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32.レオナルド
エレベーターを降りてエントランスからブレネスキを出ると、目の前には都を上から見渡せる綺麗な夜景が広がっている。
ホテルの前には送迎用のバスが停められており、306号室にいた皆はそれに乗り込んでいた。
「また会いに行くから。待っててくれ」
「うん!」
ルナも乗るように促すと、彼女は笑顔を返してバスに乗車した。
バスを見送ってから辺りを見渡したら、そこから離れた場所に立っていたサイファーが、夜空に細く浮かぶ三日月を眺めていた。
背後から接近して「待たせたな」と声をかける。すると、彼は振り返らずに返事をした。
「どうして新月間近の三日月を見ると、胸騒ぎしてしまうのでしょうね……」
俺はどこか寂しげな表情をしているサイファーの横に並び、同じようにして月を見上げた。
「月明かりが消えていってしまうことに、不安を覚えるからじゃないか?」
「……そうかも知れせんね」
まさか、この男とこんな景色を眺めるとは、麻薬摘発捜査をしていた時は夢にも思わなかった。
「これからいくつかあんたに質問したい。出来る範囲でいいから答えてくれないか?」
「はい。お答え出来る範囲でなら」
「ラ・コルネの事務室で俺を片手で持ち上げただろ? あれはどんな魔法を使ったんだ?」
「あれは魔法なんかではございません。ただ“眠っていた筋肉を起こしただけ”です」
人間は通常、全ての筋肉を最大限に使用出来ていない。これは防衛本能で脳が無意識にブレーキをかけているためで、コツさえ掴めばそのブレーキを外すことが可能。
サイファーはその原理を利用していたらしいが、ちなみに火事場の馬鹿力というのは、危機迫る有事を緊急回避するために脳が勝手にリミッターを解除する現象のこと。
「そうか」
「他には?」
「今回の件、あんたはどこまで見えてたんだ?」
「どういう意味でしょう?」
と、腕を組んだサイファーが怪訝な顔で聞き返す。
「あんたがロカテッリ・ファミリーの経営コンサルタントだったことを知って、また1つ俺の中で仮説が浮かんだんだ。アレンが麻薬を使ってラ・コルネを嵌めるように、最初からサイファーとビアンカは口裏を合わせてたんじゃないか……ってな。アレンはロカテッリ・ファミリー側から接触されて麻薬を買取り、あんたの策略にまんまと引っ掛かったってシナリオだ。でなきゃ、あんな大物が簡単に俺達の前へ現れた理由が分からない」
サイファーは、小さく首を傾げた。
「レオナルド様は私を買い被り過ぎておられるようですね。たかが宝石商の私にそのような芸当は出来ませんよ。ビアンカ様の登場は完全に予想外の展開でしたし。とはいえ、最大の誤算はルナ様ですかね。恐らく、アレン様とフェネッカ様のお心を一番動かしたのは間違いなく彼女でしょう」
サイファーはそういうと、清々しい表情で満点の星空を見上げた。
「今回の結末、あんたは満足してるのか?」
「ルナ様は私のクライアントですから、彼女が決めたことに口など挟めません。私の心情を気にされる必要などございませんよ」
「そうか」
俺は間を空けるように、両腕を上げながら背筋を伸ばした。
「ふぅ……余談はここまでにして本題に移ろうか。俺が本当に聞きたいのは、あんたの正体についてだ」
「私の正体、ですか」
話題を変えた途端、サイファーの周りを取り巻く空気が変わった。何者も近づくことを許さないと言わんばかりに、彼の表情が暗く曇ったからだ。
そんな彼に向け、俺は数枚の紙を取り出して見せた。
「サイファー・アルベルティ。あんたの個人情報記録が記載されたこの公的文書だが、これは全て偽造されたものだ。精巧に作られていても俺の眼は誤魔化せない」
夜景側に向いたまま、横目でそれを見たサイファーが「ほう……」とだけ返してくる。
「それだけじゃない。ラ・コルネのケースに組み込まれていたダイヤル式ロックだが、あれは遠い北の大陸にある“ゾルディア連邦”の軍事機密書類を輸送する際に使われていた物と、同じ仕組みだった」
