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「しかし前回は惜しかった。トップとは僅差だったろう?」  おれが暴走した春の演技をヴェリも見ていたのか。点数は確かにギリギリ足りないくらいだったけれど、演技全体の出来栄えはおれたちの方がずっと下だった。……悔しいとも思わないくらい何度も映像を見て復習したから、客観的にそう言える。 「おれが実力不足なのは、おれが一番良く分かってます」 「えぇ? 何を言うかなこの子は。君のポテンシャルはあんなものではないさ。そうでもなかったら俺が入団させてない」 「ヴェリさんが? なんで」 「人事課の特権さぁ」  職権濫用の間違いだ、と心の中で呟いて軽く頷く。シーを文字通り愛するこの人のことだ、すぐにペアを解散しろと言い出してもおかしくないのに。こうやって会うたび、おれを正当……どころか過大に評価してくる。何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるくらい。 「俺は歌にも踊りにも精通している訳ではないからね……それ以外のアドバイスをあげよう。勝つためじゃなく、ここで生き残るためのヒントだ」  いつもなら面倒くさいと聞き流すところだけど、後半のことばに引っかかった。  生き残る?  比喩には聞こえず、ヴェリの声もざらりと耳に残る感じがした。 「芸術品はえてして骨董品が多くを占める。その理由が分かるかい?」  湖の、新しく生まれた芸術品に囲まれた中で、ヴェリは問いかけてくる。答えを必要としない問いは、朗読劇の舞台のようだった。 「価値が保証されているから。これは芸術だと評価して良いものだ、とね、受け取る人が安心できるからだろう。懐古主義と呼ぶなかれ、皆が皆、プロの目利きじゃあるまいし」  絵画とか? と相槌代わりに訊くと、ヴェリは「絵画や彫刻だけじゃない、音楽のように無形のものも」と頷きながら付け加えた。 「しかし大きな問題が一つ。我々は―非常に飽きっぽい」  おれは節約のために、どんなものでもできるだけ長持ちするように使う。だからヴェリが言う「我々」には入らない気もしたが、彼が言わんとすることはなんとなく察せられた。  おれたち「海」には、常に工夫が必要だ―舞台でお客さんを満足させるために。特別公演で一番になるために。 「見る人を飽きさせない演技ってのがヒント?」  だとしたら百も承知なアドバイスだ。おれでさえ分かっているし(行動に移せているかはともかく)、客席のことを考えずに演技ができる団員はいない。  しかしヴェリはおれのことばを否定した。芝居がかった、人差し指を振るジェスチャーで。 「その更に奥の問題を俺は言っているんだよ、持論も持論、勝手な推論だがね。質の良い芸術は―美は、美味い食事と同じだ。同じものを出されても次第に満足できなくなっていく。もっと楽しいものを、欲を満たせるものを! 人が望めば作り手は、乞われるまま新しい美を差し出すだろう? そのサイクルは徐々に短くなっていく……加速する」  オーバーで胡散臭い話し方のせいで、すごく不穏な話を聞いている気分になってくる。  気のせいなのか本当に不穏なのか、分からなくなる。 「最終的に行き着く先は娯楽の飽和だ。そうは思わないかいヨウシア?」  思わない。思えない。  おれにはまだ触れたことのない「美しさ」が多すぎる。 「焼き直しという名のブラッシュアップばかりになったとき、一つの予感が現実となって我々の前に立ち現れる。則ち、この世の芸術を味わい尽くしてしまったのではないか、この世にはもう娯楽がないのではないか、という恐怖、怯え! それこそ舞台の―「海」の敵さ。恐怖心が刺激的なスパイスになるのはファミリーワールドのホラーハウスかコースターくらいだ」  今、この瞬間だけ夢中にさせる。  過去も未来も忘れるくらい。  一瞬を切り取り、客席へ差し出す。 「お客様を怖がらせちゃいけない。それがヒントさ。とは言え人は不死身じゃないからな。人の寿命……世代もサイクルだよ。流行り廃りでちょいと古臭いモノが人気になることもある。それに君達は、舞台の上で魔法が使えるだろう? シルヴェをご覧よ」  シルヴェ。シー。奇跡の銀色。  スタッフや団員の中で唯一、ヴェリはシーの名前を縮めずに呼ぶ。 「シルヴェが歌えばそこは別世界、夢の世界だ。普遍的ではないが不変的な美を表現することにおいて彼ほど巧みな団員はいないよ。最高級のダイヤモンドの美しさが人々を魅了してやまないのと同じさ。安定は安心に繫がる。安心して夢中になれることが、どれだけ貴重か」 「おれと真逆ですね」  危なっかしい、とシーから何度注意されたことか。 「そう、正反対だからこそ! 君と共に舞台に立つシルヴェには、これまでにない魅力があるんだ! 新たな魅力がね!」 「そっ……すか」  勝手にひとの肩に手を置くなよ。  やっぱり面倒くさかったけど、抵抗する気力も既になかった。  ヴェリの猫の目が色も見えないくらい細くなって、おれの顔を覗き込む。 「ヨウシア、君は君を更新し続けろ。シルヴェの起爆剤になるまで、いま一歩なはずだ」 「―き?」  おれはシーの引き立て役でしかないって? それとも、このまま頑張れってただの応援か? どっちにしたって少し苛々するな?  反応できないで固まっていると、ヴェリはぱっとおれから手を離した。 「さてと。俺もそろそろ行こうかね……君はこれからシルヴェと撮影だったっけ?」 「……はい。付き添いで。……あの、スケジュールを把握してるのって」 「一応、劇場外の仕事は本部を通してるからねぇ」 「なるほどっすね!」  それもそうか。謎にシーの情報を集めているとしたらラオよろしく今後の接し方を考えるぞ、と構えてしまった。 「じゃーね、ヨウシア。シルヴェにもよろしく」  多分、確実に、会ったことは話さないだろうなと思いながら、おれも集合場所へ向かうことにした。
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