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昼食をとってから「職場」まで走って行く。向かうのは第零劇場ではなく、その待合ホールだ。
劇場を含めたこの施設「寿マリンモールファミリーワールド」全体は南側に広がった台形のかたちをしていて、劇場は一番奥の北側にある。……冗談みたいなださい名前は残念ながら正式名称だ。おれたちは省略して「マリモ」と呼んでいる。吸収合併とかネーミングライツとかの理由でこうなったらしい。敷地は広すぎてカートが必須だけど、おれたちはスタッフ通用路でショートカットできる。
待合ホールはいつも薄暗く、武道の試合場二面分くらいの広さだ。耳を澄ますと空調の唸るような音が絶えず聞こえてくる。
ここは、単なる休憩場所ではなく「碧の湖」の舞台だ。
碧の湖。
「海」と対を成す名前のそれは、第零劇場に所属する専門家によって選抜されたアマチュア芸術家たちを指すと同時に、彼らの作品のオークション会場をも指している。
コンペを勝ち抜いた作品が一定期間展示され(大抵は「海」の休演期間だ)、入札される。マリモは芸術作品の発表の場としても有名だ、というのは、自分も写真を出した経験があるオットーの受け売りだ。
「海」も「湖」も美しさを目指すのは同じだ。様々な芸術作品を見て自分の演技に活かそう、というのを抜きにしても、おれはここを覗くのが好きだ。応援している芸術家―友達の作品を、誰よりも先に見られるから。
そいつは今回も湖を勝ち取った。これで何度目なんだろう。おれが入団したのと同じ頃に作品を出し始めたって言ってたけど、
「ヨウシア! どうしたん、えらくキッチリした格好して」
通用路を出てすぐに声をかけられた。サスペンダーパンツに派手なミディアムヘアがトレードマークの彼女が、おれの友達のラオだ。
芸術系の学校に通いながら作品を出している湖は彼女くらいだ。おれより年上で、まだ卒業はしていないはず。
「このあと撮影に行くから。シーの付き添い」
「へえ。きみも撮ってもらうの?」
「いいや、シーだけ。寿エリアには練習着で行けないだろ。つまみ出される」
「あっはは、たまには良いんじゃない? そういう雰囲気の服もさ。ブラックスーツ似合うよ、大人っぽく見えるね。それにシンプルなぶん、きれいな骨格と肌が映えるっていうか……」
「お世辞でもありがと」
「本心なんだけど? 海の人たちは全員見た目に自信持ってるもんでしょうよ」
「そっちの兄貴とおれを一緒にするなよ」
寿エリアには結婚式場があり、一般の買物客も小洒落た格好の人が多い。間違ってもトレーニング用のジャージは着ちゃいけない雰囲気があった。シーにも、ちゃんとした服装で来るよう念を押されているし。
おれが身に着けているのは借り物のスーツだ。変だと言われなくて良かった。
「で、ネクタイはしないの?」
「…………結び方が分からなくて」
動画を見ても整った結び目が作れず、恥をしのんでオットーあたりに教えてもらおうと思っていたのだ。ラオは「貸してみなよ」と片手を出す。
「持ってきてはいるんでしょう。やったげる」
面白がっている音を含めて言うので、おれは渋々ポケットから黒いネクタイをひっぱりだした。こうなったらラオはゆずらない。兄貴に教えてもらったのかと訊くと「わたしが教えたんだ」と彼女は笑う。屈んだおれの首にネクタイを回しながら、
「ラァンも不器用でさ、制服のが結べなくて。上手くできないから学校行かないとか言い出して、ばぁちゃんに怒られてたっけなぁ」
「ははっ、なんか想像できる」
ラオの双子の兄、ラァンは「海」に所属する弦楽器の演奏家だ。おれは友達だと思っているけれど、向こうは……おれがシーとペアを組むことになったときから、接し方が変わった感じがする。
「ヨウシアはどうだった?」
「ジャケットじゃなかったから。……今は制服、ないし」
「そっか。通信だもんね」
難なくネクタイを結び終わったラオはおれの肩をぽんとたたく。
「はい! お礼は今度でいいよ。モールエリアのパフェ食べに行こ? 苺の新作が出たんだって」
「あー、良いね、イチゴ」
ラオは自分の作品以外の「リサーチ」をしに来たのだという。集合時間にはまだ余裕があるので、彼女の解説を聞きながらついて回ることにした。一人語りが始まっても、それはそれで、楽しそうなラオを見られるのは楽しい。
ラオはまるで昔からの友達のように接してくれる。それがおれにとってどんなに貴重でありがたいか、あえて伝えたことはない。
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