「……それが何か?」
「何故あんたが、そのダイヤル式ロックがついたケースを持っていたんだ? 国外不出の技術だぞ」
「クククク……そう仰るのであれば、レオナルド様がそれをご存知なのも不自然なお話では?」
「2年前、国の外交政策で国内の実業家や商会代表達が、ゾルディア連邦に渡航したのは知ってるよな? それにはディマルク家も参画していて、俺も父上の補佐役として入国していたんだ」
皇居へ誘致された歓迎パーティーの際、俺は宰相と話す機会があった。暗号解読が趣味だと告げた俺のために、宰相の計らいで過去に使用されていたダイヤル式ロックに触らせてもらったことがある。
桁数は20もあって、当時はその暗号を解くのに10時間以上かかった。
「なるほど、さすがですね」
「もう1つの疑念は、あんたが別れさせ屋としてルナと接触した際に聞かせた『妹がいた』という作り話についてだ」
「ルナ様からお聞きになったのですか?」
「彼女を責めないでくれ。あんたを庇うために教えてくれたんだ」
「もちろん承知しておりますよ。して、作り話で何か気になる点でもございましたか?」
「ああ。俺は偶然にも、その作り話とそっくりな実話を知っている。それは、ダイヤル式ロックの話に出たゾルディア連邦で語られる、ある悲劇の話だ」
すると、サイファーは一瞬だけピクリと片眉を動かした。
「ゾルディア連邦には、歴代でも屈指の頭脳を持った皇太子がいた。件のダイヤル式ロックをわずか15歳で開発した天才さ。残念ながら、俺が渡航した時は皇居に不在で会えなかったがな」
皇太子には『ソルンツェ』という愛していた妹がいて、彼女にはすでに将来を嘱望された優秀な婚約者がいた。
しかし、俺達が渡航から帰った後の半年後――突然、ゾルディア連邦に事件が起こった。
ソルンツェが何らかの理由で、何故かお腹に子供を宿したまま自殺してしまったのだ。それからいく日も経たないうちに、彼女の婚約者までも命を絶ってしまった。
そして、先代が生前退位することで次期皇帝の座に就くはずだった天才皇太子が忽然と国内から行方を消し、結局第二皇子が現皇帝として即位した。
この話は、ゾルディア国内で『ソルンツェが不貞を犯して妊娠し、その罪悪感に耐えきれずに自殺したんだ』と、国民の間では失望している者達が大勢いた。
中には『皇太子もショックで自殺してしまったのでは?』と言う者もいる。
その話を聞いた当時は特に違和感もなく、俺もそうなんだろうと思っていた。けど今になって『実は違うんじゃないんじゃないか』と思い始めていた。
「……どう違うと?」
「皇太子はソルンツェを妊娠させた真犯人を追って国を出たのさ。そして身分を隠しながら、復讐のために真犯人の殺害を企んでいたんじゃないかと、俺は勘付いたんだ」
固い表情で聞いていたサイファーが、顎に手を添えながら「なるほど」と小さく呟いたが、俺はそのまま続けた。
「そして、ソルンツェを妊娠させた真犯人は……アレンだ。奴はヴェロンの付き添いで俺らと共にゾルディア連邦へ入国したが、商談そっちのけで遊び呆けていた。その時に、恐らくアレンはソルンツェに強姦でも犯したんだろう。
さらに消えた皇太子の特徴だが、ゾルディア連邦の皇族は変わった血筋らしくてな。皆、両眼に“燃えるような紅い瞳”を持っている。
その皇太子の名は『ユヴェル・バラシュニコフ』。
今俺の目の前にいる男と皇太子の特徴が一致してるのは、もう偶然なんかじゃない。
あんたの正体は……ユヴェルなんだろ?
“アレンが真犯人”だと突き止めたあんたは、権力者のビアンカに奴の殺害を依頼した。誓約書でアレンの無期懲役を帳消しにしようとしたのも、後でビアンカが撃ち殺すことを見越してたからなんじゃないのか?」
目を細めた俺がサイファーを正面にとらえると、彼は空に向かって大きな溜息を吐いた――。
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