前編

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 先生はなんだって、そうわかりきったことばっかり聞くの?  あんた本当にお医者さんなの? (机を叩いたのか、ダン、という音が響く)  それから?  鍵がかかっていたから開けたわ。帰ってきたのはわかったはずだけど、あの女は出て来なかった。  あの時は廊下の電灯が妙に明るく感じて、急にこのまま二階の自分の部屋で眠りたくなった。  でも彼は 『だ・め・だ・や・る・ん・だ』って、一言ずつ区切るように言った。  その声がわりと大きかったので、あの女が気づくのではと冷や冷やしたけど、平気だった。  私は居間へ入っていった。  彼? 玄関で待ってたわ。見たわけじゃないけど、気配でわかったから。  物音たてても聞こえなかったはずね、あいつはソファーで眠ってた。  たいていマンガ本を読んで待っているの。で、途中で寝ちゃう。あんな御都合主義の子供騙しな睦み合いの何が面白いのかしら……苛つくわ。本が女の手を離れて開いたままの状態で、床に落ちていた。  キッチンへ行ったのは……喉が渇いたから。  包丁類は、きちんと並べて収納してあった。その点、あの女は几帳面だったの。壁に付けるタイプのプラスチック製のケースにパン切りナイフ、刺身包丁、普通の包丁、果物ナイフと長い順に入っていた。  ナイフケースを見ながら水を飲んでいると 『おかえりなさい』  女の声が背後から聞こえて 『どうしたの? 遅かったね。何? その』  あの女が言い終わる前に、斬りつけた。  白い額がパックリ割れて、ピンク色の肉と白い骨まで見えた。わけがわからないという表情で、あいつは右目の上の傷口を押さえて 『なんで?』って。(笑い声が入る)  続けて切りつけた。  今度は耳の下を狙ったら、ビュッという音がして、こっちにも血が飛んできた。そこで、やっとわかったみたい。あいつはすごい顔して首の傷を押さえた。着ていたピンクのパジャマがあっという間に赤く染まった。  不思議なことに額の切り傷からは、血がほとんど出てなかった。……あれは"かまいたち"というものかしら。よくは知らないけれど。  窓の方へ逃げようとしているあいつの背中にふたたび切りつけた。  使っていた包丁は刃に丸い穴が数か所開いてて、何でもよく切れるって通販で宣伝されてるやつよ。あの女自身が買ったの。笑えるでしょ?
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