31.レオナルド

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31.レオナルド

「さぁて……ではこの騒ぎにも、そろそろ幕を下そうじゃないか」  突然そう口火を切ったのは、煙草を灰皿に押し付けて消したビアンカだった。 「サイファー、結局宙吊りになっている猿野郎の後始末は、どうするつもりなんだ?」  尋ねられたサイファーがゆっくりと顔を上げる。 「いえ……特に決まっておりません」 「ならば、そいつの命は私が預かろう」  言い放ったビアンカは、リボルバーの銃口を――アレンへ向けた。  ヒッと悲鳴を上げて青ざめるアレンへ向け、ビアンカが少しずつ詰め寄る。そして、彼の前にしゃがみ込んだ。 「最初から気に入らなかったのさ。貴様の態度はやたらと私の鼻につくんだよ。何故だか解るか?」 「……い、いえ」 「“自分は凄い男”だと自己陶酔しているのが見え見えだからだ。大した力も持たぬ癖に先代の家督利権を貪ってスネをかじる輩は、頭を下げることを知らん。資本主義社会となって貧富格差が広がるこの腐敗した世界では、謙虚に生きる奴の方が長生きするんだよ。貴様のように粋がって、背伸びばかりする強欲に溺れた馬鹿は――」  アレンの額に、リボルバーの先端が突きつけられる。 「――凶弾に頭を撃ち抜かれてしまうからな」  ビアンカがカチッと撃鉄を起こした途端、即座にサイファーが声をかけた。 「お辞め下さい、ビアンカ様。さすがにそれはやり過ぎです。裁判長の御前ですよ」  額に汗を流して忠告するサイファーを一瞥(いちべつ)したビアンカだったが。 「ふん、国の犬と化した裁判長が怖くてマフィアなんぞ務まらんさ。それにラグナは私に借りがある。これから何をしようと、その無愛想な男は一切口を出すことなど出来んさ。そうだろう、ラグナ・サヴェッリ」 「……」  ラグナさんが黙り込んだまま、神妙な顔で何も返せないでいる。ビアンカのいう借りが何かまでは不明だが、相当な圧力があるのは確かなようだ。  そして、ビアンカが引金に指をかけた瞬間――突如ルナが、彼女の持つリボルバーを抑えるように掴んだ。 「ちょっと待って下さい、ビアンカさん」  ルナに見下ろされたビアンカの片眉が、不機嫌そうに吊り上がる。驚愕した俺はすぐさま叫んだ。 「ルナッ! おま、な、何してんだ、死にたいのか!?」  しかしルナは俺を見ることなく、ビアンカから視線を逸らさなかった。 「何だ、小娘」 「アレンは私の獲物です。か、勝手に横取りしないで下さい」 「獲物?」  しゃがんでいた姿勢からビアンカは立ち上がると、ルナより頭一つ分高い位置から、冷酷な表情をしつつ彼女を見下ろした。  しかし、ルナは一歩も引かなかった。 「サイファーさんから話を聞かれた通り、私はアレンに婚約破棄されて、他にも色んな仕打ちを受けました。だから、私は彼に復讐したいんです」 「復讐ねぇ」  すると、ビアンカはルナをその威圧感で少しずつ壁際まで追いやった。そして、壁に手をついて顔を寸前まで近づけると、ルナの瞳を睨みつけた。 「偉そうな事を言う割には、周りの人間に頼った他力本願で奴を陥れようとしているように見えたが? 貴様の言う復讐とやらも、陰気臭い悪意に満ちた所業じゃないか」  リボルバーの銃口がルナの首元に上向きで突かれる。だが、それでもルナは臆せず返した。 「……当然です」 「何?」 「私は悪魔に魂を売ったんですもの。目的のためなら、手段を選びません」 「悪魔に魂を売った? ……あっはっはっはっはっは!」  急に天井を仰いで高笑いし始めたビアンカを見たルナが「何がおかしいんですか……?」と困惑した顔で訊くと、ふわりとルナから離れたビアンカが振り向き、微笑みながら肩越しに応える。 「ふふふ、気に入ったぞ小娘。通りでこの私に啖呵を切れる訳だ。良かろう、アレンの命は貴様の好きにすればいい。もし『殺せ』というのなら、今ここで私が殺してやる」  ビアンカの銃口がルナから離れたことでホッと胸を撫で下ろした俺をよそに、ルナはアレンとチェルソを見つめた。 「いいえ……そんなことしません。アレンとチェルソさんには、法律に則った然るべき罰を受けてもらいます。だからこんなものも、必要ありません」  そう言って、彼女はサイファーがさっき作成した誓約書を手に取るや否や、ビリビリと引き裂いて破り捨てた。 「アレン、もういいでしょ? この譲渡誓約書にサインしてくれない?」  ルナが床に手を付くアレンの前へ、ふわっと書類とペンを置く。