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9.
どうしてこんな時に限ってフェネッカが。
ツイてなさ過ぎ。
荷物や左手の指を手当てしてる様子から察するに、フェネッカは近くにある料理教室にでも通っているのだろう。
私はバレないように下を向いて歩き、彼女達の横を抜けてやり過ごそうとした――しかし。
「あら~? 誰かと思ったら“親友”のルナ嬢様ではございませんか。ご機嫌よう」
うわ~、すぐバレた。
でもこうなったら仕方ない。
立ち止まった私は開き直って振り返り、少しすまし顔で腕を組んだ。
「貴女誰ですの? 私の友人に貞操観念が皆無の淫らな女なんておりませんけど」
ニヤついていたフェネッカが、一瞬にして真剣な顔つきに変わった。
「……ふ~ん、知ってたのね。誰から聞いたのかしら?」
「さぁ、そんなの誰だっていいでしょ。恥ずかしくないの? 結婚もしてない相手に体を許すなんて」
途端、後ろの侍女達がクスクスと笑い始め、フェネッカもフッと吹き出す。
「あははは! ホント馬鹿なのね~。今時そんなこと言ってるの貴女くらいなんじゃない?」
「今時そんなこと言って何が悪いのよ! 貴女みたいな女、いつか地獄を見ることになるわ!」
母の教えを否定されたような言い草にカチンときた私が声を張る。
「ふん、何を根拠にそんなこと……負け惜しみもいいとこね。箱入り生娘の嫉妬ほど醜いものはないわ」
「嫉妬ですって? 勘違いしないで欲しいわね。これは警告よ」
「はいはい。公衆の面前であれほどの醜態晒しといて、まだその上から目線なとこ直すつもりないのね。そんなんだから足元すくわれるんでしょ」
嘆息して肩をすくめるフェネッカに対し、冷ややかな目線を送る。
「あのねぇ、こっちはあんな下衆男と別れられて清々してんのよ。貴女には生臭いゴミクズを拾ってくれたことに礼を言いたいくらいだわ。身を削って世の中を掃除してくれて、本当にありがとうってね」
「ちょ、なんですって!? 貴女ホント何様のつもり!?」
私の挑発に余程よほど腹がたったのか、フェネッカの顔色が瞬く間に赤くなっていく。
お互い口論にヒートアップしていたところに突然――誰かが背後から私の肩を掴んだ。
「おい、こんな所で何やってるんだ?」
ハッとした私が振り向くと、すぐ目の前には見覚えのある顔があった。
「……レオ?」
「落ち着けルナ。周りをよく見ろ」
戸惑いを隠せない私をよそに、レオナルドは周辺を見渡すよう促してきた。いつの間にか、私とフェネッカの口論を見ようとギャラリーが集まっていたらしい。
私と同じく、彼の登場に驚愕したフェネッカが目を輝かせている。
「レ、レオナルド様!? なぜこんなところに!?」
彼はフェネッカを見遣ると、眉間に皺を寄せて一瞬考え込む仕草をした。
「誰だお前? 俺はこれからルナと2人きりで食事する予定なんだ。悪いがお前らに付き合ってる暇などない」
「ちょ、え? 食事!? そんなこと――」
聞いてもない予定を告げるレオナルドに困惑していた私を、彼は「行くぞ」といって手を包み込むように繋いできた。
「え……ま、待ってよ」
私がそう呼び止めようとするが、レオナルドはフェネッカと反対方向へ振り向くと。
「いいから」
と言って、私の大好きな香水の匂いを漂わせながら、連れ去るように歩き始めた――。
街中で行き交う人の間を通り抜けて進むレオ。
そんなレオの背中を見ながら、私は彼の手をぎゅっと強く握って歩いていた。柔らかくて、温もりに満ちた手。時折振り向いて、私の歩く速度に合わせてくれてる。
揺れる金色の髪、肩幅の広い大きな背中。
『……ん、誰だお前? ――』
あの時のレオの横顔に、フェネッカなんてどうでも良くなるほど、ずっと見惚れてしまった。
「とりあえず、どっかの店に入るか」
「そうだね……」
いつの間にか気付いたら私は、普通にレオの横に並んで歩いていた。でも、手はそのまま放さずに歩いた――。
