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「ルナ。君は学園で在学中、このフェネッカに対して酷いこと吐いたそうだな。それ以来、彼女は誰にも相談出来ずにひたすら我慢していたんだぞ?」 「……酷いこととは、一体何のことでございましょう?」  全く身に覚えのない話に困惑しながら聞き返すと、フェネッカが溜息を吐きつつ首を振った。 「しらばっくれないで頂きたいわ。貴女、私に『もっと空気を読みなさい』だの『協調性を持って謙虚になりなさい』だの、みんなの前で偉そうに説教してきましたわよね? 子爵令嬢の分際で」  それを指摘された私はハッとした。  確かに、余りにもフェネッカの素行に苛立ってしまった私は、みんなが注目する教室で彼女を叱責したことがある。 「そ、それは申し上げましたけれど……だって、学園にいた頃の貴女の言動は、誰が見ても目に余るほどでしたから」 「そういう“自分は正しい”みたいな上から目線が鼻につくのですわ。同級生の皆さんも仰っていましたわよ? 『ルナはアレン様と婚約して調子に乗ってる』って。実際そうだったワケでしょ?」 「そ、そんなこと……!」  途端、言葉を詰まらせてしまった私。  その場にいた全員の冷たい視線が突き刺さるように痛くて、言い返せなくなってしまったのだ。すると今度は、腕を組んでいたアレン様が口を開いた。 「フェネッカからそれを耳にした時、私は君のことを本当に見損なったよ。まさか、そんなことをする性悪女だとは思いもしなかった」 「しょ、性悪女ですって……?」 「それと今日のことは、ここにいる全員に前もって通知済みでな。自分の結婚式だと思っていたのは、この会場で君らだけだったのさ」  私に有無を言わさぬ勢いで、アレン様は演劇の俳優かのような身振り手振りで続けた。 「しかし、婚約破棄に至る理由はそれだけではない。そこにいるマルキ卿が、ウチの商会に対して“反抗的な態度”を取っているのも気に入らないのだ」  急に矛先を向けられたお父様が顔色を真っ青にして、唇を震わせながら尋ねる。 「わ、私ですか? は、反抗的な態度とは……?」 「マルキ産ブドウの価格交渉の件さ。俺から『もう少し協力して欲しい』と丁重に要求したにも関わらず、頑として突っぱねたじゃないか。自分の懐を肥やしたいという薄汚い魂胆を曝けおって」 「薄汚いなんてまさか……! アレン様からは一方的に価格の引き下げを要求されまして、私は『これでは経営が成り立たない』と、恐れながらバストーニ卿へ申し立てに行ったまででございます!」  アレン様と婚約を結んだ際に、当家の農園経営をバストーニ家へ譲渡するかどうかの打診があったが、農家と親密な関係を築いていたお父様はそれを断った。  その代わりに商会へ納めるブドウの納品価格は、殆ど利益がない状態まで引き下げる形でマルキ家が譲歩した。  ところが2ヶ月前。  アレン様は私を通さず、直接お父様に対してブドウ価格を『さらに2割下げてくれ』と、いきなり無理難題を直談判してきたのだ。  さすがの私もそれには「先に相談して下されば良かったのに!」と目くじらを立てた。しかし、彼からは「女が口を出すことじゃない」と呆気なくあしらわれてしまった。  その態度にはムッとしたけれど、負けず嫌いな気質を持つアレン様をそれ以上刺激する訳にもいかず、何も言えなかった――。  結局、当時その件は曖昧な雰囲気で流れてしまっていたが、アレン様は根に持っていた様子。 「この場に及んで楯突くとは。親子揃ってこれ以上無様を晒すな。だがもう心配はいらない。ペンツォ家がこちらの提示する条件を快く満たしてくれたからな。間に入って交渉してくれたフェネッカのおかげさ」 「えッ、ペンツォ家が……!?」  驚愕するお父様を他所に、アレン様がフェネッカの肩を抱き寄せる。聞き捨てならない台詞に、私は酷く眉間に皺を寄せた。  ペンツォ家もウチと同じくブドウ栽培を生業としており、広大な敷地を保有している。しかし、そこで作られているブドウの品種はバラバラで、どれもマルキ産と比べたら品質も劣っていた。  ところが、アレン様は値段交渉が上手くいかなかったマルキ産ブドウの代わりに、ペンツォ家のブドウを安値で仕入れると告げてきたのだ。  頬を赤めたフェネッカが目を瞑ると、彼は誇らしげな笑みを浮かべた。 「結婚は互いに支え合うものだろう? それは両家も同じことだ。俺はフェネッカを愛している。そして我が商会も、これからはペンツォ家と共に歩むことにした。これは父上も認めた決定事項だ」 「そ、そんな……」  愕然として膝から崩れ落ちたお父様が悔しそうに表情を歪め、それに寄り添うようにお母様が肩に手を添える。  傍らにいた私は――腹の底から黒い油が湧き出るような、鈍く重苦しい怒りが込み上げてきていた。  ……どういう神経してるの?  例えこちら側に非があったとしても、わざわざ公衆の面前でここまでする必要なんてある?  下唇を噛んだ私は一歩前へ出て、お父様とお母様をみんなの視線から隠した。 「そこまで仰るのなら、もういいですわ。2人の幸せを陰ながら祈っております。お父様、お母様、行きましょう」  貴方がフェネッカを選ぶというのなら、これ以上議論する余地なんてない。  平然を装ってアレン様との決別を口にした私は、呆然とする両親の手を引き、急ぎ足で結婚式会場を後にした――。  家に帰宅した私は、意気消沈する両親に「私は大丈夫だから、心配しないで」と強がりな言葉を残して自室に戻った。 「ド、ドレス……こちらに置いておきますね」 「ええ」  メイドが気不味そうに置いていったウェディングドレスが、まるで他人の私物かのように眺める。 『さすがルナだな。君は美しいから純白のドレスがよく映えるよ――』  私のドレス姿を見た、アレン様の嬉しそうな笑顔が蘇る。  納得するまで何度も試着して決めたウェディングドレスや、宝石店で選んだティアラとネックレスを見つめる瞳に、じわじわと涙が滲む。  どうしてこうなったんだろう。  夢でも見ていたんだろうか。  思い返せば、私はフェネッカが言うように皆から疎まれる存在になっていたのか。心のどこかで“男を自分のステータス”のように着飾り、自慢げに振る舞っていたのかも知れない。  それに、思ったことを、感情に身を任せて直接言ってしまう私。もちろん、それで傷付けてしまった子も何人かいるのだろう。恐らくフェネッカもその内の一人だったはず。  でも、やっぱり悔しい。  今だに信じることができない。  せめて、結婚式をする前に言って欲しかった。  スルスルと私の両手から『幸せ』という感情が抜け落ちていく。いつの間にか、私の頬には涙が伝っていた。  ずっと泣くのを我慢していた。  両親の前では泣けないと。  溢れる涙が止まらない。  壇上から私を見下ろすアレン様とフェネッカの笑みが脳裏に浮かんだ瞬間、私の時が止まった。 「……2人の幸せを祈るですって?」  よくそんな捨て台詞が吐けたものだと、自分の事ながら呆れてしまう――。
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