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「も、もちろん、存じております」
「だから、天国のことならいざ知らず、地獄のことは私の領分ではない」
二人の会話を聞いてダニエルは溜飲を下げたのであった。
さすがは先生だ。面と向かって言い返せば角が立つが、絵の中のことなら文句を言いようがない。
いつにも増してののしりながら、儀典長は教皇と帰って行った。
一五四一年、『最後の審判』の壁画が完成して、教会の幹部連中にお披露目がされたが、評判は散々であった。
「なんだ、あの裸は!」
「教会の権威が地に落ちる」
「ミケランジェロを許すべきでない」
ごうごうたる非難をパウルス三世はかろうじて抑えた。
そのころ、ルターを始めとする教会改革運動の高まりの中で、教皇パウルス三世は、公会議の開催を決断し、神聖ローマ帝国内の自由都市トリエントを開催地として第一会期の会議を開いた。それを継いで、教皇ユリウス三世が一五五一年に第二会期を始め、さらに一五六二年にピウス四世が第三会期を始め、一五六三年にようやく公会議は終了した。
その公会議によって「使徒礼拝堂の絵は覆い隠すべきで、他の教会の絵も、卑猥なもの、明らかに虚偽のものが描かれている場合は、破壊すべきである」という法令が下った。
ミケランジェロは教会からの法令に一歩も退かず、自分の壁画に指一本触れさせなかった。そのため、教皇ピウス四世は、『最後の審判』の破壊という教会幹部たちの訴えを何とか抑えていた。
けれども、一五六四年、ミケランジェロが八十八歳で亡くなってしまうと、公会議の決定を実現するために何らかの行動が不可避となった。
ピウス四世はミケランジェロの弟子ダニエルに目をつけ、教皇庁に呼び出した。
「ダニエル、トリエント公会議の決定についてはもう存じておるな」
ダニエルは神妙にうなずいた。
「はい。残念ですが」
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