レオが向かった先は、最近開店したばかりなのに好評で予約の取れないお店。特にパスタが人気で、多分ホーキンさんがジュディさんを誘ったところだ。
「ルナ、あの店でもいいか?」
「う、うん……でも入れる? すごい混んでるよ?」
ちょうど時間は夕飯時。私が遠目から店内の様子を見てそう言うと、レオは「ここでちょっと待ってろ」と私の手を放し、店の入り口に立つ店員の元へ向かった。
少しずつ離れていくレオの姿をみて、急に寂しさが込み上げてくる。
会話の内容は聞こえないが、店員が中へ入るのが見えた。再び店員が出てきた時には、隣に口髭を生やした紳士を連れていた。紳士は丁寧な姿勢で挨拶すると、ニコリと笑いながらレオと話していた――。
少しの不安と“レオに早く戻ってきて欲しい”という思いが入り混じる心境の中、街灯の下で待っていた私。そこへ、二十台半ばくらいの男性が私の前で立ち止まった。
「すいません、もしかしてお一人ですか?」
「いえ、違います」
突然声をかけられて咄嗟に否定したが、男性は徐々に距離を縮めてきた。
「可愛い声してるね。待ち合わせしてるの? 男?」
いきなり馴れ馴れしくされてムッときた私は、口を尖らせて返答した。
「彼氏待ってるんです。他を当たってくれませんか?」
鬱陶しそうに目線を外しても、一向に立ち去ろうとしない男性。それどころか「君みたいな子を待たせるような男なんて、辞めた方がいいよ」などと苦言を吐き始める始末。
お願い……早く帰ってきて――私の念が通じたのか、肩に上着を担いだレオが戻ってきた。
「俺の彼女に何か用ですか?」
無表情でそう言い放ったレオの両腕は、シャツの袖が肘まで捲られており、腕に血管が浮き出るほど強く拳を握りしめていた。
男性は「……いえ、特に何も」と呟いてから、レオの返事を待つことなく、その場から逃げるように去っていった。
ほっと胸を撫で下ろすようにレオの顔が緩む。
「ふぅ、もう危なっかしくて目を離せないな」
「大丈夫、レオが来なかったら殴ってたから」
「またそんな男勝りなことを……あ、お店入れるってよ」
「え、席空いてたの!?」
驚いた私が尋ねると、何食わぬ顔でレオが応える。
「ああ、なんか個室が空いてたみたいだぞ。ツイてるな」
いや、予約が殺到する店でそんな席が空いてる訳がない。
あのチョビヒゲの人は、絶対店のオーナーか何かだと思う。
「……もしかして、オーナーさんと知り合いだった?」
「い、いいだろそんなこと。ほら、店員待たせてるから早く行くぞ」
はぐらかすかのように微笑むレオに軽く受け流された私は、彼の後にピッタリくっついて店へと入って行った――。
店内は天井が高く、照明が明る過ぎない落ち着いた雰囲気だった。一階は席の間隔が広くてゆったりとしたスペースになっており、少し値は張るが一般客でも足を運べるお店。
建物は4階まであり、最上階は貴族しか利用できない。そしてレオが取った席は、その最上階にある窓際の個室だった。
個室に案内されると、大きな丸い窓から見える夕陽に照らされた街並みが目に飛び込んでくる。手前を流れる運河に街灯が映り込む幻想的な景色は、見てるだけで時間の経過を忘れてしまいそう。
予約もしてないのにコース料理に決定。食前酒のカクテルを片手に、レオが溜息混じりで口を開く。
「やっと落ち着いて話せるな。路上で騒ぎが聞こえたから何だと思ったら、まさかルナだったとは予想もしてなかった。頭に血が上ると周りが見えなくなるの、全然治ってないな」
「ご、ごめん……」
「でも偶然とはいえ、3年ぶりにやっと再会できたんだ。素直に嬉しいよ」
「うん、私も嬉しいよ! ありがとね、連れ出してくれて。あのままフェネッカと喧嘩してたら、もっと酷いことになってたと思うし」
ふと、レオが真剣な眼差しで私を見つめてきたので「何?」と端的に問うと。
「改めて見ると、めちゃくちゃ綺麗になったな」
レオの言葉で、再び私の鼓動は大きく脈打った――。
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