1-2

1/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

1-2

「おい何なんだよあれはよ!」  ばかでかい声でそう言いながら、シーは控室に先に戻っていたおれの胸倉をぐいと掴んだ。息が上がっているし、まとめた銀髪がぐちゃぐちゃになっている。 「しょうがないよ、やっちゃったもんは」 「その能天気が腹立つんだって何度言わせる……!」 「まぁまあ」と、シーを後ろから羽交い絞めにしてオットーが言った。 「悪くなかったぞ。そんなに責めずとも」 「悪くない、だって!」  あ、駄目だ。  怒りの矛先がオットーに向かったのを感じ取って、おれはそっと息をつく。彼には悪いけど、演技が終わったばかりで猛るシーの相手をするのは、かなりしんどい。  ドリンクを最後の一滴まで啜ろうと、ボトルを垂直にひっくり返した。側面の水滴が指を伝って肘まで流れてくる。ぬるいそれさえも、火照ったからだには心地良い。  崩れた前髪をかき上げて通知板を見上げた。おれとシーの名前の隣には銀色の王冠マークが光っている。自己最高点を更新しているし、そう、悪くない結果だ。だけど、 「悪くないってのと良いってのは違うよな! ええ? オットー、お前の目にも! 良い演技には映らなかった! そういうことで良いんだな!」 「シー、落ち着い」 「うるさい!」  盛大な舌打ちをしてシーは控室を出て行く。追いかけようか悩んで、でもいつもと同じように、実際に追いかけはしなかった。 「ごめん。おれが悪い」 「ヨウシアが謝るもんじゃないだろう。あいつの協調性の無さは昔からだよ」  シーが蹴りつけていったドアの向こうには止まない歓声がある。また逃してしまった、勝者だけ―金色の王冠を得た者だけに許される歓声が。  一つ、大きく伸びをする。汗が冷えてかたまりかけていた全身の筋肉が軋む。両手を組んでからだ全体をゆっくりと後ろへ反らした。息を止めずに戻して、前後左右に曲げる。 「手伝うか」 「あー……お願いしてもいい?」  ベンチに脚を開いて座った。背中にオットーの体重がかかる。衣装から着替えたシャツはおろしたてでごわごわする。汗が肌に残る感じも不快だった。  一通りの整理運動が済んだところで、見計らったようにオットーは「そういえば」と口を開く。 「シーのやつ、動画見ないで行ったな」 「いつも見ないよ。見るとしても一人で部屋で、だし」  オットーの腕が足元のバッグに伸びる。けして小さくはないレトロなカメラの操作パネルを、おれは彼の肩越しに覗き込んだ。 「ほら。出来には期待するなよ。こんな古い機材触ったのなんざいつ振りか分からん」 「こっちこそ。急に無理を言った」  操作パネルがいったん暗くなって、録画再生画面に移り変わった。舞台中央にいるのはおれだ。きらきらな衣装を着ている自分は、いつになっても見慣れなくてそわそわしてしまう。  演技の開始直前、鳴っていた拍手が止んでいく。  ノイズ音。  スポットライトが周りの光源に飲まれて。舞台の隅に立つシーの姿も露わになる。  完全な静寂になる前に、ピアノをメインにした音楽が控えめに流れ出す。 「……ちょっと早かったなぁ」  最初のステップが音楽とずれていた。気を付けよう。  ピアノの音が少し大きくなるのと同時に歌が始まる。低く、伸びのある声が、雪解けの春を舞台上に生み出した。  シーのやわらかいアルトが、生まれたての小鳥を呼び寄せる。  小鳥にとって初めての春だ。見えるもの全てが新鮮で、目移りしそうになるのを木々がたしなめる。  ―きみはまだ上手く飛べないのだから、まずは身近なものから見つめてごらん。  ―地面を踏んだ感じはどう。空気はけっこう冷たいね。ここの赤い実は食べた? 危ない、そっちにはおっかない生き物が待っているから、近付かないで。  ―こらこら、近付いちゃいけないったら!  好奇心旺盛な小鳥は声を無視して、光の差さない森の奥へと進んでいく。春がまだ来ず、木々が眠っている方へ。彼らの覚醒はまだ遠かったのに、小鳥は目覚めさせてしまった。無邪気にその羽根の先で、冬の闇を突いてしまった。  闇はすぐに目を覚ました。  ふくふくとしていて暖かい小鳥を見、にやりと笑う。  ―ようこそ、ようこそ。こちら側へ、ご案内。  そして冷え切った風が小鳥の身体を攫い、なすすべもなく小鳥は吹き飛ばされる。しかし小鳥は、言い付けを守らなかったことを後悔してはいなかった。こんなことになってしまったけれど、知らないまま、見過ごしたままよりは、と思ったのだ。  全てを知っている冬の闇は思う。だからこそ春は美しい季節なのだ、と。  二つの季節が混じるアンバランスさを表現した、シーの歌声が消える。  地鳴りのような拍手が響き渡り、録画は終了した。 「……」 「……」 「……こりゃあ、穏やかじゃねぇ春だな」 「やっぱり噛み合ってなかった?」 「お前らが噛み合ってるところを見たこたぁねえよ」  今回の舞台のテーマは春の始まり。実際の季節は冬だからぴったりなお題だった。苦労は少ないけれど、それだけ他と違うものを作るのが難しい。  もちろん、シーとは演技のイメージのすり合わせをしていた。だけどおれの悪い癖が出た。やらかした。  暴走だ―元の計画そっちのけで、即興で自分の演技を作ってしまった。 「お前、謝らんとな、これは」 「仰る通りです」 「つーか鳥、食われてんじゃん」 「……」 「華やかさがねぇし暗い」 「……そうだね……」  縮こまっていくおれに追い打ちをかけるように、オットーは出場者情報が載った広告冊子でおれの肩をとんとんと叩く。 「『春の訪れを喜ぶ小鳥を表現しました』って、途中から鳥を食う側になってるのは笑うしかないぜ」 「じゃあいっそ笑ってよ」  オットーは真顔で、録画を演技の中盤まで巻き戻す。  無邪気な小鳥が、冬の闇へ近付いていくように。おれは舞台の端から端へ、枝を飛び移る小鳥になってステップを踏む。上半身を捻って止まったおれにカメラはズームした。  ピントが合って、伏せていた目を上げたおれは、小鳥から闇になっていた。弱くて無知な小鳥を食い尽そうと目論む、簒奪者へと豹変した。  暖かくなる季節の始まりを嬉しく思う小鳥、と言っていたのはどこの誰だと、シーから詰められても仕方がない。  なんていうか、もう、いたたまれない。 「―駄目だったのは分かったからとにかくシーと話す。ここで画面とにらめっこしてても埒が明かないし」 「おん。いつもんとこで待ってれば良いか?」 「お願いするよ」  荷物を適当に抱えて控室を出る。シーがいそうな場所は見当がついていたから、慌てて探さなくてもいいだろう。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!