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「久しぶりだな。それこそ、お前の引っ越し以来か」
「そうだな。それで……そのコートがどうかしたのか」
「お前、ポケットの中に何か入れっぱなしにしていた記憶ない?」
「何か入っていたのか?」
「手を、入れてみろよ」
加藤は軽い調子で言い放ったが、冷たい汗が背筋を伝う。ポケットに何か入れたままにした記憶はないが、あったとしても”手を入れてみろ”というのはきな臭い。
「いいよ。なんかあったなら処分してくれ」
「そうじゃない。このコートは特別だと言っただろ? 着ていると、妙に落ち着くんだ。ポケットに手を入れてみれば理由が分かる」
加藤の態度には明らかな思惑を感じる。だが、俺もこのコートに関して気がかりがあった。
手放してからしばらく経ち、すっかり思い出すことも無くなっていたが、加藤と再開した瞬間、このコートにまつわる出来事がありありと蘇ってきた。
ことによっては自分に不都合なことが起こるかもしれない。加藤が何を言わんとしているかを確かめる必要がある。
「お前が着ている状態でか? 嫌だよ、気持ち悪い。なんだよ、いいから話せよ」
「いいからポケットに手を入れろよ! 早く!」
「じゃ、とりあえず脱げよ。そしたらポケットの中を見てみるよ」
二人掛けの狭い席だ。何とはなしに手を伸ばすと、簡単に加藤に届いた。上質なカシミヤの手触りは、いくら冷房がきいているとはいえ、真夏には不快でしかない。だが、それも一瞬。さらに上回る不快な金切り声が店中に響き渡った。
「触るなー!!」
立ち上がり、身を抱く加藤は青ざめていた。触るな、触るな、と小さく呟き、自分を落ち着かせているようだった。
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