ポケットの仲

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「緊張しない。緊張しない。ダメだったら終わり。ダメだったら終わり」極度の緊張に襲われ、悲壮感さえ滲む顔でそう呟き続ける青葉の肩を、後ろから誰かが叩いた。  跳ねた肩の勢いのまま振り向くと、子供にも老人にも見えるような顔の男が、寝起きのような細い目をより細め、口元をぴくぴくさせながらぎこちない笑顔を浮かべていた。 「ごめんよ!」と顔に似合わない軽妙さで言った彼は、続けて「消しゴムが君の椅子の下に転がってしまったから、取りに行くね」と立ち上がった。 「え?」青葉は思わず驚きの声を上げた。 「ん?どうかした?」  思ったよりも背が高く細身の彼は、何事もないように青葉の隣まで来てしゃがみ込み、転がった消しゴムを取った。その間も、青葉は彼から目を離せなかった。  それもそのはず。自分と同じ様に入社試験を受けに来ている目の前の彼のズボンが、よく見ると紺のコーデュロイのズボンだったからだ。  それもとびきり大きなポケットのついたズボン。  青葉が凝視していると、その彼は再度「どうしたんだい?」と聞いてきた。青葉はやや言いにくそうに「ズボン……何でズボンそれなんです?……上は普通にスーツなのに」と尋ねた。 「ああ!これ?いつも履いてるからだよ!あ、僕のことは、皆、ポケットさんって呼ぶんだ」 「……ポケットさん」 「そう!デカいポケットのズボン履いてるから!是非、君もポケットさんと呼んでよ!」明るく言い放つポケットさん。 「……わかりました」軽く会釈をし、面接練習を再開しようと、前に向き直ろうとした青葉の肩を、「ねえねえ、“消しゴム”って、どっちかって言うと“消すゴム”だと思わない?」とポケットさんが揺さぶる。 「……あの、ごめんなさい。ポケットさん。俺、この後の面接の最終確認したくて……」 「あ!そうなんだ!ごめんよ、邪魔しちゃって」  青葉は少し溜息をついてから、今度こそ面接対策ノートを開いた。 「まず始めは……青葉、泰地です。本日はよろしくお願い致します」 「じゃあ、ブルートゥースだね!」突然耳元から声がする。 「はい?」思わず振り返る青葉。 「アオバだからブルートゥース!」 「ん?いや、アオバって青い歯じゃなくて……」訂正する青葉をよそに、ポケットさんは「僕も何か愛称が欲しいな~」と期待に満ち満ちた目で彼を見ている。 「いや、あなたは、ポケットさんって呼ばれてるでしょ?」 「そうじゃなくてさあ~あ、○○もんって可愛いよね?ポケット……もん……ポケモン!」 「いますね」 「え?そうなの?じゃあ、よくどら息子って言われるから、ドラえもん?」 「それも、めちゃくちゃいますね。てか、ポケット部分が残ってないじゃないですか」青葉の言葉に、「ええ~」と机に突っ伏したポケットさん。青葉はなぜか少しだけ切なくなって「ポケットさんってピッタリで俺はいいと思いますよ?」と言った。 「本当に?」突っ伏していた顔が勢いよく上がる。 「はい……でも、何でそんなに大きいポケットのズボン履いてるんですか?」 「昔、大切なモノをなくしちゃったから……それからはなくさないように肌身離さず持ってるようにしてるの」青葉は彼が昔なくした大切なモノが何か気になったが、聞かなかった。代わりに、「何が入ってるんですか?」と尋ねた。 「主に全財産。通帳とか印鑑とか」 「逆に危なくない?」 「他にもいろいろ入ってるよ?目薬とか、ふりかけとか、ルービックキューブとか」そう言いながらポケットを漁り続け、中身を紹介するポケットさん。青葉はその姿に、自分の血液が温水に変わり、体中を駆け巡っていく様な感覚を覚えた。 「……いいかわからないけど、いいですね」  青葉の呟きで、ポケットさんの手が止まる。そして、途端に口を手で覆い、苦しそうに俯いた。 「え?どうしました?」 「笑いが、込み上げてきちゃって」ポケットさんは、抑えきれなかった嬉しさを、指の隙間からグフグフと漏らしている。青葉もつられてニコニコと笑う。 「僕をバカにしなかったのは、ブルートゥースが初めてなんだ……もしよければ、友達になって」落ち着いたポケットさんが言う。しかし、青葉の表情は曇り、「嬉しいけど、今なっても仕方ないですよ」と寂しげに言った。 「俺、どうせ受からないんです。いつも緊張して何も喋れなくなって。直前まではこのノートに書いてあること完璧に覚えてるのに。だから、今回も……」そう言って肩を落とし、ノートをパラパラと捲る。すると突然そのノートは視界から消えた。ポケットさんが、ノートを奪っていたのだ。 「え?ちょ、ちょっと!」 ノートを取り返そうとする青葉を制し、ポケットさんは「本当に思っていないことを言おうとするから、何も言えなくなってしまうんだよ。普段の君で十分素敵だと僕は思うよ」真っ直ぐな目で言った。 正解と完璧を求め続けていた青葉は、自分の中から、正直に話すという選択肢が消えていたことに気付いてハッとした。 「……そうかな」 「そうだよ!友達の僕が言うんだから間違いないさ」 大きいポケットのズボンを履いた彼の根拠のない、しかし素直な言葉に、青葉の体内は再び温かくなった。 「……ありがとう」 「あ、そうだ!僕がお守りをあげるよ」そう言って立ち上がると、大きいポケットに肘まで突っ込み、中を漁り始めた。 「え、大切なモノばっかりなのにいいの?」 「いいのいいの、本当は君のこともポケットに入れちゃいたいぐらいなんだけど」いきなりの怖い発言にドギマギする青葉に、その発言の張本人は「でもそれは、流石に出来ないから~」と、ポケットから布に包まれた長方形の固まりを差し出す。 「何?これ」 「札束。百万」 「え?え?受け取れないよ!無理!無理!」開き掛けていた布をしっかりと包み直し、ポケットさんに押しつける。 「そうか~賄賂、渡せば受かると思ったんだけどなあ」とショボンとしたポケットさん。しかし、すぐに「あ、じゃあ、これ!」と言って彼が取り出したのは、先程転がった消しゴム。 「これ、お守りにしてよ」 「ありがとう!……まあ、一回落ちたものをお守りにって言うのはどうかと思うけど……」 「そういうもんなの?僕、面接って全然わかんないんだよ。今回が初めてだから」 「え!?初めて?ポケットさんは、何でここだけ受けたの?」 「ん~、言葉を制する者は世界を制すから?」 「やっぱり、たまにちょっと怖いんだよな」  二人が笑い合っていると、社員が入ってきて、青葉の名前が呼ばれた。  面接開始の時間である。 「呼ばれたから、行かないと」と立ち上がった青葉に、ポケットさんが「あ!大切なモノ忘れてる!」と先程奪ったノート返そうとする。 「あ、それもういいや、ポケットさん持ってて!あ、いらなかったら、次に会うとき返してよ」 「……うん!じゃあ、頑張ってね、ブルートゥース!」 「ありがとう」  友人からの激励の言葉を背に、青葉は面接官の待つ部屋へ向かい、そのドアをノックした。その顔には先程までの様な悲壮感は少しもなかった。
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