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何も感じない
「ハルさん、CDのことで進展があったので、また会えませんか?」
「分かりました。僕はいつでも大丈夫です!」
メールでやりとりをした1週間後、2人は会うことになった。
タカはハルの家にと思ったが、今度は僕が行きますとハルが言うので、タカの家で会うことになった。
当日。
タカの家のインターホンが鳴った。
「タカさん、こんばんは。お疲れ様です。あの、いろいろ買ってきちゃいました」
そう言ってハルはスーパーのレジ袋で塞がった両手を持ち上げた。
「あはは!そんなに何を買ってきたんですか」
「お酒とか、つまみとか、いろいろです!」
屈託のない笑顔を見せるハル。
タカは袋を1つ持ち、ハルと一緒にキッチンへと向かった。
袋から酒などを出しながらタカが言う。
「ハルさん、最近はどうですか。代わりないですか」
「はい。とくには」
「そうですか」
タカは微笑んで、ビールを冷蔵庫に入れた。
「あ、そうだ。もう夜だし、いま飲みます?」
時刻は18時をまわっていた。
「はい!実はそのつもりで、あはは。つまみもバッチリ買ってきました」
「宅飲みですね。久しぶりだなあ」
「タカさんの家のお酒、いつも何を飲んでいるんですか?」
「ああ、あっちにあります」
タカはそう言って、ソファの横の棚を指差した。
「わあ。どれも……強そうな」
「これはジン、ウィスキー、ウォッカ、ブランデー、あと……これはレモンのお酒。それで……」
スーパーでは見かけないような、変わったデザインの瓶が何本も並べられていた。それら一つひとつのお酒の銘柄を、タカは丁寧に説明した。
優しい口調で淡々と話すタカの横顔を、ハルはちらちらと見て聞いていた。
「知らない名前のお酒ばかりです。いろんな種類があるんですね。ありがとうございます」
「いえ、仕事で覚えてしまって。ははは、とりあえずじゃあ飲みますか」
缶ビールのプシュッと炭酸が抜ける音のあとに、2人はお疲れ様です、と言って乾杯した。
軽く世間話をしてからタカが言った。
「ハルさん、CDについてなんですけど」
「はい」
「サエちゃんにちょっと聞いてみたんです。それで、いくつか気になることを教えてもらったんですよ。それをハルさんに伝えたいのと、それと一緒に確認してもらいたくて」
「えっ、あ、はい!」
「たまにはお酒を飲みながらこういう話をするのも、いいですよね」
ハルは大きく首を縦に振った。
タカは、サエから聞いた話を全てハルに伝えた。
「そうだったんですね……兄はずっとこれを……」
「はい」
「でも、この音楽って安心する……ものなのかな」
「そこなんですよ。安心する音色ではないですよね」
「はい」
タカが自分のスマホを取り出し、イヤホンをつけた。
「それでね、サエちゃんに教えてもらった箇所を一緒に聴いてもらいたくて。このスマホでハルさんが送ってくれたメールの音楽、いまから流してもいいですか?」
「えっ、あ、はい」
ハルの顔が一瞬ひきつったのを見逃さなかったタカが、手を差し出す。
「えっ、あ、すみません。ちょっとまだ身構えてしまって」
「いえ」
タカはハルの手を握りながら再生ボタンを押した。
2人の耳に音楽が流れた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
しばらくして、タカが言う。
「あ、ここ」
「え?」
「ここ、なんだか気持ち悪くないですか?」
「え?」
「巻き戻しますね」
「はい」
「ほら、今の」
「ああ……」
「なんとなく不穏な音、ですよね」
「確かに。あまり意識してなかったですけど、言われてみればそうですね」
「また再生しますね。このあとも音が変な部分あるんです」
そう言ってタカは気になる音全てをハルに伝えた。
「えー……ますます心地よいと思えない音楽ですね」
「これをハルさんはお兄さんに聴かせてもらっていて、お兄さんもまた、聴いていた」
「……」
「これを伝えたくて、ハルさんに連絡しました。それに……」
それに?と聞きたそうなハルを横目に、続けてタカが言う。
「また特訓もしたいですしね」
「え!?あ……はい!」
「ハルさん、沢山つまみを買ってきてくれましたけど、今うちの冷蔵庫、結構食材あるんです。何か食べたいものあれば作りますよ」
「ええっ!いやいやそんな」
「せっかく来てもらいましたし」
「え、あ……じゃあ……」
「あっハルさん」
そう言ってタカが自分の目のあたりを指差した。
「あっそうか!わかりました。また、タカさんに目の奥で見せます」
タカは、ニコっと笑って頷いた。
ハルがタカの手を握る。
しかし数秒後、ハルの瞬きが速くなり、表情が曇る。
すぐに異変に気づいたタカが言う。
「ハルさん……目の奥、ひんやりします?」
ハルは唾をごくりと飲みこんだ。
「あの……いえ……しません」
タカが、今度は目をつぶって顔をテーブルに近づけた。集中して目の奥でハルを視ようとする。
しばらくして、ふうっと深いため息をついた。
「すみません、ハルさん」
「え……?」
「何も感じないし何も視えませんでした」
「あの……僕もなんだか違和感……というか。いつもなら目の奥がひんやりとして、タカさんと繋がっている感覚になるのに今日は、全く」
「そんな感じですよね。僕もさっきから少し、違和感があって」
「あっ、きっとお酒!お酒ですよ。僕が感じとれなくなっているんです」
タカが首を横に振って、あははと笑った。
「いや、大丈夫ですよハルさん。フォローしてくれなくて大丈夫。あはは。お酒は関係ないと思います。だってほら、初めて飲みに行ったとき、ハルさん音を認識してたじゃないですか」
「あ……あのときの」
「はい。僕らの機能はお酒の影響を受けない。僕、今日ポンコツな日なのかも。あはは」
そう言ってタカはまた笑い、ハルの手からすっと離した。
「え、あ、あの……」
「こんなこともあるんですね。ハルさん、本当に無理に優しい言葉を並べなくて大丈夫ですから」
「はあ……」
「すみません、僕から言っておいて。特訓はまた今度にしましょうか」
「あ、はい」
「あ、そうだハルさん。あそこのお酒、どれか飲んでみますか?」
「えっ!はい!ぜひ」
タカがそう言ってグラスに氷を入れた。
「どれにしますかね」
「じゃあ、タカさんのおすすめを」
タカはレモンのお酒を手にとった。
水とフレーバーのシロップのようなものを入れて、はいどうぞ、とハルにグラスを渡した。
ハルはそのお酒を一口飲み、甘酸っぱいレモンの味とほろ苦さが舌に残るのを感じた。水で割っているせいか思ったほどアルコールを感じなかった。
ハルは小刻みに顔を縦に動かし、美味しいです、とでも言いたそうに目を丸くしてタカを見た。
タカはハルに渡したお酒とは別のものを自分のグラスに注ぎ、そしてハルを見て微笑んだ。
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