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 ある日の閉店後、店の近くの居酒屋で歓送迎会があった。三十人くらいがわらわらと話す中で、俺とアオは人一人挟んだ出入口側に座っていて、互いに違う輪の中で盛り上がっていた。目の前の輪の話を聞いているようでいて、俺の耳はアオの名前を聞き取る。 「真鍋さん今彼氏いないんっすよね? オレの友達でいいやついるんすけど、連絡とってみません?」 「いないけど、私そういうの苦手だもんなぁ」 「そんな言わずに。年下っすけど優しいやつなんすよ。ちょっと待ってください、どっか写真なかったかな……」  配送担当の若いの、持田が、何やらスマホの画面をスクロールしているのがわかる。入れ替わりが激しいうちの店では、二十代、三十代の若い世代が多い。自然と話題はこれ系ばかりになる。 「私面食いなの。イケメン一択! イケメンは正義! 旦那? それはノーコメント」  俺の目の前の大橋さん、後の妖怪オツボネンの声で輪の中にどっと笑いが起こる。飲み会の席の妖怪オツボネンは陽気だ。 「滝沢くんは? どういう子がタイプとかないの?」  ジョッキで俺をさしながら、妖怪オツボネンが聞く。「あ、ありました! この端っこに写ってるやつなんすけど。連絡だけでも」持田が、アオに迫るのがわかる。俺は三分の一ほどあるジョッキのビールを一息にあおった。 「疲れたときに、自販機のおしるこくれるような子が好きですね」  わざと、大きな声で言ってやった。「ネタやん!」「真面目に答えなさいよぉ!」と笑いながら小突かれる。トイレに行こうと席を立つとき、さり気なくアオを見た。一瞬目が合って、またすぐにそらされる。その目が熱く潤んでいたのが、顔が赤くなっていたのが、酒のせいだけじゃなかったらいいのに、と思った。  トイレから戻って個室へ戻ろうと靴を脱いでいたとき。 「滝沢くんが前付き合ってたあの子! 今ごろどうしてんのかしらねぇ」  中から妖怪オツボネンの声がした。思わず体が固まり、ふすまを隔てて立ちすくむ。 「え? 滝沢主任って誰か付き合ってた子いたんすか?」 「今の店長になる前だし、もうあたしくらいしか知らない話だけどね。その子滝沢くんにぞっこんで、仕事中もべったり。シフトだって毎回滝沢くんと同じ休み希望出してさぁ。滝沢くんに寄りかかりっきりよ。正直あれは迷惑だったわ」 「えぇ~? なんか今の滝沢主任のイメージと全然合わないっすね」 「でしょ? 滝沢くんも滝沢くんで、なんであんな甘ったれた子と付き合ってんだろ、見る目ないわねって思ってたけど、まぁ若い頃なんてみんなそんなもんよね」 「ひぇ~」 「別れたときなんか悲惨よ。その子大泣きして大騒ぎして、『もう辞めます!』ってその日限りで来なくなっちゃって。あれは滝沢くんに同情したわね」  前に付き合っていたあの子。  入社してすぐ何故か気に入られて、好きだ好きだと言われるうちに可愛いしいいかな、と軽い気持ちで付き合った。仕事で俺がほかの女性社員と雑談していればやきもちをやき、自分の仕事のミスを当然のように俺に助けてもらおうとして。最初は可愛いな、頼られてるんだな、と思っていた行動も、どんどん負担になっていった。距離を置こうにも、同じ職場にいるからそういうわけにもいかない。何もかもが積もりに積もって「もう無理だ」と別れ話をしたときには、店長にまで話が及んだ。    そうして別れたあともこうやって、ずっと噂され続ける。  唐突にふすまが開いたと思ったら、アオが出て来た。すぐ脇に立っている俺に気付いて、悲しいような、悔しいような、何とも言えない顔をする。何も言わないけれど、たぶん、心配してくれているんだろう。先にそんな顔をされてしまうとなんとも格好がつかず、俺は「困ったもんだよな」となんでもない顔で笑い返して、アオと入れ違いで個室へ戻った。  みんなさっきまでの話はなかったことみたいにして、なんでもない顔で、別の話題で盛り上がり始める。  やっぱり社内恋愛なんかしないほうがいい。どう考えても面倒だろ。  みんなの話に相槌を打って、ちょうどいいところで笑う。アオが戻ってきた気配があっても、もうアオのほうは見ない。  これでいい。大勢の中にいる一人でいいんだ。
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