23.

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 事務室で心配そうな表情をするジュディさんを他所に、私は疑問に思っていたことをサイファーさんへ投げかけた。 「この作戦なんですけど、アレンとジュディさんが情事中の306号室に、工作員カップルが“後から入ってしまう”というパターンではダメなのでしょうか? 敢えて先に待機しておく理由って、何ですか?」  計画冒頭についての説明を受けた時、私はすぐにもっと自然な方法があるんじゃないかと思っていた。  ところが、サイファーさんはそれを待ってましたと言わんばかりに、小さく微笑んだ。 「クククク……ごもっともなご指摘です。それでは、何故工作員カップルが先行して潜む必要があるのかをご説明致しましょう」 「はい……」 「ルナ様とカップル役として潜む男性工作員は、ラグナさんという最高裁判長なのです。彼には事の一部始終を全て見届けて頂く必要がございますので、先行して隠れていてもらわねばならない、という訳です」  返す言葉が見つからなかった。  不貞に限らず、性加害による訴訟問題は事実関係を立証するまでにかなりの労力を費やすため、判決が下るまでに何年もかかってしまうことが多い。  目撃証言などを提出しても、証拠類の複雑さが法律的側面として適用されるまでに多くの議論が必要だから。  しかし、判決を下す裁判官が直接現場を目撃をして、事情を把握している“特殊なケース”になると話は別だ、とサイファーさんは語った。  この人を敵に回したら命はないな――と、恐怖を感じざるを得なかった。不貞現場に最高裁判長を召喚するなんてこと、並の人脈では不可能に近い。  サイファーさんって、一体何者なの……?  そんな新たに生まれた疑問を抱きつつも、私は納得して黙り込んだ――。 「最高……裁判長だと……?」  顔面蒼白となったアレンが後退りする。そんな彼に、サイファーさんは追い打ちをかけるように続けた。 「先ほど『裁判がどうこう』と能書を垂れておられましたが、まさか裁判長が目の前にいるとも知らずに語っておられたので?」 「こ、このオッサンが……」 「ちなみに、裁判官が現場で直接犯行を目撃することにはもう一つ利点がございます。法廷では裁判官からどれだけ質問を重ねたとしても、被告の本心を完全に見抜くことは不可能です。なぜなら裁判官の心象を欺くために、反省している演技をして媚びへつらう者が大多数ですからね。むしろ隠れた本性を掴むには、こういった場の方が非常に分かり易い」  サイファーさんに続いて、今度はラグナさんがアレンに向けて冷徹な視線を送った。 「偶然とはいえ事の一部始終を傍観させてもらったが、アレン・バストーニの本性はよく判った。反省の色など微塵も見られず、中身は骨の髄まで腐り切った人間だということがな」  それを聞いたアレンは、ヘタレ込むようにベッドに座ると、右手で茶髪の前髪を掻き上げた。 「……まさかルナの男が……クソ、ふざけやがって……!」  私はふと、その場にホーキンさんがいないことに気付いた。    わかった……!  もしかしてラグナさんは、変装したホーキンさんなんじゃない!? 「アレン様。もう言い逃れは出来ませんが、いかがなされますか?」  サイファーさんが歯を食いしばって悔しがるアレンにそう問うと、長い間頭を抱えて黙っていたアレンが天井を仰いで大きな溜息を吐く。 「ふぅ……もういい、好きに訴えろよ。全部認めてやっから」  うわ……!  あのアレンが、私の前で初めて負けを認めた……!  サイファーさん、本当にすごい。 「おや、宜しいのですか?」  私が胸を撫で下ろすと、サイファーさんが念押しで確認した。ところが、アレンは違和感のある笑みを返してきた。 「はい~、宜しいですよ~」  え、何この態度?   なんか様子が変。 「ち、ちょっとアレン……どういうつもり? 何を企んでるの?」 「別に何も企んでねぇよ馬鹿。俺は不貞行為が認められようと、全然痛くも痒くもねぇんだわ」 「どういうこと?」 「どうせただフェネッカに慰謝料払って離婚して終わりだろ? 不貞の慰謝料なんてタカが知れてるっつの。そんなもん、バストーニ商会引っ張ってる俺からすれば全然大したことねぇんだわ。ぶっちゃけ、俺と結ばれたい女なんか他にも山ほどいるし」  淡々と負け惜しみのように語るアレンを、みんなは呆れ顔で聞くしかなかった。一方で私は顔を引き攣らせていた。  なんて図太い奴。 「お前ら全員これで俺が『参った』すると勝手に誤解してただろ? 必死こいてお仕置きを目論んでたようだが、アテが外れて残念だったなぁ。心中お察し致します~」 「ほう、そうきましたか」  サイファーさんですら、顎に手を添えて神妙な面持ちをしている。  そうこうしていると、ドレスを着たジュディさんが戻ってきて、扉のすぐ横の壁に寄りかかって下を向いた。アレンはそんな彼女をまじまじと見ていた。 「というかサイファーだっけ? あんたもしかしてジュディのこと好きなんじゃねぇの? どうなんだよ?」  唐突に意表を突いた問いかけに、サイファーさんがピクリと眉間に皺を寄せる。 「やっぱ図星か……こんな上玉の従業員がずっと側で働いてて、何も思わねぇ男なんざいねぇよ。でもダメだろ~、放っておいちゃ。