田中美雪

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田中美雪

 男が三十歳まで童貞でいると、魔法使いになれる。  四十歳まで童貞でいると、妖精になれる。  五十歳まで童貞でいると、神になれる。  そういう冗談が流行ったことがあった。童貞進化論っていう学説――もとい、巷談。  神になるのは五十五歳だとか、五十歳でなれるのは大魔導士だとか、年齢やなれるものには諸説あったけど、進化の大筋はどれも似たり寄ったり。  その後、六十歳まで童貞でいると、その男はどうなるか。なんと、彼は、セックスをすると死ぬものになる。  つまり、セックスをせずにいる限り、彼は不老不死、永遠に生きていられる不滅の存在になるのだ――って落ち。  この手の冗談を、他人事として聞く男、自嘲気味に聞く男、激しい焦慮と共に聞く男、開き直って聞く男、聞いて憤る男――と、男も様々いるんだろう。  一部の男には笑いごとでは済まないのかもしれない、この童貞進化論。一般的には、もちろん笑い話として存在する。  でも、処女進化論は存在しない。少なくとも私は、処女進化論なる学説に接したことは、これまでただの一度もない。  なぜ処女進化論は存在しないのか。存在するにしても、童貞進化論ほどメジャーじゃないのか。  私が思うに、それは、歳を重ねた男が童貞だという事実には、どこか滑稽な面白味があるけど、歳を重ねた女が処女だっていう事実には、それがないからなんじゃないだろうか。つまり、『老いた処女は全く面白くない』ってこと。そこには、笑える要素が毫もないのよ。六十歳の童貞は冗談にできるけど、六十歳の処女は冗談にできない。  私はそう思ってる。ほぼ確信してる。  男は、その気になれば、あるいは金を払えば、その大多数が比較的容易に脱童貞できるわけでしょ? “シロウト童貞”なんて言葉があるくらいだものね。でも、“シロウト処女”なんて言葉はない。  ってことは、五十になっても六十になっても童貞のままでいる男は、本気で脱童貞する気がないだけだってことなのよ。  だけど、女は、そうはいかない。女は、女だけがその気になったってどうにもならない。  童貞は、自ら望んで童貞。  処女は、誰からも望まれないから処女。  いろいろ例外はあるにしても、大部分はそう。  これはすなわち、老いた童貞には、妖精や神や不老不死になっていられる余裕があるけど、老いた処女はただただ物悲しく、哀れみを感じさせるだけの存在だってこと。  だから、処女進化論は存在しない。  ぽっちゃり可愛い系の女の子に『デブ』と言うことはできても、本当のデブに『デブ』と言うことはできないのと同じ。そんなことをしたら、笑い話では済まなくなって、本当に深刻にそのおデブさんを傷付けてしまうかもしれないから。  あれと同じ理屈で、処女進化論は存在しないんだと、私は思う。  非処女ばかりが登場する源氏物語と、老齢に至るまで処女を守り抜いた女に、『もののあはれ』っていう要素が共通してる。  清少納言なら、これで一段、ものにして、『いとおかし、いとおかし』で結んでみせるに違いない。  そんなことを考えて、ふっと笑いかけ、私は慌てて その笑いを喉の奥に押しやった。  多分、これは笑いごとで済ませていいことじゃないはず。そう思い直して。  だって、その面白くなくて、『いとおかし』なものに、私はなってしまったんだから。
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