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ああ。また動いた。
見間違いじゃないかと思い、眼鏡を軽くネクタイで拭いてかけ直したものの、やっぱり見間違いではないようだった。
僕は基本的にいつも乗る電車であっても、同じ時間帯に乗っている他人のことなんて覚えない人間だ。
体臭がキツイ輩がいてもその時だけ不快な思いをするだけだし、魅力的な女性がいたとしてもその刹那の出会いに運命を感じるわけでもない。
そもそもで人の顔や名前を覚えるのは得意ではなかった。
だからこそ、名も知らない上にすれ違うだけの人なんて、毎日会ったとしても特徴すら覚えられない。
そのはずだったのに、この人だけは少々事情が違う。
吊革に捕まって立っている、僕の斜め向かいに立っている男。
ベージュのトレンチコートを着た、四十代くらいの男性だ。
短髪で、髭などが目立つようなわけでもなく、すっきりとした醬油顔をした――まぁ、まったくと言っていいほど特徴のない人だ。
彼とはまったく面識はない。
恐らく会社勤めで、帰りの電車は僕と同じ時間のものを使っているのだろう、という程度しか知らない人だ。
以前揉めたことがあるとか、そういういざこざもないし。
かといって香水を振りまいているとか整髪料がギトギトしているとか、五感を刺激するような不快な思いをさせられているわけでもない。
彼には一度見たら、いや気付いたら忘れられない特徴があるのだ。
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