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『我らがお断りすれば、仕掛けが全て無駄になる』
『仕方ないわ。アナタたちが決めていい、それも言ってるわよ、ねぇ~え、福来ちゃん』
暁嬢様が水を向け、緑如もこちらを見る。
確かに、問われるのはただ暁嬢様の布屋に行くや否やのみ。……とはいえ、緑如の険しき顔を前には頷き難い。
しばし見つめ合い、暁嬢様に視線戻した緑如は驚くべき言を述べた。
『……私は。今夜出向いたらば、生きて戻るか分かりませぬ』
え……いかなる話だ。
緑如に関わる不穏な語は、女人の腕切りよりも私を惑わせる。と同時に昨夜のいつになく激しき寝所が思い出された。不安が押し寄せ動悸が上がる。
『かような時宜に、かような場にて、かような誘い。備えが良すぎます』
『ねえ、福来ちゃんが驚いてるわよ』
『もしや……我らの仲が店に知れたも、備えですか』
『あらぁ~? このお茶、ずいぶん冷めちゃって』
『仲を暴露し居場所を失くし、私を窮地に追いやり。して甘言にて誘う罠』
『さっきの下男にお茶替えを言えば良かったわ~』
『もしや……今夜の呼び出しも虚言では』
『それは、違う』
わざとらしく話を逸らしていた暁嬢様が、ピシリと言った。
『行けば虐められるでしょうね。で、も。わたしにつくなら行かなくていい』
『なるほど。……罠に、人斬り、この脅し。恐れながら、さような界に福来は行くべきでありませぬ。暁嬢様……この、緑如のみが参じます』
『え? でも緑如ちゃんは布屋の験しは浅いでしょ』
『確かに若輩ながら、覚えは良いと評されます。精いっぱいに努めますゆえ……客主様からの方々のご指導にも必ずや報いるように致し』
『だ、だめだっ』
客主が、紅だらけの顔色を変えて割り込んだ。
『明らかに常駐の手が足りぬ。おい福来、福来も是非に来い。給も良いぞつ』
皆の視線が私に寄る、その集中をそらすべく緑如が卓より離れて手をついた。丁寧に深々と、頭を下げる。
『この、この私のみにて何卒っ』
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