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「……まだ生きてますか」
答えが返ってくるとは思ってなかったが、呼吸と身体の自由を奪っただけだ。数分は生きていられるだろう。
「あなたには感謝しています。これは本当に」
120年前の雪の日。オークは元から強者が故なのか、肌感覚で敵の位置を悟るのがエルフより遥かに苦手だと知った。『自分の常識は他人と違う』と。だからそこを突く。
何千回の稽古から導きだした、それが『答え』。遠い冬の日の思い出。ポエニクスにはその記憶を忘れてもらうため、何千回も負け続けたのだ。
「ポエニクス。あなたはあの『雪の日の負け』を忘れてしまっていた。だが私は覚えていた。それがこの結果になったのです」
少し離れたところに構えるオークの陣営が大騒ぎになっているのが分かる。まさかの事態に混乱しているのだろう。
「ペリュトン!」
急いでこの場を後にする。
オークは感情が高ぶると見境が無くなりやすい。思った通り、一気に攻め込んできたのだ。……無論、読み通り。
「そろそろか」
敵軍が平原に大きく飛び出したところで、ペリュトンの手綱をぐいと引く。するとそれを合図にその大きな翼を広げてペリュトンが雪空へと舞い上がる。
「今だ!」
ピスケスが味方に指示を出すと、雪下に隠してあった火薬が一斉に破裂を起こした。不気味に響く雪の塊。そう、これは。
「な、雪崩だぁ!」
巨大な雪崩が山肌を滑り落ちていく。その爆発力と重さに耐えるには、オークはあまりに弱すぎた。
「逃げろ!」「来るなぁ!」「あ、足が取られる!」
悲痛な叫びを白い大波が飲み込んでいく。もう統制はとれまい。
「追撃だ! 出ろ」
ペリュトンの背から声を張ると、それを合図にグリズリーやフォレストタイガーの背に乗ったエルフたちが一斉に崖を駆け下り始めた。
一度砕けたところは雪崩になりにくのは、皆が知っている。
バラバラになった敵軍が三々五々に散っていく。適当に追いかければ、後は深追いせず帰投しろと命じてあるから味方に被害は少なかろう。
「……これは仕方のないことですよ、ポエニクス」
誰もいなくなった冷たい雪原に降り立つ。ポエニクスの身体は、多分この真下の雪深くに埋もれているに違いあるまい。
だから、これは嫌味な独り言。
「彼らグリズリーたちも黙ってオークに狩られる訳にはいかないと理解してくれたのだ。あなたの仲間については可哀想だったと思いますが、見知らぬ土地に踏み込むとはそういう危険があるものなのです」
再びペリュトンを呼び寄せ、高い空へと舞い上がる。
純白の幕を引いたかのような見通しの利かないブリザードには、勝利の高揚感も安堵感もなかった。
ポエニクス、あなたの言う通りだった。私は勝つために卑怯で臆病だった。そして備えた。
私は生き残った勝利に喜べばいいのか、それとも無二の友を騙し殺した己を呪えばいいのだろうか。世の原罪と抗えぬ不条理に怒ればいいのか、それともこの運命を悲しめばいいのか。
この混沌とした感情にどう言葉を付ければよいのか、私にはその答えの備えが無かった。
風はただただ空虚に凍え、まるで何かを覆い隠すかのように冷たく荒れるばかりで。
完
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