美沙さんはのんきに鼻歌なんて歌ってる

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「おかえりなさーい」  美沙さんがいつもと変わらないのんきな声を上げる。  でも今日はとなりにお父さんがいる。  お父さんは何だか困ったような顔をしていた。  ボクは口をキュッと結ぶと階段をかけ上る。  バンッとドアを閉めるとベッドにダイブした。  マクラにギューッと顔を押しつけていると、ドアを小さくノックする音が聞こえてきた。 「……賢太」  お父さんの低い声。 「……うん」 「入るよ」  部屋のドアが静かに開けられる。  ボクは再びマクラに顔を押しつける。 「……賢太、1位やったな。今日は美沙がビデオ係をやってくれたから、(なま)の目で賢太の勇姿(ゆうし)をしっかり見れたぞ」  運動会では、いつもお父さんがビデオでボクの姿をとってくれていて、学校から帰ったら二人でそれをみるのが恒例行事(こうれいぎょうじ)となっていた。  そう言えばお父さんは、ビデオをとりながら応援(おうえん)するのって大変、ってよくぼやいていたっけ……。  でも、美沙さんと見つめ合ったりしていて、本当にボクのゴールを見ていてくれたのかな……。  ボクはゆっくり顔を上げる。  お父さんはまだ困った顔のままだ。 「……賢太、ごめんな。お父さんは聞き分けのよい賢太に甘えていたのかもしれないな……」  ボクは首をかしげる。  お弁当をはらったりして、『ごめんなさい』を言わなくちゃならないのはボクの方なのに……。 「男同士、対等(たいとう)に話し合える関係でいようと思ってきたけど、その前にお父さんはお父さんじゃなきゃいけなかったよね」  ボクはもう一度首をひねった。 「賢太は……美沙のことどう思う?」 「どうって……。悪い人じゃないと思うよ」  お父さんの茶色い(ひとみ)がボクのことをじっと見つめる。 「……でも、ちょっとウザいかな……」  お父さんは目を細めてふふふっと笑う。 「確かに……。でもああ見えて美沙は結構(けっこう)気をつかうタイプなんだ」  ボクは「そんなワケ……」と言いかけてから「ごめん」とつぶやいた。 「違うな……。お父さん以外、みんな気をつかうタイプだな。賢太も」  そう言ってお父さんはボクの頭をワシャワシャとなでる。 「美沙はもう少し時間をかけてからの方がいいって言ったんだ。賢太のことを考えると結婚(けっこん)慎重(しんちょう)にしたい、って。でもお父さんは中学生の難しい年頃(としごろ)になる前に、って……」  ボクはベッドの上にゆっくり起き上がった。 「結局、お父さんは自分のことしか考えていなかったな……。美沙も色々と(なや)んでて……。お弁当も何がいいかってすごく考えてて……」 「でもボクはお父さんの作ったサンドイッチが食べたかったんだ!」  お父さんの目が大きく見開かれる。 「……ごめんな、本当にお父さんは何もわかってなかった」  ボクは首を大きくふる。 「お父さんには幸せになってほしい。そう思うのはウソじゃないよ。美沙さんもきらいなワケじゃない。でも何て言うか……」  自分でもうまく説明できない……。 「無理して美沙を『お母さん』って思わなくていいよ」 「えっ……」 「賢太のお母さんはいつまでもお母さんだけだよ」 「でも……」 「お父さんの『再婚(さいこん)相手』として認めてくれれば、それでいいよ。だから賢太も気をつかうことなんてないんだ」 「う……ん」 「だから言いたいことを言っていいんだぞ。美沙は、ほら、ちょっとズレてるところがあるし……」 「それはすごくよくわかる」  ボクの答えに、お父さんはハハハっと笑った。 「美沙は美沙なりに賢太と向き合おうとしているんだろうけど、どうも空回りっていうか……。言わないと気づかないところもあるから」  お父さんの太い指がボクのカミの毛を優しくなでる。 「でも表裏はない人だから、それだけは信じてほしい……」 「うん……」  それもよくわかってる……。 「賢太は賢太のままでいいんだよ。そのままで」  お父さんの声が優しく耳にひびいた。
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