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「っし、準備完了!」  舞台上で聞くより数段太い声とともにシーは控室から出てきた。髪型は、右側は真っすぐ下ろして左側は巻いたり編んだりしてアップになっていて、全体にラメみたいなのが振りかけられている。シンプルなシャツとパンツは青みのある白だ。  オットーが控室から持って来た大きい機材を撮影場所の中会場まで運ぶ。シーの写真を撮るとき、オットーはアシスタントを呼ばない。これまではシーが準備もしていたらしい。おれが手伝いながら見学できるのは一石二鳥だ。 「よし、すぐ終わらせるぞ。オットー、撮り終わったらデータを僕にもくれるか」 「良いけどお前、何に使うんだ」 「記念」  んなこと一度もなかったろ、とぶつぶつ呟きながらオットーは素早く準備を進めていく。おれがライトを設置しているあいだに、シーは歩き回って備品のピアノやソファを観察していた。高級な絨毯みたいな模様のソファには、飾りつきの四角いクッションがごろごろしている。それらを丁寧に片側へ積んで、シーは「ここにしようか!」と声を張った。 「そっちのいかにも会食してますってなテーブルよか良いだろ。食い物の広告じゃないんだし」  今回は紫外線対策の化粧品の広告だったか。ソファは窓にも近いし、太陽の光が入ってきてそれっぽいかもしれない、と素人考えで頷いてみる。  しかしオットーはげんなりした顔をシーに向けた。 「シルヴェさん、向こうから指定されたのはテーブルでの撮影ですが?」 「……クオリティで黙らせよう」 「スポンサーと喧嘩してどうすんだ」 「喧嘩じゃない。交渉だよ。んじゃあお前は、どっちの僕を撮りたい?」  シーはソファの真ん中に座り、顎を上げて煽るようにオットーへ尋ねる。何度か見学をするうちに分かってきたことだけど、実際、オットーはシーにめちゃくちゃ甘い。だから間をおかずにオットーがソファを指差しても、おれは特別驚かなかった。  裸足姿のシーは、ソファの上で色々なポーズをとる。右を向けば、凝ったヘアメイクがよく見える。左を向いて俯けば、さらさらの髪がカーテンみたいに広がって、顔にランダムな影を作る。シーなんていつも見ているのに、いつの間にかおれは目が離せなくなっていた。  ただの被写体になったシーは透明だ。空気を全く含まない氷みたいに綺麗で、だけど鏡とは違って反射せず、周りの色を引き立てる。  良いものをより良く。手が届かないものに届かせてみたいと思わせる。見てみたい、聞いてみたい、体験してみたい―欲を加速させる。  カメラを睨むような強い視線も。捲ったシャツから見える、骨と筋肉のかたちがよく分かる腕も。シーの全ては、視線を逸らすことを許さない。  舞台上でも広告でも、シーは多くの人の眼差しを受け取る。視線は、彼と宣伝物の美しさを保証する。美しいものはさらに視線を集める。終いにはB級映画の怪物が放つレーザー光線のように、視線は彼を削り取っていく―そんな妄想をしてしまう。  だけど妄想するためじゃない、おれは、彼から少しでも学ぶためここにいるんだ。どうやったら観客を飽きさせないでいられるか。観客側、見る側からシーの秘密を探すんだ。  表情。仕草。身体の細かな使い方― 「……あ」  ソファの背もたれに腰掛けたシーは、おれの小さな叫びに気付いたらしい。シャッターをきられているのにも構わず「どうした」と離れたところのおれに声を投げる。 「シー、そこに座るんなら逆の足を前にした方が良いよ。利き手と利き足、左右違うだろ? 動かしやすい方をよく見せたら色んな格好ができる」 「……」 「……何となくだけど」 「よく僕の利き足なんて分かるな?」 「普段の所作を見ていれば分かるよ。体幹もしっかりしてて左右のバランスが均一だけど、両利きではないよな」 「……」 「えっと……」 「さっすがだな、ヨウシア! 僕よりずっと身体の使い方が上手いもんな!」 「え、―え?」  