しばらくそれを見つめて沈黙していたアレンだったが。  何も言わずに――涙を流しながら、譲渡誓約書にサインした。  それは誰もが目を見張る光景だった。あそこまで頑なに拒み続けて来た人間が、全てを受け入れた瞬間だったからだ。  アレンは……ルナの言葉に突き動かされたのか?  そこへ、成り行きを傍観していたビアンカが小さく鼻を鳴らす。 「ふん、めでたく解決したところに水を差すようだが、貴様らが騒いだおかげで、このホテルに()()()が発生していることを忘れてはおるまいな?」  クソ、やはりそこを突いてきたか。  本当に水差しやがって……!  火事場で大変なところに脇からタカリにくるとは、やはりマフィアのやることは、えげつなさが極まっている。そこへ、太々しく腕を組むビアンカにルナが対峙した。 「もちろん忘れておりませんわ。今回の騒動は私が責任を持って、ロカテッリ・ファミリーの皆さんに損害賠償をお支払い致します。それで『大損失』と仰ってましたけれど、いくらお支払いすれば済むのでしょうか?」  慌てた俺が「ま、待てルナ!」と呼び止めても、ルナは首を振ってニコリと笑った。どうやら、彼女は別れさせ屋に依頼したクライアントとして責任を取るつもりらしいが……。 「そうだな、7000万リラといったところか。これは即金で支払ってもらう」  7000万ッ!?    聞き捨てならない額を耳にした俺は、すかさずルナとビアンカの間に割って入った。 「ビアンカさん、それは吹っ掛け過ぎじゃないですか!? たかが騒音被害を出しただけで、そこまで法外な賠償請求を受ける言われはないでしょ!?」 「ち、ちょっとレオ!」 「ルナは黙っててくれ!」  目をパチクリさせるルナを尻目に、正面のビアンカに視線を戻す。ビアンカは再び煙草に火を付けると、冷たい眼差しを向けてきた。 「キャンセルしたのは()()()()ではない。巨額のやり取りを控えた商談相手だったのだ。その先方とは取引額が1億を越えるような話をするはずだったが、貴様らのせいで腹を立てて帰ってしまった。こうなってしまえば、どれだけ弁明しても商談の雲行きが怪しくなるのは避けれまい。言いたいことは分かるな? レオナルド・ディマルク」  チッ、俺のこと知ってたのか! 「7000万は……控えめに請求してるとでも?」 「無論だ。商談が必ず成功していたとも言えんからな。仮にマルキ家が支払えないというのなら、小娘には娼婦として一生身を捧げて貰うだけだ。簡単な話だろう? それとも、ディマルク家が肩代わりでもしてくれるのか?」  ふざけるな。  ルナを娼婦にするなんてあり得ない。  無論、ディマルク家が代わりに支払うことは不可能ではない。  だが、こんな滅茶苦茶な要求に応えること自体間違っている。父上に相談したところで『相手にするな』と一蹴されるのが関の山。とはいえ、この場を適当に誤魔化して金をすっぽかしたりでもしたら、ビアンカが何をしでかすか分かったもんじゃない。  クソッ!  せっかくルナを助けにきたのに、八方塞がりじゃないか!  一体どうすれば……!  俺は助けを求めるようにサイファーをチラリと見た。しかしそこでは、目を疑うような意外なことが起こっていた。 「店長。この焼き菓子、すごく上品で美味しいですね。さすがブレネスキって感じです」 「うむ。海外から取り寄せているようだな」 「んじゃオレはピザでも食お……カッチカチに冷えてやがるッ!」    サイファー達3人がテーブルを囲んで、備え付けの紅茶を飲みながらソファで寛いでいる。  お、お茶ーッ!?  え、今ッ!?  嘘だろ、今じゃなきゃダメなのかそれ!?  俺は夢でも見ているのか。  というか、一仕事終えたら後は我関せずなのか、あいつら……?  余りにも場違いな雰囲気を醸し出すラ・コルネの連中を目にして、呆然と立ち尽す俺。すると、ルナが肩を叩いてきた。 「レオ! これは私とビアンカさんの話だから、引っ込んでて」 「い、いや、でもルナ」 「いいから! 大丈夫だから!」 「何!?」  強引に俺の袖を引っ張って前に出たルナは、深く息を吸ってビアンカに向けて話始めた。   「えっと……結論からいうと、7000万なんて大金を支払うことは出来ません」 「……何を言い出すかと思えば、随分と逃げ腰じゃないか。それで? 娼婦になる覚悟でも決めたのか?」 「違います。お金を払えない代わりに、ロカテッリ・ファミリーの皆さんを、毎年の暮れにマルキ家へご招待して“ワイン飲み放題の会”を開くというのは……い、いかがでしょうか?」  