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はじめはふんわりとした握手のようだったが、だんだん力が強くなっていく。
引き入れられそうな感覚になり、俺は助けを呼んだ。叫び声をあげているつもりでも、上手く声があげられない。かすれた音が出るだけだった。
「あ……あ……!」
「忘れ物、思い出したか。お前、学生時代に付き合ってた彼女が転落死してるだろ? お前、その場にいたよな」
「あれは事故だったんだ! 実際、事故として処理されてる!」
「そうみたいだな。お前が手を掴んであげられたとしても、きっと結果は変わらなかったと思う。けど、彼女は手を取ってほしかったんだよ。虚しく掴んだのはお前の、このコートの裾だ。俺はそのシーンを何度も何度も見せられた。……気が狂いそうだったよ」
「……だからなんだよ。俺にどうしろって言うんだよ」
「俺にもわからないよ。ただ、コートを着るようになってから夢を見せられて、ポケットの中に有るものに気付いたんだ。このコートを脱ぐには、それをお前に返すしかないって……。あるだろ? ポケットの中」
「ある」
「よかった。これでやっと……」
加藤はコートの袖から左腕を抜いた。つぎに右腕を抜いて、ポケットの中に手を入れたままの俺の腕に掛けた。
引き込まれる感覚ときつく握られる感覚がおさまり、ふわっと握ら れている握手に変わる。だが、ほの温かい温度が際立ちいっそう気持ち悪さが増した。
「墓参りにでも行ってやるんだな。それ供えてくれば」
「供えるって……どうやって……」
「置けばいいだろ」
「置くって、これ、出せるのか」
「出せるだろ」
「……無理だろ」
「……え? ポケットの中、何が入ってるんだ?」
「手だ! 加藤、お前が言ったじゃないか。手があるって」
「……頭にも来ていた少しからからかった。あと、手を繋ぐって言えば思い出してお前から話してくれるかも知れない、とも思った」
加藤は後ずさりを始めた。
「じゃ、じゃあな。俺、行くわ」
「待てよ、何が入ってたんだよ?!」
加藤は走り出した。そして振り向きざまに「指輪!」と言い捨てた。
「無い! 無いよ、指輪なんて!」
俺の声が届いたかどうか、加藤はもう振り向きもしなかった。
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