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 この街きっての複合型娯楽施設の一角―通称「第零劇場」がおれたちの舞台だ。 「碧の海」の団員として、おれたちは音楽を主とした舞台を作り上げる。歌と演奏と朗読劇と、ちょっとした歌劇と―踊りによる舞台だ。一般向けに上演される演目のほか、特別仕様の演目も不定期で上演されているのが、他の劇場との大きな違いだ。  特別公演では、競争形式の単独もしくはペアでのパフォーマンスが行われ、観客の投票によって順位が決まる。  ルールは一つ。美しさを表現すること。  上位であればあるほど給与は上がるし有名にもなれる。箔がつくってやつだ。別の地域の公演に呼ばれたり、仕事をもらえる機会が増えたりと良いこと尽くしだから、団員は誰もが一番を目指す。  だけど美しさに正解はない。何を美しいと思うかなんて恣意的だ。自由なルールだけど(法に触れない範囲で、ともあるがそれはそうだろう)、自由すぎて却って不自由さを感じるのはおれだけだろうか。 「……こっちの方だと思うんだよな……」   劇場の裏手から出て、飲食店街がある方へ流れていくお客さんたちに混ざって進む。衣装と化粧を取り払ったおれを、誰も目で追ったりしない。  まあ、駆け出しの新人も新人の顔を覚えているなんて、よほど熱心な観客くらいだろう。舞台上で始終飛んだり跳ねたりしているから顔にはほとんど注目されないし、第一ペアの―シーの実力と認知度と比べたらおれはまだまだ、彼の足元にも及ばない。  おれは「碧の海」では何十年ぶりかになる踊り手だ。意外なことに(おれも入るまで知らなかった)、ここには踊り手は一人もいなかった。  団員の中には、楽器を演奏する人も歌が上手い人も大勢いるのに、シーはなぜかおれをペアの相手に選んだ。歌と踊りのペアは史上初だと、お偉いさんの間ではちょっとした騒ぎにもなったらしい。  おれを選んだ理由も、実際に組んでみた感想も。ペア結成から数か月経とうとしている今も、彼には訊けないでいる。  途中で人波を抜けて、倉庫や交通整理用の道具が置かれた方へ向かう。ここを通り過ぎると、舞台に上がる前に準備をする副劇場がある。灯りがついていない入口の階段に座って、シーは端末を見つめていた。交通整理用のポールや三角コーンに埋まっているとまるで野良猫だ。 「帰ろう、シー」  おれが目線を合わせようとするより早く彼は立ち上がった。階段の差で、いつもは見上げてくる目線から見下ろされる。 「オットーが待ってる。宿舎に帰ろう」 「…………他に言うことは?」 「……今日は完っ全におれが突っ走った。一番の反省点はそこです」 「ん。分かってんなら良い」  愛想笑いを浮かべたおれとは反対に、シーはにこりともしない。自分の小さなバッグを肩に担ぎ、こちらの顔も見ずに階段を下りる。  宿舎まで歩いていくには少し遠い。おれはトレーニングも兼ねて走ることが多いけど、シーは圧倒的にクルマ派だ。オットー―劇場への出入りを許可されているカメラマンで、シーの古くからの友人でもある―は、自分の家も近いからと送迎を買って出てくれることが多い。撮影機材を運ぶのに、公共交通機関が使いづらいときもあるとかなんとか。  劇場の裏口に停まっていた見慣れたナンバーの黒い車に乗り込む。「よろしく」と言ったのち、無言を貫くシーをバックミラー越しに確認したオットーは小さく肩を竦めた。おれにだけ見えるよう、目配せをして。  車が進み出すなり、シーが低く「それで」と切り出した。反省会の始まり、ってわけだ。  ただ、シーは宿舎に帰れば演技のことは一切話題にしない。劇場と練習場以外でシーが何をしたり考えてたりしているのかは、ペアのおれにもよく分からない。そのおれより長い付き合いのオットーはどうなんだろう。シーは舞台上では勿論、プライベートも謎めいている印象だけど。  シーは、奇跡の銀色と呼ばれている。  第零劇場の花形として、最も長く「碧の海」で一番人気の座を握り続けているからだ。この街にいながら彼の顔や名前を見ない日はない。あらゆる媒体の広告、宣伝物の中に、シーの姿はある。 「……敢えて良かったところを見つけるなら。少し蠱惑的で刺激的だったね。珍しく大人っぽい演技だった」 「えっ、大人っぽく見えた?」 「だからって舌なめずりする奴があるか。……一応、こっちにも落ち度はある。暴走に釣られて歌がぶれた。僕にお前の暴走を止められるだけの実力がなかった、裏返せばそういうこと」 「ごめん……まだまだだね、おれ」 「残念ながらな。ヴェリなら伸びしろがあるとかどうとか言うんだろうが、そんなに楽観視できる状態じゃないと思う」 「悲観するような出来ってこと?」 「自分に聞いてみろ」  宿舎に近い細道で、シーはパーカーのフードを被って車を降りた。銀髪を隠せば、ほとんどの人は彼を見つけられない。それでも、まったく気付かれないわけではない。警備の目をかいくぐって宿舎前で待ち伏せをする「親衛隊」が、シーに気付かないはずがないのだ。宿舎から少し離れたところで降りたのも、オットーに迷惑がかからないようにだろう。  誰かが「シルヴェだ」と囁く。一斉に視線がこちらへ集中する。人の気配が濃くなる。どこからともなく、次々に人影が現れはじめる。  狩りをする猛禽類と、小さい虫。そんな想像をしてしまう。 「……―静かに」  シーは口元に人差し指をかざして周りへ視線をやった。それだけで、周りはさっと静かになってしまった。にこりと微笑むのを忘れずに、シーはおれを先導するように宿舎の階段を上っていく。  おれは階段の真ん中あたりで、肩越しに小さく振り返った。警備員に抑えられながら、多くの人がシーの姿を見ようと目を見開き、手を伸ばしている。おれに詰め寄ってきたときのシーの顔をこの人たちに見せたらどんな反応をするだろう。なんて考えてしまうくらい、彼らの表情は夢に満ちていた。シーが作り出した「奇跡の銀色」らしい装いに、酔っていた。  装えば装うほど、現実は舞台となって煌めく。シーの容貌に、声に、現実の全てが魅了されていく。これは、彼だけが持つ魔法の力だ。  おれもそんな実力を身に付けたい。自分自身にも、他のペアにも負けたくない。舞台で失敗したからといって、いつまでも悔やんでいる暇はないんだ。ましてや、自分がシーの隣に相応しくないだなんて思う時間は秒すら惜しい。  自信のなさは命取り。これは、おれが舞台で最初に得た教訓だった。
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