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ともあれ、そんなふうに“わたしっぽい”土地で、わたしは十八年間を過ごした。
高校卒業後、上京して東京の大学に入学。卒業後、そのまま東京で就職、できちゃった結婚。第一子の出産、育児に、第二子の妊娠、出産、育児、第三子の妊娠、出産、育児。子供たちの保育所、小学校、中学校、高校、大学の入所入学、受験、卒業。ほぼ毎年、何らかの大きなイベントがあって、滅多に田舎に帰れなかったわたしは、息子たち全員の大学受験が終わった最初の夏、久し振りに日程に余裕を持って、父の墓参りのために帰省したのだけど。
「何年振りだろ。息子たち、大きくなったね。幾つになった?」
「全員、大学生になりました」
「へえー。何ていう学校?」
「長男が東大、次男が京大、三男が一ツ橋大学に通ってます」
「いやあ、立派に育てたね。男の子、三人も。お母さんよりずっと大きくなって。美雪ちゃん、偉い偉い」
わたしの父の兄の息子のお嫁さん――つまり、従兄の奥さんなんだけど、わたしより二十歳以上年上なので、ずっと『おばさん』と呼んでいたその人は、そう言って、大仰な身振り付きで、わたしを褒めてくれた。
彼女はわたしの息子たちが通っている大学のランクはほとんどわかっていない。
それが感じ取れたらしく、出来のいい我が息子たちは気が抜けたような顔。都会では、どんなお年寄りだって、まずSSSランクの大学名に感心するものね。
そうね。でも、男の子を三人、母親より大きく育てあげたのは、とっても“偉い”こと。そういう素朴な称賛を受けるのも、母親としては嬉しいものなのよ、息子たち。
我が息子たちは、父親が仕事人間で、子供の情操教育にはほぼ無関心だったのに、反抗期らしい反抗期もなく、ぐれたりすることもなく、素直ないい子に育ってくれた。
わたしは、そんなに『勉強しろ』と言ったことはないし、私立校のお受験をさせてあげることなんて思いつきもしないのんびりや。産休明けもフルタイムの勤めをずっと続けていたから、行き届いた子育てができたとは、お世辞にも言えない。さほど立派な母親でも偉い母親だったわけでもなく、時には愚痴だって言いながら、お弁当を作って、洗濯をしていただけの二十数年間だったんだけど。
わたしは、子育てに関しては、とても恵まれていたと思う。
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