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 ラオの作品は作品の列の中ほどにあった。彼女は布や糸を使って作品を作り出す。服や家具だけじゃない。筆で描いた絵のように飾る織物や、天井から吊るすモビールが「湖」に出されているときもあった。 「これは……滝?」  少し暗いオレンジ色の明かりが一番よく当たる場所に、長さが異なるポールを使って、青と白の物体が床まで垂らされていた。オブジェと呼ぶのは合っているだろうか。テーブルクロスくらいある一枚の布に見えるが、細く切った布をまとめている部分もあれば、糸を房飾りみたいにしている部分、編んだり織ったりした部分もある。糸のほか、透明なてぐすや木片、太めのワイヤーも組み込まれている。硬さが違う「糸」によって立体的になった布は、今にも動き出しそうだ―飛沫がたてる音が聞こえてくるんじゃないかと思えた。 「そう、滝。実物を見たことはないけどね。テーマは時間経過かな」 「上から下に落ちる……逆行しない……ことの、美しさ?」 「分かってんじゃん! あ、それとも、このくらい分かりやすくした方が湖にも通りやすいのかな……」  褒められたと思ったらなんか違った。 「唯一無二が勝てる美しさの近道だって、シーも言ってた」 「流石は奇跡の銀色。儚さと美しさは似てるよね……自然は姿を変えるでしょう。そのことにわたしたちは感動するし、美しいと思う。そして絵画も写真も、その一瞬を切り取る。固定する。美しいものを永遠にしておきたい、って思うのが人間なのかな……わたしは加えて、自分の時間も一緒に織ったり編んだりできる。テキスタイルの……えっと、説明、伝わる?」 「んー……難しいけど、ラオが良いと思うものはおれも分かりたいから」  今は伝わらなくても、いつかラオが言ってたことだと気付けるようになりたい。体操をするときのからだの使い方と、脳みその使い方は似ているのかもしれない。 「分からなくてもこれは楽しい?」  これって、作品を見せてもらうこと?   訊き返すと、ラオは真面目な顔を作ってうなずいた。 「楽しいよ。ラオのは全部すげえって思うし、海と湖の違いが面白いってか……上手く言えないけど」  舞台芸術はかたちに残らない、湖の作品は長い時間残る。そのハッキリした違いもあるし、何かもっと、根っこのとこに差異があると思う。それをどうことばにしたら良いのか、おれが掴めていないだけで。 「湖は年齢も性別も制限がないだろ。違いって、それだけじゃないけど…………あ」  ふと目線を遠くへやると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。「海」のスタッフだ。グレーのスリーピースに身を包んだ彼は、作品を一つずつ丁寧に鑑賞している。  絶対面倒くさいから気付かれたくない。身を屈めようとすると、 「あ! ヨウシアくん!」  いきなり振り向くな、こっち見んな!  と思ったのも束の間、男は目が合った途端こちらへ爪先を向けた。でかいから一歩一歩も大きい。すぐにおれたちの前へやって来る。 「わぁ出た」 「人を化け物みたいに言うんじゃないよ、妹」 「ラァンからあんたのヤバさは聞いてるもの。出た以外に何を言えんの」  それと名前で呼べや、とラオは舌打ちをする。このおっさんは、からかっているというより名前を覚えられないんだろうけれど。おれだってシーとペアじゃなかったら「ダンスの」なんて呼ばれているだろう。  ヴェリの基準は明確だ。シーとそれ以外。  劇場のスタッフは全団員と平等に接するのが暗黙のルールだ。ヴェリも職務上はそれを守っているが、プライベートとなると別だ。シーの親衛隊を名乗っているし(名乗るだけなら自由だ。他の人たちから煙たがられているとしても)、事あるごとにシーに絡みまくっている。そのついでのように、おれに対しても。 「俺もたまにはこっちも観ようと思ってね。どれ? 妹のは」 「人の名前もまともに呼ぶ気ないやつには教えないよ」  ラオは鼻息荒く言うと「じゃっ」と俺に向かって片手をあげた。 「わたし、講義の準備しなくちゃ。あとはヨウシアが面倒みてやって」 「えぇっおれだって」  ご免だ、と言い切る前に、ラオはダッシュでホールから出て行ってしまった。場内ではお静かに、とあちこちに書いてあるのに。  げんなりしながらヴェリに向き直ると「ヨウシアくん」と至近距離で微笑まれた。灰青色のひとみが猫みたいに細くなる。 「な、なに」 「成績にはもう少し気を配りましょう。進級できないかもって思いながらまたおっかなびっくり過ごしたいか? 俺にまで連絡が来るって相当よ?」 「……気を付けます」  ヴェリは人事担当で、おれみたいな学生団員の世話をしてくれている。  勉学と舞台の両立、と言葉にするのは簡単でも、実際にやるのは難しい。 「勉強時間を確保するのが大変なのはこっちも分かってる。休暇とかそういったことはすぐに相談するようにっ。最近は特別公演でも調子が出てきたみたいだしな、無理は禁物だ」 「あー……見てるの?」 「当たり前だ、シルヴェの舞台だぞ? 有給もありがたく使わせていただいて、最前席を取っているさ」  シルヴェの、ね。
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