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 宿舎は入口からつながる食堂を通らないと個室へ行けない間取りになっている。シーに夕食は、と訊くと首を横に振られてしまった。 「明日は撮影があるって言ったろ。今から食べるのはちょっと。お前は何か食べなね?」 「うん。何か残ってるといいけど……」  冷蔵庫を漁っているうちにシーは先に部屋へ戻ったみたいだ。野菜ベースのドリンクとフルーツ、チキンの残りを見つけたので、それらを持っておれも自分の部屋へ向かう。適当すぎるけれど、夕食というより夜食の時間になっていたし、食べたい気持ちより早く寝たい気持ちの方が強かった。特別公演がある日は普段よりずっと眠くなってしまう。緊張感が全然違うからだろうか。  隣部屋のシーにおやすみを言って(聞こえないけど)、よくあるビジネスホテルそっくりの自室にもただいまの声をかける。  いつも通り、椅子の上に胡坐をかいてヘッドホンをつけた。つながる先は通話優先端末だ。唯一保存してある動画を再生させる。極力手を汚さないよう、食べ物はカトラリーを使ってつまむ。画像を高画質・高音質に設定し直すのを忘れずに。  第零劇場のロゴの後、真っ暗な舞台の真ん中にスポットライトが淡く灯るさまが映し出された。通常のライトよりも青みが強い白色の光だ。  その真ん中に立っているのは、黒い衣装を着た奇跡の銀色。  オーケストラ式の演奏と共に「海」の歌い手の何人かがパフォーマンスをした数年前の舞台の一部が無料公開されていて―当然のように、再生回数が最も多いのがシーだ。  ライトが強くなるにつれ、短く整えられた銀の髪が光りだす。うんと冷えた日の溶け残った雪を思い出させる光だ。衣装に織り込まれたきらきらする素材も光っていて、シーがいる場所だけ温度が下がったようにも見える。  彼の伏せていた瞼が持ちあがり、薄く灰がかった目が観客席を見据える。カメラを捉える。視線が、自分を見ろと言っている。ともすれば脅迫のように。  前奏が終わり、歌の出だしはシーには珍しい低音だった。ことばの数は少ないし、中盤になっても、急に早くなるところも高音になるところもない。まるで海の深いところにいるみたいだ。  低く、ゆっくりと伸びる歌の歌詞には時折、おれが知らない地域の言語も入っている。海、は、つながっているから。遠くから流れ着いたものたちへも語りかける。雪は雪でも、これはマリンスノーだ。  生きているものとそうでないもののはざま。海底なんて行ったことはないけれど、そうしたはざまは、おれにも分かる。会ったことがある。  心惹かれても、思うまま近付いてはいけないもの。間合いを見誤ればたちまち吞み込まれてしまう、危険ながらもうつくしいもの。  シーの歌には、そうした怖さが共通している。お客さんに満足してもらうパフォーマンスは、同じく舞台に立つものを喰ってしまいかねない。  おれは、そうなるまいとじたばたしているけれど。却って暴走してしまうから、バランスを取るのが難しい。  それでも―おれは、シーの歌が一番好きだ。  彼からペアに選んでもらったのも、隣でパフォーマンスできるのも、ものすごく嬉しい。お客さんや他の団員から、釣り合わないと思われても。おれはこの場所を、他の誰かに譲るつもりはなかった。
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