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「はいどーもルナお嬢様! オレは別れさせ屋で調査担当を務めるホーキンでございます~! 以後お見知り置きを」  何とも胡散臭さのあるひょうきんな顔をしたホーキンさんの自己紹介に「は、はぁ……」と、溜息にも似た声が漏れる。そこへ、彼はお尻のポケットから黒革の手帳を取り出した。 「え~、誠に勝手ながらアレン様とフェネッカ嬢の関係を、オレを含めた調査員4名で調べさせて頂きました〜。今回のご報告は、主に2人の目撃情報からの考察となりま〜す」  目撃情報からの考察? 「どうやら、2人は約半年前から関係を持っていた模様ですね。夜中に同じホテルへ入って行くのを各地で目撃されてますですはい。その回数は計5回。入る時間をズラしているのを見る限り“お忍び”で会っていたようですな〜」 「そ、それって……」  終始渋い表情をしながら、ふざけた口調で話していたホーキンさんが、口をへの字に曲げる。 「ま〜ぶっちゃけちまうと、これ完全にヤッてます。密会してたホテルの清掃員から聞いた話でも、()()()()がモロ残されていたそうなんで」  軽快な声色に若干の苛つきを覚えつつも、微動だにせず耳を傾けていた私が小声で訊いてみる。 「……待ってください。それ、確かな情報なのですか?」 「もちろんですとも! なんなら、ここに目撃者全員連れてきて証言させましょか?」  疑いをかけられて肩をすくめるホーキンさんに、サイファーさんが続いた。 「ルナ様。彼は綿菓子より軽い人柄ではございますが、調査員としての腕前はその辺の探偵より断然格上です。情報の信憑性は私が保証致しますので、信用して頂いて構いません」  粛々としつつもその自信たっぷりな念押しに、思わず唖然として返す言葉を見失う。  何よそれ。  半年前って、私と普通にデートしてたじゃない。  私と……キスもしてるじゃない。  昨日もフェネッカを抱き寄せるアレン様を見て、“いつから想い合うようになったのか”と、違和感は感じてた。  お母様の“婚前に体を許してはいけない”という教えを守り抜くため、価値観の違うアレン様から誘われはしたものの、彼とベッドを共にしたことはない。  だけど、アレン様は隠れてフェネッカを抱いていた。  しかも、何度も体を重ねていた。  ふざけないで……。  アレン様は、どんな気持ちで私と会っていたの?  どんな気持ちで私と手を繋いでいたの?  どんな気持ちで私の作った料理食べてたの? 『ずっと側にいて欲しい――』  どんな気持ちで、私にそんなことお願いしてたのよ――。 「辛いお気持ちお察し致します、ルナ様」  自然と悔し涙で瞳が潤んでいた私に、サイファーさんは懐からスッとハンカチを差し出してくれた。 「……あ、ありがとうございます。それにしても、よくここまで調べ上げましたね」 「実は私、婚約破棄騒動が起きる以前から、アレン様には目を付けておりましたので」 「以前?」  話は約1週間前。  サイファーさんはアレン様とフェネッカと密会していたという情報を、宝石店に訪れた貴族のお客さんから偶然入手していた。  そこで、アレン様が私と婚約関係にあることを知っていたサイファーさんは不審に思い、独自で調査を開始していたらしい。けれど、数少ない目撃情報のみで、下手に告発は出来ないと尻込みしていたという。 「ルナ様へご相談もせずに勝手なことをしてしまい、誠に申し訳ございません。それに、もっと早くにご報告するべきでしたね……」  確かにこんな事態が判っていたら、昨日の騒動は事前回避することが出来たかもしれない。とはいえ、彼を責めるのが筋違いなのは分かっている。  私は「いえ……」と短く返し、受け取ったハンカチで目元を拭いた。 「もうお解りでしょうが、アレン様がフェネッカ様に婚約を乗り換えたことで、彼等の不貞はほぼ確証に至ったかと存じます」 「そうでしょうね……」  でなきゃ『私はフェネッカを愛している――』なんて台詞、吐けないわよね。結局、アレン様は“抱かせてくれる女”の方が良かったわけだ。  貴族に限らず、俳優や実業家などの有名人が不貞スキャンダルを起こすことは山ほどあった。新聞や雑誌などで報道されているのを見る度に嫌気は差していたけれど、所詮他人事くらいにしか感じていなかった。  でも、心の中では――自分の婚約者が不貞なんてするわけない――と、たかを括っていた私は、身を持ってその辛さを痛感させられていた。 「どうして……どうして、男は不貞なんて恥ずべき行為を犯すのでしょうか? 私だけでなく、他の女性達もみんな身勝手な男に苦しめられていますよね……」    するとサイファーさんは、私の問いに対して小さな溜息をついた。 