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久しぶりに会った加藤がコートを着ているのを見て戸惑った。なにしろ真夏の炎天下だ。
俺の当惑を察してか、加藤は大げさにコートの襟を正して見せ、それから問いかけられる前に笑って言った。
「はは。おかしいか? 気に入ってるんだ」
その笑顔にはどこか妙な陰りが見えた。違和感を覚えたのは口元。こんな風に口を歪めて笑う奴じゃない。
「それにしたって……暑くないのか」
「暑いさ。できれば脱ぎたいよ。でもな、このコートは特別なんだ」
俺は生唾を飲み込んだ。加藤が着ているコートは、数年前に俺が譲ったものだった——。
転勤が決まり、大学時代から長く住んでいたアパートを引っ越すことになった。手伝いに来てくれた友人は加藤ひとりだけ。家具類は業者に頼んでいたからそう大変な作業ではなかった。
コートは、クローゼットから衣類を引っ張り出していた加藤が見つけた。無選別に箱詰めしてくれていいと言った家主の言葉どおり、手あたり次第に突っこんでいたのに、コートを手にした途端、加藤の動きが止まった。広げたり、裏地を見たり、こねくり回している。
ちょうど処分し損ねていたものだ。気に入ったなら持っていけと、手伝いのお礼もかねてコートを譲った。
「そのコート、引っ越しの時、俺があげたやつだろう?」
「そうだよ。今日はこのコートのことで聞きたいことがあってさ。休みの日に呼び出してごめんな」
「いや、全然いいけど。とりあえず、どっか入ろうぜ」
真夏の駅前ロータリーで黒のチェスターコートと一緒に居るのは目立ちすぎる。人目が気になり、加藤をカフェへと誘った。
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