そのアンドロイドはビスケットを食べるか

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 いつも着る服のポケットに入っていたのはビスケットだった。 「どうしてビスケットが入っているのでしょう」  アダムが問いかけた言葉にキリエが首を傾げ、やがて頷いた。 「ああ。気になるの?」 「はい」 「ん──……幸せの味だからかもしれない」 「幸せの味ですか、私には理解が難しいようです」 「そうね、アダムはアンドロイドだし」  困った顔をしたキリエは研究者だった。超高性能人造人間アンドロイド、アダム-500を作った開発者でもある。 「探索して学習しましょうか」 「そんなこといいわ」 「しかしアダム-500は私しか残っていません」 「いいの!」  キリエは声を張り上げた。アダムが黙ると取り繕うような笑みを浮かべて念を押す。 「探索なんていいのよアダム。どうせ人類なんて残ってないんだもの」  キリエの言う通り人類は滅びた。 半分は病や飢餓で死に、半分は戦争で死んだのだ。アダムはキリエが国に命令され作った機械兵士である。同型は戦場に投入され二度と帰ってこなかった。キリエがそれについて、つまりアダムの同型が投入された戦争について言及することは今まで一度もなかったが口にすることを恐れていることはバイタルによって観測できる。とりわけ最後のアンドロイドであるアダムを失うことは現在のキリエにとって耐えがたい苦痛をもたらすらしい。  空腹は人間の心身によくない影響を与える。キリエの精神とバイタルを落ち着かせるためにアダムはビスケットを出して割った。 「こうすれば二人で食べられますね、キリエ。どうぞ」  キリエは笑うのに失敗した、唇を無理やり引き上げた表情を浮かべクッキーを受けとる。 「ありがとう、アダム」  それから季節は何度も何度も死んで、生まれた。キリエとアダムが拠点とする建物の周囲には名も知れない草木が繁茂し正体不明の動物も出没している。  草木の名前や動物の種類は、キリエが命令すればアダムが調べただろうがキリエは望まず命令しなかったのでアダムは調べなかった。アダムはキリエのためだけに存在しておりここには静寂に満ちた安らぎだけがある。喜びという感情は、このようなものなのだろうか。 「ビスケットが食べたいわ」  キリエはベッドに座っていた。老化した体は動かず近頃は一日中ベッドで過ごしている。 「ビスケットですか」 「そうよ、作ってくれる?」  アダムにとってははじめての命令だ。キリエは深い皺に埋もれた目を眩しそうに細める。 「懐かしいわ、とても懐かしい。ね、昔あなたに幸せの味って言ったわよね、あれは受け売りなの。ビスケットは僕にとって幸せの味なんだって、わたしの、大切なひとが言っていた。それであのひとってばこうすれば君と食べられるってビスケットを割ったの、ずっといっしょにいるって約束したのに……」  キリエが見ているのはアダムではない。 少なくともアダムは自分が誰をモデルに開発されたのか、なぜあんなにもキリエがアダムを失うことを恐れていたのかを理解してしまった。 「承りました」  アダムは材料をかき集めキッチンでビスケットを作るのに三時間費やした。食料は長期保存できる容器に入れていたとはいえ保存できる量に限界があっただけではなく、自給自足できる作物はごくわずかであったのだ。  バターと砂糖の甘い香りが漂って焼き上がったビスケットを皿に盛りつけたアダムはキリエがいる寝室に入った。 「キリエ、ビスケットができました。……キリエ?」  窓辺からの暖かな日差しに照らされたキリエのバイタルは、停止している。 アダムはチェストに皿を置くとキリエの顔を眺め、ビスケットを手にとり摂取することにした。もしかしたら壊れる可能性があるが永遠に稼働し続けることはアダムの目的ではない。 「砂糖と脂質、牛乳しか検出できません」 今やキリエが望んだ幸せの味を探してビスケットを作り続けることがアダムに課せられたたった一つの使命だった。
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