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私は生来、理解の早い性ではない。
お客様よりの高評はまさにこの名と面相と、そして愛想によると自覚する。一方の緑如は解すも返すも迅速かつ巧みにピシリと、誠に有能で……と横を見遣れば、この度は首を傾げて止まっていた。
『あのねわたしねぇ、玲邦に布屋を開くの』
『玲邦。……土地柄としては、問屋でしょうか』
勢いを増す寵妓様に対し緑如は動かぬままのため、私が伺うことにする。
『そ。でも小売りもできる可愛い仕様にするわ~、量は少ないけど各地の珍しい布を仕入れるアテがあるから。でも問屋のほうの仕入れは二人でやってね』
二人で。
『あの、他に店員は」
『増やしてもいいわよ、二、三人。そうそう、さっきの住み込み棟の件だけど。アナタたち最初っから二人で暮らすお部屋にしたら?』
…………。
『場所は元染物屋を居抜きでね、改装の案は楽しいから譲らないけど、人集めとか費用の算段とか、事務のやることいーっぱいあるでしょ? 面倒なのは全部任せるから、明日からでもいらっしゃいな』
…………。
『あの……私共は若輩の員にて問屋の当てならば多少の程度、店の立ち上げのなんたるかは心得なく、事務も全く』
『大丈夫よ~旦那様が教える人寄越してくれるから。専門自在よ、何でも言って。ね、旦那様』
『は?』
脇にて微笑み見守っていた客主が、ぽかりと口を開けた。
『か、叶えたいのはやまやまだが、そう動かすわけには……』
『あらま、このアタシのお願いよ?』
『いやしかし、昨今はそなたとの逢瀬も頻りゆえ儂も多忙で…‥んぐっ』
寵妓様が、拒む口を黙らせるごとくにブチュウと吸った。
『ん、ぐぐぐぐっつ』
動揺も甚だしく手を泳がせるに今一度吸い付き、どうやら舌まで入れ込むらしい。ようやく離れる次第に、客主がぶはっと息をつき叫んだ。
『なななんてことをっ、ぎょう……』
ぎょう、と明らかに呼びかけたものを中途で止め、間をおいて。
『ぎょう……じょう、よ。……さすがに』
声を落とす客主には案の定、口周りの髭までねっとりと紅がなすられている。
『いや、唐突ゆえ動揺が……すまぬ』
寵妓様の名は伏せ置くべきところ、あの紅に吸われてつい口にしたらしい。なれば私は聞かぬふりで通すとしよ『して、ぎょう嬢様。いかなるご条件でしょう』
容赦なく名を呼んだ緑如は、警戒を強めて見える。
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