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「おい何なんだよあれはよ!」
ばかでかい声でそう言いながら、シーは控室に先に戻っていたおれの胸倉をぐいと掴んだ。息が上がっているし、まとめた銀髪がぐちゃぐちゃになっている。
「しょうがないよ、やっちゃったもんは」
「その能天気が腹立つんだって何度言わせる……!」
「まぁまあ」と、シーを後ろから羽交い絞めにしてオットーが言った。
「悪くなかったぞ。そんなに責めずとも」
「悪くない、だって!」
あ、駄目だ。
怒りの矛先がオットーに向かったのを感じ取って、おれはそっと息をつく。彼には悪いけど、演技が終わったばかりで猛るシーの相手をするのは、かなりしんどい。
ドリンクを最後の一滴まで啜ろうと、ボトルを垂直にひっくり返した。側面の水滴が指を伝って肘まで流れてくる。ぬるいそれさえも、火照ったからだには心地良い。
崩れた前髪をかき上げて通知板を見上げた。おれとシーの名前の隣には銀色の王冠マークが光っている。自己最高点を更新しているし、そう、悪くない結果だ。だけど、
「悪くないってのと良いってのは違うよな! ええ? オットー、お前の目にも! 良い演技には映らなかった! そういうことで良いんだな!」
「シー、落ち着い」
「うるさい!」
盛大な舌打ちをしてシーは控室を出て行く。追いかけようか悩んで、でもいつもと同じように、実際に追いかけはしなかった。
「ごめん。おれが悪い」
「ヨウシアが謝るもんじゃないだろう。あいつの協調性の無さは昔からだよ」
シーが蹴りつけていったドアの向こうには止まない歓声がある。また逃してしまった、勝者だけ―金色の王冠を得た者だけに許される歓声が。
一つ、大きく伸びをする。汗が冷えてかたまりかけていた全身の筋肉が軋む。両手を組んでからだ全体をゆっくりと後ろへ反らした。息を止めずに戻して、前後左右に曲げる。
「手伝うか」
「あー……お願いしてもいい?」
ベンチに脚を開いて座った。背中にオットーの体重がかかる。衣装から着替えたシャツはおろしたてでごわごわする。汗が肌に残る感じも不快だった。
一通りの整理運動が済んだところで、見計らったようにオットーは「そういえば」と口を開く。
「シーのやつ、動画見ないで行ったな」
「いつも見ないよ。見るとしても一人で部屋で、だし」
オットーの腕が足元のバッグに伸びる。けして小さくはないレトロなカメラの操作パネルを、おれは彼の肩越しに覗き込んだ。
「ほら。出来には期待するなよ。こんな古い機材触ったのなんざいつ振りか分からん」
「こっちこそ。急に無理を言った」
操作パネルがいったん暗くなって、録画再生画面に移り変わった。舞台中央にいるのはおれだ。きらきらな衣装を着ている自分は、いつになっても見慣れなくてそわそわしてしまう。
演技の開始直前、鳴っていた拍手が止んでいく。
ノイズ音。
スポットライトが周りの光源に飲まれて。舞台の隅に立つシーの姿も露わになる。
完全な静寂になる前に、ピアノをメインにした音楽が控えめに流れ出す。
「……ちょっと早かったなぁ」
最初のステップが音楽とずれていた。気を付けよう。
ピアノの音が少し大きくなるのと同時に歌が始まる。低く、伸びのある声が、雪解けの春を舞台上に生み出した。
シーのやわらかいアルトが、生まれたての小鳥を呼び寄せる。
小鳥にとって初めての春だ。見えるもの全てが新鮮で、目移りしそうになるのを木々がたしなめる。
―きみはまだ上手く飛べないのだから、まずは身近なものから見つめてごらん。
―地面を踏んだ感じはどう。空気はけっこう冷たいね。ここの赤い実は食べた? 危ない、そっちにはおっかない生き物が待っているから、近付かないで。
―こらこら、近付いちゃいけないったら!
好奇心旺盛な小鳥は声を無視して、光の差さない森の奥へと進んでいく。春がまだ来ず、木々が眠っている方へ。彼らの覚醒はまだ遠かったのに、小鳥は目覚めさせてしまった。無邪気にその羽根の先で、冬の闇を突いてしまった。
闇はすぐに目を覚ました。
ふくふくとしていて暖かい小鳥を見、にやりと笑う。
―ようこそ、ようこそ。こちら側へ、ご案内。
そして冷え切った風が小鳥の身体を攫い、なすすべもなく小鳥は吹き飛ばされる。しかし小鳥は、言い付けを守らなかったことを後悔してはいなかった。こんなことになってしまったけれど、知らないまま、見過ごしたままよりは、と思ったのだ。
全てを知っている冬の闇は思う。だからこそ春は美しい季節なのだ、と。
二つの季節が混じるアンバランスさを表現した、シーの歌声が消える。
地鳴りのような拍手が響き渡り、録画は終了した。
「……」
「……」
「……こりゃあ、穏やかじゃねぇ春だな」
「やっぱり噛み合ってなかった?」
「お前らが噛み合ってるところを見たこたぁねえよ」
今回の舞台のテーマは春の始まり。実際の季節は冬だからぴったりなお題だった。苦労は少ないけれど、それだけ他と違うものを作るのが難しい。
もちろん、シーとは演技のイメージのすり合わせをしていた。だけどおれの悪い癖が出た。やらかした。
暴走だ―元の計画そっちのけで、即興で自分の演技を作ってしまった。
「お前、謝らんとな、これは」
「仰る通りです」
「つーか鳥、食われてんじゃん」
「……」
「華やかさがねぇし暗い」
「……そうだね……」
縮こまっていくおれに追い打ちをかけるように、オットーは出場者情報が載った広告冊子でおれの肩をとんとんと叩く。
「『春の訪れを喜ぶ小鳥を表現しました』って、途中から鳥を食う側になってるのは笑うしかないぜ」
「じゃあいっそ笑ってよ」
オットーは真顔で、録画を演技の中盤まで巻き戻す。
無邪気な小鳥が、冬の闇へ近付いていくように。おれは舞台の端から端へ、枝を飛び移る小鳥になってステップを踏む。上半身を捻って止まったおれにカメラはズームした。
ピントが合って、伏せていた目を上げたおれは、小鳥から闇になっていた。弱くて無知な小鳥を食い尽そうと目論む、簒奪者へと豹変した。
暖かくなる季節の始まりを嬉しく思う小鳥、と言っていたのはどこの誰だと、シーから詰められても仕方がない。
なんていうか、もう、いたたまれない。
「―駄目だったのは分かったからとにかくシーと話す。ここで画面とにらめっこしてても埒が明かないし」
「おん。いつもんとこで待ってれば良いか?」
「お願いするよ」
荷物を適当に抱えて控室を出る。シーがいそうな場所は見当がついていたから、慌てて探さなくてもいいだろう。
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