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6
それからは帰る時間が同じであれば駅まで一緒に帰ったし、どちらかが翌日休みの日は俺の部屋で一緒に過ごした。互いに公私混同はしないよう気を付けていたけれど、それでも妖怪オツボネンみたいにコソコソ言うやつはいた。でももう気にはしない。言いたいやつは勝手に言えばいい。こう思えるのも、相手がアオだからだ。
ちなみにまた行くはずのアオの部屋には、アオの妹いろはが同棲中の彼氏と揉めて転がり込んでいるらしく、引っ越しの手伝いに行ったきりになっていた。
「いろはのやつぅ、早く出てけばいいのに」
そうは言いつつアオは妹のことが大好きだ。仕事帰りにスーパーに寄っては、妹が好きだというプリンや新発売のお菓子を買って帰る。急に妹が出て行ったら、寂しくて、部屋の広さに泣くんだろう。俺が「そうだな」と答えながら笑うと、肩にパンチが飛んできた。
思い出し笑いしていたら、アオにからかわれた。
「思い出し笑いしてる、スッケベー」
「偏見! 思い出し笑いとスケベはどう考えても無関係だろ」
「いーや。全国民で多数決取ったら『思い出し笑いするやつはスケベ』って回答になるはず」
「なるか! そんなアホな多数決に応じるほど日本国民はヒマじゃねぇぞ」
大口を開けて笑うアオを見ていると、俺まで笑えてくる。すぐに駅についた。
アオと改札をくぐり、お互い反対方向の電車に乗るためその場で別れ、乗降口まで歩く。三番乗り場に立って、向かい側のホームを見渡す。白、黒、ベージュ、グレー……その中に、赤が見えた。アオのニット帽だ。アオが人垣からひょこっと顔を出してキョロキョロ見回し、俺を見つけて笑った。俺も笑い返す。前に来たアオがちょっとちょっと、と手をひらひらさせて、自分のポケットを指さしたあと、俺を指さす。
ポケット?
ジェスチャーで尋ねると、アオがうんうんと頷いた。コートのポケットに手を入れたら──。
「あ」
何か小さな、固いものに手が触れた。
いつの間に。また俺のポケットにゴミ入れやがったな。
アオのいたずら顔を見てやろうと顔を上げたけれど、目の前に入ってきた電車がそれを遮った。仕方なくポケットからそれを取り出して、手のひらにのせる。
これって──。
俺はそれを握りしめて、乗るはずだった電車を無視して駆け出した。向かい側のホームにも電車が入ってきている。すみません。すみません。人をかき分けながら、焦れる思いで急ぐ。待って、アオ。
思い返してみれば。今日のアオは、いつもよりちょっと明るすぎた気がする。なんで言わなかったんだよ。いや、そうじゃない。
いたずらが好きで、妹が好きで、面白いことが好きで。照れ屋で、寂しがり屋で、素直じゃなくて──。
ルルルルルルル……
発車ベルを背に、階段を一段飛ばしで駆け上がる。次々と押し寄せる人の群れが、駅の広さが忌々しい。アオはもう電車に乗ってしまっただろうか。どうか、まだ。そこにいて。
階段を駆け降りて、反対側のホームに着いた。
アオが乗るはずの電車はまだ目の前にあるけれど、アオが立っていたはずの場所にはもう誰もいない。
遅かったか。
電車の中にアオの姿を探そうと目を向けるも、ちょうど目の前で電車のドアが閉まった。赤いニット帽が少しだけでも見えたら──。そんな俺の願いから逃れるように、電車は走り去っていく。
何やってんだ俺は。また明日店で会えるだろ……。
額の汗を拭いながらあがった息を整え、握りしめていたものを見つめる。ふと、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、俺の頬に指が突き刺さる。
「引っかかった」
どこに隠れていたのか、俺の頬に人差し指を刺したままアハハと笑うアオがいた。引っかかった悔しさも忘れて、俺はアオを抱き寄せる。アオにしかない、深い森みたいな、ほっとするにおいがした。
「一緒に帰ろう。いろはちゃん出てって寂しいんだろ」
「……うん」
体を離して「ん」アオに右手を差し出す。「ん」アオが頷いて、俺の手に自分の手を絡ませた。
二人並んで同じ電車を待つ。
俺はさっきまで握りしめていたアオの部屋の鍵を左ポケットの中で撫でながら、これは相当好きだな、と思っている。
<了>
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