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「母が迷惑をかけた。すまない」  ベンジャミンは、母親の姿が見えなくなるとまず最初にオーレリアに頭を下げた。 「いいえ。むしろ、あのような失礼な物言いをしてしまって」 「怖かったよね。本当にごめん」  先ほどまでの堂々とした姿とは違い、小さく震えるオーレリア。それは、かつて先触れなしで屋敷を訪ねたときのオーレリアの反応によく似ていた。 「もう無理はしないでいいんだ」  オーレリアは、涙目で小さくうなずいた。 「いつ、気がつかれたのですか?」 「おかしいと思ったのは、先触れなしで訪ねた時だ。君はまったく俺と目を合わせようとしなかっただろう? 嫌われたのかと思ったが、次に会った時はいつものように話ができた。だから、思ったんだよ。もしかしたら君は、俺に会うために事前練習をしているんじゃないかって」  言い回しや動作が芝居のようなのも、会うたびに印象が変わってしまうのも当然だ。オーレリアは物語や戯曲の台本を読み込み、役に成りきることでデートを乗り切っていたのだ。 「だから、突発的なことに対応できなかった?」 「あの時は本当に驚いてしまって。ちっとも取り繕うことができませんでした」 「極めつけは、先ほど母とやりあっていた時の台詞かな。『わたしは、わたしの愛するひとを守るために戦うのみでしてよ!』 あれは、『あかつき姫の冒険』の主人公の台詞だよね?」  オーレリアが目を丸くしていた。少女向けの小説を、ベンジャミンが読んでいるとは思ってもいなかったのだろう。 「どうして、ベンジャミンさまがご存じなのですか?」 「その昔、姉上から勉強を教えてもらっていたときに、読んでもらった本だからね。懐かしいな」 「わたしは元来恥ずかしがり屋で、緊張すると何も言えなくなってしまうことがよくありました。それを変えるために、物語の中の主人公のつもりで振舞うことを覚えたのです。大好きな本の世界のことなら、一言一句間違えずに覚えることができます。ですから、ベンジャミンさまとお会いする前には、それにふさわしい物語を読んで、その場に合わせた台詞を引き出していたのです」 「お芝居みたいな台詞を話すと思っていたけれど、実際にお芝居みたいなものだったんだね」 「はい。騙すような形になってしまい、本当に申し訳ありません」 「謝る必要はないよ。すごい努力だと思う。それにしても今日の台詞は、いろいろと驚いたよ」 「あの、あれは、最近流行りの嫁姑戦争の『ざまぁもの』でして。あれでも、表現が穏やかな部類のものを選んだのですが」 「……怖い世界だね」  苦笑しながらベンジャミンは、ふと不思議に思った。なぜ、オーレリアはそこまでして、自分と一緒になるために努力をしてくれたのだろうかと。自分の母親は成金貴族と蔑んでいたが、実際、彼女の財産は非常に魅力的だ。ベンジャミンよりもずっと条件のよい縁談はいくらでもあったに違いない。 「どうしてそこまでして……」 「愛しているのなら、一緒に戦うのは当然のことでしょう?」 「は?」 「あ、あの、恥ずかしいので、聞き返さないでくださいませ。愛しているのなら、一緒に戦うのは当然のことだと申し上げたのです!」  先ほどまで、あの母親と互角に渡り合っていたはずなのに、今のオーレリアはぷるぷるとうさぎのように震えながら、真っ赤な顔で愛の言葉を紡いでいる。 「わたしは、ジェシカさまの幸せを守ろうとするベンジャミンさまのお姿を夜会で見て、ベンジャミンさまのことを好きになったのです。わたしには、ジェシカさまのような美貌も頭脳もありません。けれど、隣に立って共に戦うことならできるはずです」  恥ずかしがり屋のご令嬢が、自分の隣に立つために淑女から悪役令嬢の振る舞いまで一生懸命学んでくれていたことに、むず痒さを感じてしまう。 「君にばかり頑張らせていたことを許してほしい」 「あの、ベンジャミンさま」 「ありがとう。絶対に、オーレリアのことを幸せにするから。愛してる」  つい感情のおもむくままオーレリアを抱きしめ、頬に口づける。 「オーレリア?」 「……きゅううううう」 「オーレリア、しっかりして! オーレリア!」  ちょうどタイミングよく駆けつけた姉夫婦に、嫁入り前の婚約者に抱きつき気絶させたことがバレたベンジャミンは、こっぴどく叱られることになった。  ***  ごたごたを乗り越え仲を深めたベンジャミンとオーレリア。ふたりは、ベンジャミンの姉夫婦と交流しながら、平和に暮らしている。目下の話題は、結婚式後の新婚旅行の行き先だ。 「新婚旅行は、オーレリアの行きたい場所にしよう」 「ええと、あの、その」 「大丈夫だよ。慌てないで。考えがまとまるまで、ゆっくり待つから」  オーレリアは、ベンジャミンの言葉に小さくこくりとうなずいた。 「こんなに恥ずかしがり屋さんだったなんてね」 「は、はわわ」 「あのときは、まだよそ行きだったから、台詞回しが無意識にできていたんだね。大丈夫、焦らないで。そのぶん俺は、可愛い君を眺めることができて嬉しいから」 「ひゃん」 (「愛しているのなら、一緒に戦うのは当然のことでしょう?」、なんて君は言うけれど。俺もそんなパートナーを求めていたはずだけれど、愛しい相手というのは、大切に囲いこんで守りたくなるものなんだな)  赤面して言葉を失うオーレリア。そんなところがまた可愛らしくてたまらない。最近、ようやく口づけても目を回さなくなったことをいいことに、ベンジャミンはのりのりで婚約者に愛を囁き始める。
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