返事でお借り出来ました。ここは元々物置部屋でしたが、目の前に座る男を尋問するため、一時的に拷問部屋としたのです」
眉一つ動かすことなく淡々と語るサイファーだが、男が座る椅子の周りには、夥しい量の血痕が残っていた。
いくら自分を陥れようとした相手でも、普通の素人がここまで追い込むことなど、精神的に考えて出来やしない。
戦慄した俺は、急に言葉を返せなくなった。
「レオナルド様。手錠をかけられた私の代わりに、その男の袋を取って頂けませんか?」
仕方なく深呼吸した俺は男に近づいて、頭に被せてある袋を取り上げた。
「お前は……!」
そこにいたのは――貿易船の乗組員で運搬係を勤めるチェルソだった。
「ぐ……レ、レオナルド様……?」
顔面が変形するほど殴打され、椅子に縛り付けられた手の指先は爪が全て剥がされている。
その残虐な仕打ちに俺は見るに耐えかね、目を逸らすように振り返ってサイファーを見遣った。
「まさか……ウチの従業員が犯人だったというのかッ!?」
「いいえ。こいつは我々のケースに麻薬を仕込んだ裏切り者ですが、真に追っている犯人ではございませんよ」
「何だと?」
「そいつは犯人の息が掛かった、ただの工作員です」
「工作員? なぜこいつが仕込んだと分かった?」
「罠を仕掛けたんですよ。私の部下を貿易船に侵入させ、ケースの暗証番号が記載されたメモをわざと船内に落とさせました」
「そんな物をわざと落としたところで、上手く引っ掛かるのか?」
「集合して昼食を取る運搬係全員の前で落としたのです。そしてメモに書いてあったのは“12桁の記号と数字”。当店に濡れ衣を着せようとするのなら、ケースの暗証番号が12桁あるのは承知しているはず。このメモを見て察しないような馬鹿は、工作員として失格ですよ」
「それでメモを見たチェルソが荷物に近づいて、麻薬を仕込んだのか……」
「はい。その決定的瞬間を待つため、ウチの部下が隠れて荷物を監視しておりました。そうとも知らずに、チェルソはノコノコと簡単に罠にかかった、という筋書きです」
「……クソッ、そういうことか」
一体、どういう思考回路をしてるんだこの男は。相手の目論見を完全に予測できなければ、到底不可能な芸当だぞ。
「ところが、本来なら港に着いたケースを3時間後に受け取る予定が、レオナルド様に先を越されてしまいました。正直、この件はディマルク家のご当主であるフェルナンド様が動くだろうと読んでおりましたが、御令息のレオナルド様が来られるとは大誤算です。予定も大幅に狂ってしまいました。正直に申し上げて、貴方様に対しては最近まで完全に無警戒でしたので驚愕致しましたよ。あのロックをたったの3時間で解除されてしまうとは」
「そんなお世辞なんてどうでもいい。それで、チェルソは犯人が誰か吐いたのか……?」
「はい。“変装が得意な部下”を使ったら、すぐに吐きましたよ」
サイファーはそう告げると、チェルソにどうやって犯人の名を吐かせたか、その経緯を説明し始めた――。
「まだ黙っているおつもりですか? もう脚の爪しか残っておりませんが」
「だ、だから……僕は何も知らないと言ってるだろ!」
「ならば仕方ありませんね。おい」
私の呼び掛けで扉から顔を出したのは、顔中が傷だらのアレンに変装したホーキンだ。そこを、他の部下が縄で縛ったホーキンを蹴り飛ばして床に転がす。
「……アレン……様?」
「おい、チェルソ……俺達は、もうダメだ……全員こいつらに殺される」
「殺される……?」
「ええ、貴方とアレン様は当店に汚名を着せようとした罪で海に沈んで頂きます。あ、もちろん魚が食べやすいよう腹に切れ込みを入れて、内臓を引っ張り出しておきますがね」
絶句していたチェルソに対して私が見下すように脅すと、彼は椅子が転倒するほど暴れ始めた。
「そんな……ちょ、ちょっと待ってくれ! 僕はアレン様から『ラ・コルネのケースに麻薬を仕込め』と頼まれただけだ! 金は返すから、頼む、命だけは助けてくれ!」
私が腕を組んで溜息を吐くと、床に伏せていたホーキンが顔を綻ばせた笑みを浮かべた――。
「黒幕は、アレンだったのか……!」
俺は話を聞き終えると、脱力して壁に寄りかかった。
アレン、お前という男はどこまで性根が腐ってるんだ……!
「それでは犯人も判明したことですし、応接室に戻ってお話の続きを致しましょう」
踵を返したサイファーが、応接室へ上がる階段に一歩足を乗せる。そこへ、チェルソが俺に『助けて下さい』と言わんばかりの視線を送って来た。
確かこいつには病気で倒れた母がいる。
治療費のために金が必要だったところを、アレンにつけ込まれたんだ。
「いやちょっと待て。このチェルソをどうするつもりだ? 充分に罰は受けたはずだ……もう解放してやってくれ」
俺の声に反応したサイファーが無表情で振り返る。
「それはお断りさせて頂きます。先程お話した通り、彼は内臓を引き裂いて海に沈めます。まぁ、実際にはそういう業者に委託致しますが」
「し、正気か貴様!? なぜそこまでする必要がある!? こいつはただ、アレンに利用されていただけなんだぞ!?」
大声でチェルソを助けるよう促すと、サイファーは鋭利な眼で睨んできた。
「随分とお優しいのですねレオナルド様。しかし、彼はあなたの会社も裏切っているのですよ? 仮に解放したとしても、私はラ・コルネの店長としてチェルソを正式に提訴致します。そうすればいずれ、その裁判沙汰の騒ぎは陛下の耳にも届くことでしょう」
「陛下……」
「もうお解りですよね? そうなれば、社員の不祥事を未然に防げなかった貿易運航会社として、貴方様の父君の信用は間違いなく失墜致しますが」
「そ、それはッ……!」
「それでも、本当に裏切り者のチェルソを自己満足の温情で解放したいと仰るのなら、誰がどう見ても正気を疑われるのは貴方様の方です」
怒涛の言葉責めを受けて押し黙った俺に、サイファーはゆっくり近づき、耳元で小さく囁いてきた。
「たった今、3つ目の仮説が思い浮かびましたよ。もしや、貴方様がアレン様と結託して当店とフェルナンド様を陥れた挙句、自分にとって都合の良い状況を作ろうとされているのでは? だとしたら、貴方様は相当な悪人ですね……クククク」
その瞬間、恐怖で背筋が凍りついた俺は、何も返せずに立ちすくんだ。弓矢をたった一本打っただけで、即座に城が崩壊するほどの大砲を撃ち込まれた感覚に襲われる。
もう……もう、ダメだ……。
こいつには……絶対に敵わない。
俺程度では、勝てる気がしない――。
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