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通常公演で使う楽屋は大部屋で、皆で譲り合って支度をする。一方特別公演は個別に楽屋が―といっても会議室だけど―用意されている。着付けやメイク専門もスタッフに頼めるが、シーは準備を任せたことは一度もない。先輩たちからそんな話を聞かされていた、ペアであるおれはというと……文字通り、シーのなすがままになっていた。
服は自分で着られる。けれどメイクはさっぱりだ。化粧して学校に行くという選択肢すら頭になかったし。
だから、普段の手入れや基本的な部分以外の、細かい部分はシーに任せる。不思議な匂いのクリームや粉を塗りたくられるのは面白い。調理されている食材の気持ちを味わえる。
「……よし。今日も完璧だ。いいよ」
シーの合図で目を開く。三面鏡の前に座る自分を、自分じゃない誰かが覗き込む。眉と目元が青い露草色だ。右の目尻から髪の生え際に向かって、タトゥーのような模様が描かれている。何色かの青い渦巻き。髪は動きをつけて左側に流され、右耳には大ぶりなイヤリングが揺れている。
「取れない? 耳のこれ」
「よほどじゃない限り」
「よほど、を要求するのは誰だよ」
「まぁ僕だね。ほら、全身も見てみな」
立ち上がって姿見の前へ移動した。ひらひらした袖のシャツと濃紺のパンツ、それから軽くて光る上着が今回の衣装だ。上着は丈が短く、ビーズやキラキラする糸の刺繍も、動きの邪魔にならなさそうだ。
今回の特別公演のテーマは海岸。
おれたちは、朝の波打ち際を表現すると決めていた。
「このひらひらとかキラキラが波なんだね」
衣装は寒色だが、装飾はオレンジ色や黄色といった暖色が多めだ。朝の光が水面に映えるイメージにぴったりくる。
「教えてくれたのを衣装班にそのまま伝えたんだ。イメージに合ってた?」
頷く。シーは実物の海を見たことがないと言って、今回は衣装案もパフォーマンスの方向性も任せてくれたのだ。動画や写真を探せばいくらでも出てくるのに、シーは「本物」が良いと譲らなかった。頼ってもらえて嬉しい半面、なんだかくすぐったい。
「シーのはおれと反対なんだね、衣装の上下で色が―」
と、控室のドアがノックされた。
ゆっくり開けると、おれの同期が気まずそうにつっ立っている。特別公演に出られない「海」が手伝いをするのは珍しくない。おれもシーと組む前は受付補助をしていたし。あれ? と思ったのは、彼が花束と段ボール箱を抱えていたことだった。
「どうしたの。いつもは終演まで受付にまとめてるよな」
「ヴェリさんが持ってけって。あの人の差し入れも入ってるっぽくて」
あの自称シルヴェ親衛隊、何やってるんだ?
「確認がまだだから、渡して良いかどつか―」
「今回は受け取っておくよ。だけどもしまた同じように言われたらはっきり断って良いからね。僕の名前を出して」
シーはおれの肩越しにそう言って荷物を受け取る。同期はほっとした顔で、深くお辞儀をし去っていった。
「…………あの阿呆」
ドアを閉めると、地の底から響くような低音でシーは呟いた。思わず顔を二度見してしまった。さっきまで同期に微笑みかけていた人と同一人物だとは思えない。
「大方、自分のプレゼントを当ててみろとか言うつもりなんだろ……ありがたくも何ともない。阿呆の暴走を止められる連中が今日はいないからな、あの楽器弾き君にも迷惑かけたわ」
「あいつが演奏家志望だって、シー、知ってたの」
「海にいる表現者の顔は全員覚えてるさ。……ヨウシア、お前からも今度謝ってくれるかい、あの子に」
「もちろん」
シーの口ぶりからして、ヴェリから有難迷惑なサプライズを受けたのは初めてじゃなさそうだ。差し入れはスタッフの確認を経て演者に渡される。普段とは異なる作業をすることで色んなところに支障が出るといった旨のことを、シーは舌打ちしながら呟いた。
「第一、確認作業を徹底するよう本部規則を変えたあいつが規則破りをしてどうするんだって話だ。くそ、本番前に苛々させる……」
「シー、深呼吸、深呼吸」
応援してくれる人がいること自体は悪いことじゃない。しかし親衛隊を初め、ファンの存在は諸刃の剣のようなものだ。好意が必ずしも、それを向けられる相手にとって良いものだとは限らない。
「ヴェリも苛つくけど、こういうのもどうかと思うわけだよ僕は」
と、シーは花束を引っ掴んでおれへ向ける。花と、根本を結わえているリボンとを指差して、
「色。わざわざ作って下さったと思わざるを得ないね」
使われている花は、白いバラやガーベラが多い。対してリボンは光沢がある赤だ。……ええと?
「しっかりしてくれヨウシア。僕らはいつだって見られてる。だろ?」
「んなこと言ったって……あ! 分かった、髪の色だ」
ご名答、とシーは肩をすくめた。彼の髪はさらさらの銀色で、僕のは少しくせのある赤茶色だ。
「けど、何があからさま? おれたちに色を揃えてくれたんじゃ」
「…………花束の主役は?」
「花」
なるほど、そういうことか。
僕はつまり、花を引き立てる脇役だって?
「シーのファンだったんだな。……おれたちの、じゃなく」
長く「海」にいるシーとぽっと出のおれとじゃ、注目のされかたが全然違う。仕方がないけど、諦めたくない。
おれたちは二人で、最高のパフォーマンスをする。シーのソロ演技よりペアの演技が良いと言わせたい。良いと思い知らせたい。シーの隣で踊るなら、このくらいは傲慢にならないと。
「花束が花束でいられるのはリボンがあるからだろ。なかったら草のかたまりでしかない」
シーは花束をテーブルに置いておれに向き直る。白いパンツの裾は大きく広がっていて、本当の波打ち際みたいだ。下ろした銀髪が濃紺の上着に反射して、いつも以上に光って見えた。
「何も問題なんかない、僕らは完璧だ。行くぞ、ヨウシア」
頷く。おれたちの、夏の舞台の始まりだ。
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