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 それから正式に婚約者となったベンジャミンとオーレリアだったが、ふたりはそれなりに上手くやっている。やはりケネスの紹介を信じて正解だったと、ベンジャミンは胸を撫でおろしていた。  デートの予定は事前に教えてほしいと話していたオーレリアだが、意外なことに予定が中止になることについてはとてもおおらかだった。一週間も前から外出の準備をしているのだから、予定が駄目になれば悪鬼のごとく怒り狂うのではないかと心配していたベンジャミンが拍子抜けしたくらいだ。  突発的な事態で約束の時間がずれるときは、ベンジャミンの屋敷の図書室で時間を潰して待っていてくれる。誰かに八つ当たりすることもなく、相手を慮ってくれるひとの得難さを身に染みて理解していたベンジャミンは、オーレリアを紹介してくれたケネスを密かに神のようにあがめていた。 (さすが姉上が惚れた男だ。有能過ぎる)  ベンジャミンの母親は非常に高圧的な人物だ。父親に急な用事が入るのも、見たかったお芝居のチケットが手に入らないのも、天気が悪いのも、頭が痛いのも、階段で滑って転ぶのも、髪型がきまらないのも、全部誰かのせいだと癇癪を起こす。思い通りにならないと扇をへし折り、周囲に当たり散らすのだ。父親はその八つ当たりの被害に遭いたくないのだろう、母の機嫌を損ねるほうが悪いと主張してくる。今も領地の屋敷で、母親は周囲にわめき散らしているに違いない。 (やはり母上はどこかおかしいのだろうな。姉上も非常に苦労していた)  母性のない母親から幼い自分を守ってくれていた優しい姉。ジェシカのことを考えると、ベンジャミンは複雑な気持ちになる。  予定外に自分が生まれたせいで、姉の努力は水泡に帰した。その上、自分が成長するまでの数年間、貴重な時間をさらに拘束してしまっている。けれど思い出すのは、自分に優しく微笑みかける姉の姿ばかりだ。  ――姉上、それからどうなるのですか?――  ――ベンジャミン。あなたはどうなると思う?――  すぐに答えを教えるのではなく、自分で予想させた後に一緒に考察し、それから答えを確認する。ひとつひとつの作業が今となってはすべて懐かしい。  両親、特に母親は姉弟が一緒に過ごすことを毛嫌いしていた。まるで病原菌か疫病神のようにジェシカを追い払っていたのだ。彼らが一緒に過ごすことができたのは、両親が立ち入らない図書室の中で勉強するときだけ。それも、ふたりの目を盗んだわずかな時間だ。  だから、ベンジャミンにとって図書室は屋敷の中でも特別な場所だった。けれど不思議なことに、オーレリアが図書室に立ち入ることは、ベンジャミンにとって少しも不愉快ではなかった。姉との思い出を伝えたわけでもないのに、金銭には代えられない価値がこの場所にあることをよく知っているようだった。ベンジャミンはそれがことのほか嬉しかったのだ。  今日もベンジャミンは急な対応のために、オーレリアを待たせてしまっている。  実は読書家であるらしいオーレリアは、話しかけても気がつかないほど真剣に本を読むことが多い。その姿は、かつて同じように本の世界に入り込んでいた姉の姿をほうふつとさせた。領地経営の邪魔になると図書室の出入りを禁じられてしまった姉だが、今は嫁ぎ先で自由に好きな本を読んでいると聞く。ふたりを引き合わせてみたら、意外と話が弾むかもしれない。 (そういえば、オーレリアはどんな本が好きなのだろうか。図書室に、彼女の好きな本を置いてみるのもいいかもしれないな)  オーレリアの笑顔を想像しながら歩いていたベンジャミンは、遠くから耳障りな金切り声が聞こえてくることに気がついた。しばらく前までは、当たり前のように屋敷内で響いていた声によく似ている。合わせて聞こえるのは、使用人たちの悲鳴か。金切り声の正体に思い当たったベンジャミンは、慌てて駆け出した。そしてたどり着いた図書室で見たものは、演劇染みた罵りあいを繰り広げる婚約者と母親の姿だったのだ。
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