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有坂静也はバックミラー越しに佐倉亨子を見た。
亨子は口にタオルを巻かれ、後ろ手に結束バンドで縛られた状態にもかかわらず、残った両足をばたつかせて暴れている。
酷い顔だった。
もともとは瑞々しい二十一歳の女子大生のはずだが、今の彼女にその面影は欠片もない。
痩せこけた青白い顔の中で大きな目が飛び出さんばかりに見開いている。涙と鼻汁と唾液で顔中汚れ、脂じみた頭髪は顔に貼りつき、まるで映画に出てくる怨霊の容貌だ。
もちろん亨子をこんな顔にしたのは静也本人なのだが、それ以前に彼女の状態も悪かった。事件から一年近くが経過した今も、まだ退院できないでいた。今日、初めて外出許可が下りたのだ。
静也はそのチャンスを逃さなかった。彼女の家族が彼女を一人にしたほんの一瞬、力ずくで自分の車に連れ込んだ。暴れる彼女をなんとか拘束し、急いで車を出した。
病院を出て、高速に乗り一時間。
まだ亨子は暴れていた。
もしかしたら早まったかもしれない。
静也は思った。
事件当時、川に半裸の状態で浮いていた亨子は肩を猟銃で撃ち抜かれ、出血がおびただしく、生きているのが不思議なくらいだった。
だが彼女は身体的な損傷より、精神的ダメージの方が大きかった。あの惨劇の唯一人の生存者であるにもかかわらず、いまだに何があったのか一切語ることが出来ない。当初は医療関係者ですら、触れただけで半狂乱になって暴れた。そのため身体が回復するまで薬で大人しくさせておくしかなかった。
おまけにマスコミを避けるためか、家族は彼女を親族の経営する病院に入れてしまう。
おかげで静也はずっと彼女に接触することが出来なかった。
高速を下り、観光地を抜けると、別荘がある例の山へ入った。
暴れ疲れて少し大人しくなっていた亨子が、外の景色に気づいたとたん、ふたたび喚きだす。その反応に静也は少し安堵した。
彼女は覚えているのだ。自分がどこへ連れて行かれるのか、わかっている。
「亨子さん、この道を覚えているんですね?」
別荘地へ行く者だけが通る道路で、静也は端へ寄せることなく車を停めた。そして後部座席の亨子に初めて声をかけた。
「無理やり連れてきて、すみません。僕の名前は有坂静也。有坂海荷の兄です」
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