残念だけど、もうジュディは俺の女になっちまったんだわ」 「なるほど、これは誤算でしたね」  サイファーさんが正面を向いたまま視線だけジュディさんへ送ると、彼女もサイファーさんを綺麗な瞳で見つめ返した。  その2人はどこか、愛し合う者同士に見えた。  え、嘘……?  サイファーさんって……。 「っていうかさ、ジュディとのお楽しみはこれからだったんだよ。お前らは俺らが交わってるところ、間近で指咥えて見てろや。何なら一緒にヤるか? 俺は大歓迎だぜ~」  こいつホント馬鹿。  信じらんない。  この期に及んでまだそんなこと。  しかしその後、サイファーさんは鋭い目付きで眼鏡の縁を指で抑えながら、衝撃的な言葉を放った。 「仕方ありませんね。そこまで貴方様がジュディを『まだ抱きたい』と仰るのなら、私は構いませんよ」  途端に困惑したジュディさんが手で口を覆い、全員の視線がサイファーさんに釘付けとなった。  サイファーさん……何言ってるの?  誰もが耳を疑うサイファーさんの言葉によって、私の体は思いっきり硬直してしまった。対してアレンの顔は嫌味たらしく綻んでいる。 「ああ~そう!? そんな強がり言って本当にいいのか!? 後悔すんなよ~」  挑発するようにアレンが舌を出す。そこへ、サイファーさんがゆっくりと腕を上げて人差し指を立てた。 「但し、1つだけ条件がございます」 「は? 条件?」 「ジュディを抱くのであれば、彼女からの承諾を得てからにして頂けませんか? 今、私達の目の前で」 「何だそれ? そんなもん、必要ね――」  肩をすくめて言いかけたアレンは、ジュディさんを見た途端に言葉を詰まらせた。視線の先にいるジュディさんが酷く震えていたからだ。 「さぁ、早く承諾を得て下さい。先程も情事に致っておられたのなら、簡単なことでは?」 「いやちょっと待て。よ……よくよく考えたら、こ、こんな大勢の前でヤるのは、俺が平気でもジュディが無理だろ? ほ、ほら見ろよ! すげぇ震えてんじゃねぇか」 「ならば怯えるジュディのために、優しく寄り添って上げて下さい。貴方様に彼女が慕っているのなら、触れることくらい可能なはずです」  アレンは「お、おう」と自信なさげに短く返して、ジュディさんにゆっくりと近づいた。そして、彼女に手を伸ばした瞬間。 「やめて……触らないで……!」   身を仰反るようにして、ジュディさんがアレンから離れる。 「な、何言ってんだよ、おい……ジュディ!」  アレンが顔を歪めると、様子を見ていたサイファーさんが嘆息気味に口を開いた。 「ふむ。どう見ても彼女は貴方様に対して恋心など抱いておられないご様子ですが。これは一体どういうことでしょうか?」 「こ、こっちが聞きたいわ。何がどうなってんだよ……」 「私はアレン様が“ただ不貞を犯した”と思っていたのですが、どうやら見当違いだったようですね」 「何が言いてぇんだ……ハッキリ言え!」  軽く首を振ったサイファーさんが、真剣な面持ちでアレンを睨みつける。 「もしや貴方様は、嫌がるジュディを()()()()犯したのではございませんか? それは歴とした強姦ですよ?」 「……ちょ、ちょと待て……待て待て! そ、そんなワケねぇ! さっきはこの女も乗り気だったはずだ! な、なぁそうだろ!?」  慌てふためくアレンが救いを求めるようにジュディさんを見遣ると、彼女は下を向いて答えた。 「私……一言も『抱いていい』だなんて許可してません……ホント気持ち悪い。超吐きそう」 「い、いや、は? 何でだよ!? そんなこと言うくらいなら、もっと抵抗するだろ普通!?」 「男の力に敵うわけないじゃない。今でも怖くて怖くて寒気がするの。あ〜キモ」  全身が脱力したように、アレンの体がフラついた。 「おいおいおい……どうなってんだよ……」  確かに、さっきのジュディさんはずっと嫌がってた。例え演技だったとしても、目を覆いたくなるほど悲惨な光景だったけれど。 「それはこちらの台詞ですよ、アレン様。本当に、懲りない方ですね……」  小さな声でそう囁いたサイファーさんが、憂いを含んだ表情でジュディさんを見つめる。 「ジュディは元夫から暴力を受けていた過去があるのです。そこから男性不信となってしまった彼女は、毎日辛い日々を送っていました。ですが、彼女はこのままではいけないと感じ、少しでも前に進もうと意を決して社交界に出席したのです。そんな中で、ジュディは貴方様と()()()()として出会いました。しかし、仲を深めていくうちに、最初こそ既婚者であるアレン様と密な交流をすることに抵抗はあったはず。それでも『結婚しているのなら、私に手を出すことはないだろう』と、ジュディは貴方様を信じていたのです」 「信じていた……だと?」  アレンが呆気に取られた顔をする。サイファーさんは瞬きを一つしてから、冷たい視線を送った。 「はい。ジュディは貴方様に対して友人として接することで、少しずつ男性不信を克服しようと努力しておりました。ところが『ジュディは絶対自分に惚れている』と思い上がっていた貴方様は、そんな彼女のひたむきな想いを無惨にも踏みにじったのです。私は彼女の上司として、貴方様の愚行を看過することは出来ません」  唖然としたアレンがそっとジュディさんを見つめる。そして、彼女のアメジスト色の瞳から、一筋の涙がほろりと溢れ落ちた――。
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