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一匹のアヒルが寒さに震えていた。
群れからはぐれてしまい、その白い羽とくちばしを震わせながら仲間たちを探してさまよっていた。
だが、何日も歩き回ったのだろう。
もはや力尽きる寸前だった。
「あなた、迷子なの?」
そんなアヒルがぐったりしていると、いきなり持ち上げられた。
目を開けるとそこには、まだ幼い少女が自分を抱きしめているのがわかった。
アヒルがガーガー鳴くと、少女はニッコリと微笑んで口を開く。
「こんなところにいたら死んじゃうわ。ひとりぼっちなら、わたしのウチに連れて行ってあげる」
それからアヒルは少女の家へと運ばれた。
暖炉の前で冷え切った体を温め、魚の切り身が入ったスープを与えられ、次第に元気を取り戻す。
ちゃんと食べれるようになったアヒルを見た少女は、これでもう安心だと言い、アヒルにフィレという名前を付けた。
そして、暖炉のある部屋を出ていく。
どうやら両親にアヒルを飼っていいかを頼みに行ったようだ。
「ふぅ、みんながいなくなっちゃったときはどうなるかと思ったけど、いい子に拾ってもらって助かったぁ……」
アヒルはホッと胸を撫で下ろすと、これから少女に付けてもらった名前――フィレとしてここに住むのだと表情を緩めていた。
普通、群れからはぐれたアヒルはまず助からない。
他の動物に食べられてしまうか、または飢え死にして終わりだ。
フィレは自分は運が良かったと暖炉の前から離れ、部屋の中を見回す。
「あれ? なんだ、ボクの他にもいたんだ」
よく見ると、部屋の隅にウサギがいたことにフィレは気が付いた。
これから一緒にこの家でお世話になるのだからと、フィレは挨拶することにする。
「やあ、初めまして。ボクはフィレ。君の名前は?」
「アタシはミト……」
ウサギのミトは名前を答えると、どうしてだがその身をふるわせている。
急に一緒に住む動物が増えたから怖がっているのだろうと思ったフィレは、ミトに優しく声をかけ続けた。
仲間にはぐれた後に自分は少女に助けられ、これからはこの家に住むから仲良くしてほしい。
と、できる限り穏やかな声と身振りで、ふるえているミトに言葉を続けた。
フィレが悪いアヒルではないことが伝わったのか、ミトは「こちらこそよろしくね」と返事をした。
だが、それでもミトは震えたままだ。
まだ警戒されているのかなと思ったフィレだったが、あまりしつこくするのはよくないと考え、暖炉の前へと戻ることにする。
「ちょっと馴れ馴れしかったかな。でも、時間をかければミトも仲良くなってくれるよね」
暖炉の前へと戻ったフィレは、そこへ腰を下ろしながらそう呟いた。
初めて会ったその日に信頼されようなんてダメだ。
もっとじっくり時間をかけてミトと仲良くなろうと、暖炉のバチバチと燃える火を見ながらそう考えていた。
それからしばらくすると、少女が部屋に駆け込んでくる。
「フィレ! ママがね。パパがオッケーって言ったらウチに住んでいいって! 一緒に頼みに行きましょう!」
少女はフィレを抱き上げて部屋を出ていった。
その話から察するに、後は父親が了承を得られれば、フィレはこの家で飼ってもらえそうだった。
フィレは少女の弾む声や表情からして、この調子なら安心だと喜ぶ。
少女はフィレを抱いて廊下を走り、父親のいるだろう部屋のドアを開けて中へと入った。
「パパ、お願いあるの。この子をウチで飼ってもいい?」
ドアを開けるなり訊ねた少女に、中にいた彼女の父親が呆れていた。
何か作業をしていたのか。
父親は手に持った道具をテーブルの上に置き、フィレを抱く娘に近づいてくる。
「こないだウサギを拾ってきたばかりで今度はアヒルか。まったくお前という奴は……」
「ねえいいでしょう、パパ。この子、寒い外でひとりぼっちだったの。あのままにしておいたらかわいそうよ」
訴える少女。
そんな娘を見た父親は大きくため息をつくと、汚れた手をテーブルに置いてあった布で拭いた。
そして少女の頭を撫でると、笑顔で答えた。
「わかったよ。でも、ちゃんとお前が面倒みるんだぞ。お母さんに手伝わせたりしちゃダメだからな」
「わーありがとうパパ! よかったね、フィレ! これで今日からお前もうちの子だよ!」
こうして群れからはぐれたアヒル――フィレは、少女の家で飼われることになった。
だが、どうしたことか。
父親と会ってからのフィレは、常に身をふるわせるようになった。
まるで何かに怯えるように。
先に家にいたウサギ――ミトと同じように、部屋の隅でビクビクと縮こまっている。
少女にはどうして二匹が震えているのかわからなかった。
その後も医者に診せたりといろいろと手を尽くしたが、どうも病気というわけではないらしい。
「そんなに家の中が寒いのかな? でも、お医者さんは問題ないって言ってたし。まあ、ゴハンも食べてるし大丈夫か」
最初こそ心配していた少女も、数週間後にフィレとミトのふるえを気にしなくなった。
きっとそういうものなのだと思うようになり、二匹を可愛がり続けた。
一体フィレとミトは何にふるえているのか?
それはフィレが少女に連れられて、彼女の父親のいた部屋に入ったことが理由だった。
「あなたも見たのね」
「う、うん。ねえ、ミト。ボクたちもいずれ売られちゃうのかな……」
「……わからないわ。でも“あれ”を見てからアタシ……もう体のふるえが止まらないのよ」
実は少女の家は、様々な動物の肉を売っているお店だった。
ミトがいう“あれ”とは、父親がいた部屋――食肉処理場の光景だったのだ。
ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜はもちろん、ヒツジやシカ、クマまでも扱う肉屋だ。
フィレはミトと同じくはその作業場を目の辺りにし、いつか自分もバラバラにされてしまうのではないかと思ったのが、ふるえている理由だった。
それから肉屋の少女の家には、常にふるえているアヒルとウサギがいるらしいと、町中で有名になった。
少女の家に遊びに来た者たちは、誰もが部屋の隅でビクビクしているアヒルとウサギを可愛いと言い、二匹は皆に愛されていた。
だがそんな者たちの気持ちなど知らず、怯えているアヒルとウサギ二匹は、寿命が尽きるそのときまでふるえ続けていたという。
〈了〉
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