顔色を窺うように、ルナが唇をきゅっと結ぶ。  ワイン飲み放題!?  そんな代替え案が通る訳ないだろッ!?  大体、何年間招待するつもりなんだよ!?  と思いきや、ビアンカが意外な反応を示し出す。 「ほう、飲み放題か……悪くない。人数と時間の制限は?」 「制限ですか? じ、10人くらいで60分とか?」  途端、顎に手を添えていたビアンカの鋭利な眼差しが、ルナを貫く勢いで飛んでくる。 「あ、間違えました……ん~と、り、両方無制限……?」 「ヨシ乗ったッ」  不意に両膝を叩いたビアンカに「え、ホントですか!?」とルナが歓喜した矢先、大男が割って入って彼女に耳打ちをし出した。  どうやらビアンカにはもう時間がないらしく、飲み放題の件の詳細は後日決めることとなる。とりあえず、アレンとチェルソは提訴する準備が整うまで、ロカテッリで預かってもらうことになった。 「連絡先はここに記してあるから、急用が有れば電話をよこせ」  ソファから立ち上がったビアンカが、懐から出した名刺をルナに手渡す。 「あ、はい! ありがとうございます」  終始冷や汗をかきっぱなしだった俺は、心に平穏を取り戻したかのような溜息を漏らした。 「ふぅ〜……」  マルキ家としては手痛い結末だが、何とかこの場の難は凌いだか。  一方では、下を向いて沈黙するアレンに対してチェルソが半べそをかいていた。俺はチェルソの前へしゃがみ込んで肩に手を乗せ、母親のことは診てやるから心配するなと伝えた。 「チェルソ。お前にどんな罰則が待ち受けているかは分からないが、しっかりと償うんだ、いいな?」 「はい……お袋のこと、頼みます」  塞ぎ込んで号泣するチェルソを横目に、ビアンカが部屋を去ろうとしている。するとその間際、彼女はルナの耳元で囁いた。 「それともう一つ。私にだけは毎月ワインを送れ。貴様のとこのブランドは高くて敵わん」 「で、出来る限り努力します……」  一押し要求されたルナが困惑気味に苦笑いする。まったく、抜け目のないやつだと、俺は呆れてしまった。  そして、ビアンカは「清掃員を呼んで後始末しておくように」と大男に指示を言い残し、髪を靡かせながら颯爽と部屋を後にした。 「行くぞ。逃げようなんて下らない真似だけはするなよ?」  そして、アレンとチェルソは大男の言われるがまま、背中を丸めて連行されて行く。  皆でその様子を見送っていたら、今度はフェネッカが畏まった様子でルナに声をかける。 「……ありがとう、アレンを殴ってくれて」 「勘違いしないで。貴女のためじゃなくて私が殴りたかっただけよ。貴女のことも許したつもりはないの」 「そっか……まぁ、そうよね」  おもむろに振り返ったフェネッカが「サイファーさん」と呼ぶと、ソファに座っていたサイファーが「はい」と返事をして立ち上がった。 「マルキ家と契約を打ち切るための書類、どっかに落ちてない?」 「さすがにそれはどうでしょうか。そんな都合よ……おや? 私の上着の中にありましたね」  ソファの背もたれに寄りかかるホーキンが、鼻の下を伸ばした変顔で「()んな()かな」と呟く。サイファーから書類を手渡されたフェネッカは、ソファに腰を下ろしてサインした。  そのやり取りを怪訝な顔で見ていたルナが、フェネッカに訊ねる。 「フェネッカ……どうして?」 「決まってるでしょ? 私、マルキ産のワイン大っ嫌いだから」 「嘘つき」  そこへフェネッカが、ルナに改まって姿勢を正した。 「あと、私がしてきたことも謝るわ……ごめんなさい」 「馬鹿ね。今更謝っても遅いわよ」 「じゃあ、せめて慰謝料だけでも――」 「いらないって! そんなお金貰ったところで、嬉しくも何ともないから。そんなことするくらいなら、自分の商会を立て直すことに力使いなさいよ」 「うん……でも私なんかに、会長なんて出来るのかな」 「さぁね」  ルナがプイッと目を逸らすと、不安げな顔をするフェネッカにサイファーが声をかけた。 「フェネッカ様、経営を難しく考えないで下さい。バストーニ商会にはヴェロン様が身を粉にして築かれた、優秀な事業もまだ残っております。そして、貴女様は人を愛する心をお持ちのはず。アレン様に料理をお作りになられていた時と同じ気持ちで、バストーニ家や取引先の方達と接して下さい。そうすれば、必ず道は開けます」 「……はい」  フェネッカがゆっくりと頷いたところで、サイファーが主体となって実行されたアレンを地獄へ堕とす計画は、幕を閉じた。  これ以上何か起きたら、もう身が持たないな――。 