2/5
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/73ページ
 本当はこの話はしたくないんです。  話しているうちに本当に苦しくなって咳をしてしまうのですが、内容が内容だけに信じてもらえないんです。「過剰な演出しなくても」とまで言われます。  それに、いつも最後まで話せた試しがないんですよ。ええ、咳が……止まらなくて。  その「咳」が聞こえるようになったのは、一年前、あるアパートの部屋に越してきたことからでした。多少築年数は経ってますが、きれいにリフォームされた二階建ての木造アパートです。その二階の右端、階段側の部屋。もちろん、今もありますよ。どなたか住んでいますね。  その方にはあの「咳」が聞こえているのでしょうか。  私は当時会社を退職し、求職活動中でした。前に住んでいたマンションの家賃は、無職の自分にはとうてい払える金額ではなかったため、なかば逃げるようにそのアパートへ越してきました。  そうですね、敷金一ヶ月で礼金不要、即入居可という好物件でしたから、なにかあるとは思いました。ええ、ちゃんと物件担当者から説明はありました。前入居者の方が病死された。つまり事故物件です。  エッエッンッンッ……すいません、喉がイガイガして。  そのアパートは閑静な住宅街の一角にあるのですが、普段は静かで、朝と夕に通勤通学の人々が近くの駅へと行き来するとき、多少賑やかになるくらいです。同じアパートの住民も、狭い間取りもあり、せいぜいが二人暮らしで、子供の姿も見かけたことはありません。  ようするに昼間はほとんど皆出払っていて、自分の息遣いすら聞こえるくらい静かな環境でした。そんなある日、  ゲッホ ゲッホ ゲッゲッ……  下の方から誰かの咳が聞こえてきました。ですから最初は下の階の人がひどい風邪を引いたのか、苦しそうだなと思っただけでした。  ゲッゲッ、ハァハァ……ゼロゼロ……ゲホッ ゲホッ ゴホッ  痰が絡むような咳です。初めは同情していましたが、夕方までほぼ間断なく聞こえてくると、さすがに神経に障ります。早く薬を飲むなり、医者にかかるなりすればいいのにと耳を塞いでみても、まだ聞こえてくるのです。人のせいにしてはいけないのですが、咳が気になって履歴書が思うように書けず、ペンを壁に投げつけました。  すると不思議なことに咳がピタッと聞こえなくなりました。  ゲホッ ゲホン ゲホン
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!