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その後は速やかに職を辞し、玲邦に仮住まいを得て店の準備に取り掛かった。
初日に暁嬢様が大量の書面を持ち来て大筋を述べ、次からは客主と伝手なる職人らが訪い作業の中身を教授する。私は少しを覚え、緑如が多くを吸収した。
初ばかりにて難所はあれど、助力により仕事は進む。
だが進みつつもなお客主の名すら分からず、緑如にも知れぬという。
与した正誤に悩む緑如に時折、不安の波が訪れる。
共にいられるのだから十分だ、と背を柔かに撫でて落ち着かせる。
それが私の職である。
三月がたち、工事も半ばを終えた頃合いで春節を過ぎた、ある日。
次からは具体な経営を教えるとのことで、会った相手に驚いた。我らが二人揃って急遽辞した店の主だった。
辞意を平然と受け止めて見えたが迷惑には違いなく、しかも件の店の立ち上げにて会うなど流石にバツの悪い思いで挨拶をする。ところが元店主自身は頓着せず、むしろ機嫌を上げていた。
『元気そうだな二人とも。店のことは気にするな、品の届けはまだ先だが、ここの住み込み棟も結局受注してかなりの潤いだ。当時は居心地が悪かったろうがここでは楽しくやれよ、ふふふ……』
かつての印象とは異なり大らかによく語る元店主は三度教授に訪い、最後の回では客主に同伴して来た。
仕事終わりに緑如だけが呼ばれて二人と食を共にするという。
……緑如ちゃんには、多少の秘密がある。
暁嬢様の声音にて、久方ぶりに思い出した。
以前ならば気にならずにいたものが、その秘密に実は命の危機まで含まれていたと知る今では落ち着かぬ。
一人の食をとる気もせずに、部屋でただ時を過ごした。
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