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冬の寒さなど酔っ払いには気にかけるほどのものでもない。お酒のおかげでむしろ体温が上がって熱いものだから、コートを脱いでスーツだけで歩く始末。ヒールをかつこつ軽快に鳴らして帰り道をゆく。
だんだんほろ酔い加減にまで酔いが覚めて来た時、道の先にピンク色の花をつける木を見つけた。
「桜?」
今は二月だ。花が咲くにはまだまだ早いはず。だというのに、桜の木の先のほうには一輪だけ咲いている花がある。
さすがにスーツだけでは寒くなってきて、そろそろ着ようかとしていたコートを木の枝にかけてやった。まだ充分酔っているなぁなんて自覚する。
「ねえちょっと、桜さん。昼間はたしかにあったかかったけどね、勘違いして咲くほどの気温じゃなかったわよ。それにほら、今はこんなに寒い」
言ってからぶるっと身震い。「ごめん、やっぱ返して」と謝る。
すると「寒いですぅぅ」と子どもの声が聞こえてきた。
「間違えて咲いちゃいました! 起こしてくれてありがとうございます」
見ればピンクの花の咲く枝に、小さな女の子が座っていた。寒さにぶるぶる震えている女の子は細い枝に座れるほどの小ささ。つまり人間サイズではない。
ところがさすが酔っ払い、多少の不思議には動じない。私はその女の子に話しかけた。
「ちゃんと春になってから咲かないと駄目よ」
「はいぃ。うっかり凍えて死んでしまうところでした。そしたら春になってももう咲けません」
寝るな、寝たら死ぬぞ、という台詞が脳裏を過ぎる。
「起こしてもらえたのでもう大丈夫です。木の中に戻ってちゃんと冬眠します」
「そうしたほうが良いよ。死なずに咲いたら、ちゃんと見に来てあげるから」
格好つけてコートをバサッと翻す。
「嬉しいですぅ」
じゃあね、と去ろうとすると、桜の女の子が「あのっ」と背中に声をかけてきた。
「なにかお礼を」
「いいよ、お礼なんて。綺麗な花を見せてくれればそれで充分」
自分のクールな言葉に酔いしれる。家に帰ったらもう一杯やろう。
後ろのほうからは「分かりましたー! ありがとうございます」というお礼の言葉が聞こえてくるのだった。
さて家に帰った私の酔いはもうだいぶ醒めてしまっていて、変な幻を見たなー、しかも幻覚相手に会話しちゃったなー、と自分自身に呆れながら冷蔵庫を開けた。
中に入っているのは度数の弱い甘いお酒。これくらいならジュースとそう変わらない。追加で飲んでも良いでしょう、とコップに注ぐ。
――と、着たままのスーツの胸ポケットの中から何かがひとひら、舞い落ちる。
ひらひら、ひらひらと舞って、お酒の水面にすぅっと浮かぶ。
「……桜」
酔いの幻ではなかったようだ、と気づいてくすくすと笑う。そういえばあの時、綺麗な花を見たいと言った。
花びらの浮いたお酒を高くかざす。
――誰より早い花見酒だ。
春になってあの子がちゃんと咲いたら、私もちゃんと見に行こう。その時もお酒を飲んで酔っぱらっていたら、またあの子に会えるかもしれない。
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