Season of death

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Season of death

 冬は、死の季節だ。  欧州の北側では、中世以前からこのような考えが当たり前のように社会にも家庭にも根づいている。  冬は人々に祈りと雌伏の時を与え、時を超えて死者のために開かれた季節である。  生きている者は先祖を敬い、彼等の連綿たる死の上に、自分がこの世界に存在していることを感謝し、祈りを捧げながら重く冷たい冬を過ごしていく。  生の連鎖は逆の意味で言えば、絶え間ない死の連鎖の上に積み上げられているからだ。  生きている者の生気が弱くなる冬の間、人は死を引きつけて眠るように暮らさなければならない。  そのことを子供の頃から学ばされる。  手が届きそうなくらいに重い曇天から飽きることなく降りしきる雪を眺めながら暮らすというのはそういうことなのだ。  そして、生者が眠るように生きる間、死者は死の季節を迎えた巷を彷徨うことを許される。クリスマスに現れる聖クルーズは、冬の間に孫たちに会いに来る亡くなった祖父を原形にし、この死者は子供たちに死の重さを教えにくる。  死の重さを教えることで、同時に春の生命の息吹を待ち焦がれることを、子供たちに教える。それが死者から生者へと与えられる偉大なる贈物、グレート・ギフトだ。  死した祖先であるサンタクロースの贈物は、決して玩具などではなく、死の諦観と新しい生命を意味している。  雪に埋もれる北方の大地において、冬はそのような季節だ。   雪は死者の無垢な魂魄が昇華されたものであり、それが地上を恋しがって舞い降りる。  子供たちは、そう教えられる。  だから、無数の雪が降りてくる空を見つめていると平衡感覚を失って眩暈を起しそうになっってしまう。  まるで無数の物語が降ってくるような錯覚に捕らわれるからだ。  人は無数の物語を受け止めようとしても、微睡=まどろみに誘われるだけだ。  物語の外へ、肉体の外へと自分が曳航されていく。  無数の物語とは、無数の死者の記憶だ。  つまり、すでに失われた無数の生の輝きなのだ。  そんなことを思い続けながらおまえは窓辺で頬杖をついて、いつまでも地上に落ちてこない不思議な物体、粉雪の舞踏ををずっと眺めていた。  誰とも話をせずに。  まるで長い微睡、まどろみを与えられた死者のように。
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