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水滴
ぱしゃ。
大きな水滴が頭に落ちた。ぬぐう気力もない。ずっとこの身はここで濡れたまま。次に起こることもわかりきっている。
戦士の断末魔が、私の体に染みていく。
「いやだ! お願いだ、助け……」
最初は声から。次に光景が浮かぶ。耳をふさいでも、目を閉じても無駄。
脳裏に広がるのは、この城の大広間。一人の若者が必死に逃げている。片足を怪我して、思うように走れず、息も荒い。薄暗い中、ところどころ置かれた松明が彼の恐怖に満ちた表情を照らす。荒い息遣いが聞こえる。
その顔に、大きな影がかかった。鎧に身を包んだ、上半身が牛の姿をした魔族。手には大きな斧を持ち、背中を向けて逃げる戦士に狙いが定められる。
そして魔族は容赦なく斧を振り下ろす。叫び声が途切れ、大広間に音を立てて転がる兜からこぼれる金髪。そこに、血が流れていく。金髪を染め、石畳の隙間を縫うように。壁に行き当たり、細い溝の中を雨水と一緒に流れていく。流れはやがて城の中をめぐり、それから地下室へとたどり着く。
天井の魔法陣から大きな瓶の中へ、水滴となって落ちていく。
途端に全てが遠ざかり、意識は地下室の瓶の中に戻る。頬からは涙が流れ落ちていた。泣きたくて泣いているわけではない。魔族に殺される者の光景を見た後はいつもこうだ。心は悲しむことにも疲弊しているのに、涙は勝手に流れる。身体を伝った水と混ざり合い、溜まっていく。あっという間にふくらはぎ、そして膝の位置まで上がってくる。
見上げると、次の水滴が今まさに落ちようとするところだった。
ぱしゃ。
「やめてくれ、死にたくない!」
別な男の声がして、再び私の耳に、頭に、光景が浮かぶ。もうずっとこうしている。何百日も、何年も。どんな手を使ってもここから逃れることはできない。いやおうなしに殺戮の場面がよぎる。
身じろぎをすると、深い碧色の水面に波紋が広がった。
水は、いつしか腰まで上がってきていた。
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