「考えられる要因は多々あるので一概には言えませんが、“法律的な罰則が弱過ぎる”というのが私個人の見解です」 「罰則?」 「ご存知の通り、当国フィレリアの貴族社会では婚約契約を交わさずに結婚をする手前、不貞行為に対して訴えた場合は国の定めた法律によって裁定が下ります。ですが、それがただの“慰謝料を支払うのみ”というのは、不十分にも程があるでしょう」  政略結婚が盛んだった昔は“違反金”が婚約契約書に記載されていたため、貴族両家はそれによって不貞などから守られていた。  しかし、貴族でも自由恋愛が尊重されるようになった現代では、結婚する際に契約書を取り交わす慣習自体が風化してしまっている。それによって法的な抑制力を失った貴族社会では、浮気や不倫問題が相次いでいた。  ところが、裁判によって国が定めた法律で処罰されても、庶民の給料5、6ヶ月分程度の慰謝料の支払いしか命じられず、結婚前となる交際中の場合に至っては、端金(はしたがね)にすらならない金額になってしまう。  そう。この問題は、その法律が一般庶民と同じように貴族にも適用されてしまうことにある。  公平とはいえ、それでは経済的に裕福な貴族や実業家達にとって、大した痛みにはならないので焼け石に水だ――と、サイファーさんは主張した。 「被害に遭われた方の多くは『フラッシュバック』と呼ばれる、“強烈な精神的苦痛”を強いられる現象に長い期間悩まされてしまいます。私は別れさせ屋として、ご相談に来られたクライアント様のそういった涙を幾度となく見てきました。しかしその一方で、被害者を苦しめる原因となった元恋人は、慰謝料さえ支払ってしまえば、その後は別の恋人と何事もなかったかのように再スタートを切るのです。こんな理不尽なことが、平気でまかり通る遺憾しがたい世の中になってしまっているのですよ」  内容に反して驚くほど冷静な語り口調ではあるけれど、彼の言う通りだと思った。    不貞なんて人として最低なことをやらかしても、次の恋人に『前回は不貞を犯して別れた』などと、自身を貶める告白なんてしないだろう。  そして、私もフラッシュバックでアレン様との思い出が脳裏に浮かぶ度に、苦しさで胸が引き裂かれるように痛くなった。けれど、今こうしている間にも、あの2人が仲睦まじく互いに乳繰り合っているのかと、想像するだけで腑が煮え繰り返ってくる。    俯いていた私は、ゆっくりと顔を上げた。 「……そんなこと、到底許せないですよね。アレン様に至っては慰謝料を払うどころか、まだバレてないとすら思っているでしょうし」 「無論そのはずです。ここまでお話して、ルナ様には私共の存在意義をご理解頂けたかと存じます」  サイファーさんは、別れさせ屋として依頼対象となるカップルを破局させることは勿論だが、被害者であるクライアントを満足させるには対象への報復として“さらなる追い討ち”が必要だと語る。  しかし、普通の人ではどうやり返せばいいのかなんて分からないもの。彼等はそんなクライアントのために、様々な手段を駆使して“制裁を代理実行する組織”だったのだ。 「私共は別れさせるだけでなく、クライアント様に代わって“復讐を果たす”という明確な目標を持って仕事を請け負っております。言い換えれば『浮気断罪請負人』……といったところでしょうか」 「浮気断罪請負人……なんか、カッコいいですね」 「本来ならば、この世に存在してはならない仕事ですがね。ではここで、手紙でご質問させて頂いたことを再度お尋ね致します」 「はい」 「貴女様は、あの2人の幸せを望みますか?」  サイファーさんが真剣な眼差しで問い直す。  アレン様と、フェネッカの幸せ……。 『ルナ、俺はお前との婚約を破棄し……このフェネッカと結婚する! ――』  そんなこと――望めるわけないでしょ。  今回の私の件は、アレン様だけに責任の所在がある訳じゃない。彼が私と婚約していたのを知っていながら、コソコソと情事を繰り返していたフェネッカも懲らしめなければならない。  何もかも、全て裏切られた。  私だけじゃなく、大切な両親まで。  立ち上がらなきゃ。  失われた尊厳と誇りを取り戻すために。  もう、悪魔に魂を売ったっていい――。  大きく深呼吸して胸を張った私は、サイファーさんの鈍く光る紅い瞳を見つめ返した。 「いいえ。私は()()()とフェネッカに然るべき報いを受けて欲しいです。あと、思いっきり一発ぶん殴りたいです」  私のハッキリとした決意を聞いたサイファーさんは、 「承りました。それでは……制裁の撃鉄を起こしましょう」  と、悪魔じみた微笑みを浮かべて頷いた――。
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