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教皇は体に別状はなかった。気分がすぐれず、鉛の中毒症状のようであったが、その原因らしきものはダニエルとアルドの衣服にも、礼拝堂にもなかった。二人が教皇とお付きの者に与えた白い布も調べられたが、特段異常なところは見つからなかった。結局、ダニエルとアルドは無罪放免となった。
教皇はこの事件をきっかけとして寝込んでしまい、もともと体が丈夫ではなかったせいもあって、その年の終わりごろ亡くなってしまった。
教皇が床に臥せってしまうと、幹部連中は次の教皇を誰にするかという派閥抗争を始めた。そのせいで、ダニエルへの監視の目もなくなり、ダニエルはもはや腰布を描く作業から解放された。
しかし、「腰布画家」というレッテルは、死ぬまで彼について回った。そのため、彼の画力が正当に評価されることは、ついぞなかった。
それから四百年後の一九八一年、システィーナ礼拝堂の壁画と天井画の大規模な修復作業が行われた。そのとき、ダニエルが描いた腰布がこの上なく薄い絵具で描かれており、簡単な作業で元のミケランジェロの絵の色彩が鮮やかに蘇えることに関係者たちは驚いた。あの「腰布画家」の一世一代の仕業であった。
(了)
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