「サイファーさん……色々と、本当にありがとうごさいました」  ルナが手を腰の前に揃えてサイファーに礼を言うと、彼は苦笑いを浮かべながら後頭部を手で摩った。 「いえ、大してお力になれず、申し訳ございません」 「そんなことないですよ! それで、今回の報酬をお支払いしたいのですが、どうやって――」  不意にサイファーがルナに向かって、手のひらを見せる。 「いいえ、貴女様から報酬は頂けません」 「……え? ど、どうしてですか!?」  ルナが目を丸くして聞き返す。 「私共は別れさせ屋です。今回承った依頼の場合、請負契約書上にも記載されている通り、アレン様とフェネッカ様の離婚を成立させることが成功報酬の条件でした。しかし、それは残念ながら失敗に終わっております。ですので私共としては無念ですが、貴女様から報酬を受け取ることは出来ません」  そこへ、ホーキンが焦るようにサイファーへ詰め寄った。 「ちょいちょいちょい! オレ今回はけっこう危ない橋何度も渡ってるんすけど!? 全部タダ働きになっちゃうワケ!?」 「うるさい空気読め」  ジュディさんが文句を垂れたホーキンに、紫に輝く瞳で睨みつけた。 「らんらんるー」  ホーキンが謎の言葉を発するや否や、変なスキップで部屋を出て行く。そしてジュディさんがルナにニコッと笑顔を見せ、彼の後を追うように歩いて退室した。  ホーキンは変な男だったが、何だかんだでこの部屋の重圧を物ともしない強い奴だった。  その後は他の者達も続々と部屋を後にし、リビングに残ったのはルナとサイファー、そして俺の3人だけとなった。 「それでは、私もこれで失礼致します」  サイファーがアタッシュケースを持ち上げて振り向いた瞬間、俺は呼び止めた。 「サイファー」 「……はい」 「あとで話したいことがある。ホテルの外で待っていてくれないか?」  彼は少し間を置くと「承知致しました」と言って、革靴の音を残して、ゆっくりと出て行った――。 「……レーオ」  気付くと隣にいたルナが、俺を見上げるようにして可愛げに微笑んでいる。  そんな彼女を――黙って抱き寄せた。  ルナも俺の背中に優しく腕を回してくる。余程怖かったんだろう。まだ彼女は少し震えていた。それもそうだ。あれだけ鬼畜じみた修羅場を体験したんだから。  ずっとこうしたかった。  ルナ、お前は光だ――真っ暗な夜に、道筋を照らしてくれるLuna(ルナ)なんだ。 「来てくれてありがとう、レオ」 「いいんだ。それより、お前がビアンカに喧嘩売った時はヒヤヒヤしたぞ」 「ごめんね、心配かけて。おしっこちびりそうになっちゃったよ」 「当たり前だろ」  抱いていたルナから離れた俺は、ふとサイファーが出て行ったリビングの扉を見遣った。 「しかし……本当の化け物はサイファーだったな。残虐な男だが、こちら側にいて本当に助かった」  嘆息気味にそう呟くと、ルナは眉をしかめて頬を少しだけ膨らませた。  俺が計画について知らされていたのは、アレンの余罪を言及して無期懲役に追い込むところまで。そこから先は予測不能だったとはいえ、ルナはフェネッカが登場するまでしか明かされていなかった。 『何も知らないルナ様の純粋な反応が、彼女がクライアントであることを“カモフラージュする効果”を生み出します――』  さらにサイファーは、一番人が絶望を味わう瞬間は物事が上手く進んでいる最中に腰をへし折られる瞬間だ――と言って、今回の計画はその理屈を元に、アレンを徐々になぶり殺すかのような手順で追い詰めていた。  卓越した話術で揺さぶりをかけて論破し、相手の精神状態を上下左右へ巧みに操作するサイファーは、ビアンカの言う通りバルログと比喩されても決して過言じゃない。  しかし。 「サイファーさんは残虐な人なんかじゃないよ? 本当は心に深い傷を負っているの。だから、私のために色々頑張ってくれてたんだよ」  ルナが語ったのは、サイファーが俺に告げた愛する妹がいたという作り話だった。初めてその全容を耳にした俺は、それはルナをその気にさせるための嘘だ、と彼女に真相を明かそうか迷ったが。 「その話、実はな……」 「ん?」  ルナが首を傾げた瞬間――突如俺の頭にある“とんでもないこと“が浮かび上がってきた。 「どうしたの? レオ」 「いや……何でもない」  額に脂汗を滲ませた俺は、ルナが不安そうな顔で聞いてきたのを、何とかやり過ごした。  サイファーの正体は……まさか――。
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