シーはにこにこ顔で近付いて来、おれにヘッドロックをかましてきた。かなり強めに撫でられて、犬みたいにくちゃくちゃにされる。 「何なになに、どうしたんだよ、はな、放せって」 「全身使った広告なら僕じゃなくてヨウシアにすれば良いのになぁ。広告屋も見る目がないよ」  オットーも止めずに「だな」とこちらに向かってカメラを向ける。なんだこれ。二人とも年上だけど、こんな絡み方今までしたことないのに。  おれが目を白黒させているうちに、シーは飽きたらしくソファへさっさと戻っていった。何事もなかったかのように撮影を続けるけれど―心なしか、さっきの透明な感じが薄くなったように見えた。着ている服と同じ青白い光が、シーの周りに散っているような。 「なんでだ……」  こんな短時間で何が変わったんだろう。おれの指摘が影響したってことか? 考えても分からない。  ちかちかした光を撒き散らしたシーの撮影は順調に進み、予定よりも早く終わりそうだ。オットーの端末に三人で顔を寄せて、あれが良い、これが良いと話し合う。おれは太陽光が当たっているアップの写真を選び、シーはおれがアドバイスした写真を選んだ。 「最終的には向こうさんの好みだけどな。で、なんでお前はこの顔面のにしたの」  シャツの胸元をばさばさとあおぎながらシーは訊く。 「だって夏の商品の宣伝だろ。光が当たってて一番それっぽいと思って。シーの顔が大きくて良い」 「なに、お前も僕の顔、好き?」 「好きだよ。当たり前だ」  顔も見たくないくらい大嫌いな相手とペアなんて組めない、と続けようとして、やめた。眼前でシーが固まっている。未知の生物でも見たような顔で、おれを見返している! 本当に今日のシーは何なんだ? 「……お前、すごいね」 「一人で完結すんなよ、感想を述べて満足すんなよ。どうしたの一体」 「いやぁ…………」  答える代わりに首を傾げながら、シーは片付けに入ったオットーに近付いていく。小さなメモリバーを受け取って戻って来ると、それを端末のコネクタにぶっ刺した。  バーに入っていたのは、おれの宣材用の写真だ。選んだものにはおれの名前が付いているからすぐにそれと分かる。シーはその一枚を拡大表示すると、腕組みをして満足そうに頷いた。 「躍動感があって君らしいね。春みたいだ」 「おれが春ならシーは冬だ」 「そうか? 宝石や妖精はあっても、季節に喩えられたことはあんまり無いな……。ここは四季が乏しいからかな」  だから、とシーはおれの肩を軽く叩く。 「特定の季節を連想させる表現ができるのはもう立派な武器だ。大切にしなね。君にとって四季が当たり前だとしても、客にはそうじゃないから」 「特別公演のテーマに季節絡みのものが多いのも、それこそ四季が特別だから? お客さんが喜ぶように……」 「正確には、四季に基づいた自然が、だ。僕もこの街で生まれ育ったけど、まともに季節を感じるのはイベントのときだけだったな」  世界各地の宗教を混ぜこぜにした行事を、シーはつらつらと挙げていく。おれにとっては、むしろそれらが珍しいけど。 「君の出身地辺りまで行かないと、自然をじかに感じるのは難しい」 「……そうなんだ」 「だから僕たちの演技がテーマの解釈って点で高評価をもらえるのも、君が美しい自然を知っているおかげだよ」 「……」 「ヨウシア?」  シーから顔を覗きこまれる。彼がおれの出身地を知っているのも、好意的な印象を持っているのも今更だ。―ペアになっていくらか時間が経過しても、おれがそれ以上の、言うべきことを告げられていないだけで。  秘密にしたい訳じゃない。でも、今はまだ秘密にしなければいけないことが、おれにはある。 「何でもない。シーがおれを褒めるの、あんまりないから驚いた」 「はは、舞台の上だと直すとこばっかりだもんな!」  それはそれ、これはこれ。透明でも白色でもない色で、シーはからりと笑った。
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